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東京都足立区の町名 ウィキペディアから
隣接する地域は、北は梅島、東は足立、南は荒川を挟んで千住、西は関原および西新井栄町。
戦前は足立区梅田町と呼ばれており、1965年の当地区の住居表示実施により現行の梅田一丁目~八丁目が成立した。
住宅地の地価は、2024年(令和6年)7月1日の地価調査によれば、梅田7-8-10の地点で34万3000円/m2となっている[5]。
梅田の歴史は江戸時代初期までさかのぼる。
昭和初期には筑波高速度電気鉄道が構想されたが、計画段階で廃止され未成線に終わっている。
新編武蔵風土記稿の記述によると、その昔この地域一帯は海に面した河口付近の沿岸地帯であったという記述が見られる[6]。大河の河口部に当たるために堆積物が広がり、そこを埋め立てして新田が開かれたという。埋め立てられた低湿地帯のこの土地を「埋田」と呼び、それが美称されて「梅田」となったという。
この地域は東京湾からも遠くなく、旧荒川(隅田川)が蛇行しながら流れている状況から、梅田が開発された頃は梅田付近が東京湾の入り江で、荒川の河口に隣接していたのだと推測される。
足立区内は地下水の豊富な地域であり、梅田もその例外ではなかった。梅田地区の地下を流れる水脈は浦和方面から流れるものであったが[要出典]、この地下水は梅田の基幹産業であった製紙業だけでなく、生活用水として大変重宝され、大量に揚水された。しかしあまりに過剰な地下水を汲み上げすぎてしまったがために、1897年(明治30年)頃に始まった地盤沈下は急激に悪化し、1965年(昭和40年)までに2m近くも沈下した。これ以上の沈下は水害を悪化させるとして、1966年(昭和41年)に通商産業省(当時)によって揚水が禁止され、梅田にあった井戸は廃止された。
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2024年(令和6年)4月1日現在(足立区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
国勢調査による人口の推移。
国勢調査による世帯数の推移。
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年4月時点)[13]。なお、足立区では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能。ただし、小学校に関しては、2018年(平成30年)度から学区域または学区域に隣接する学校のみの選択になる[14]。
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[15]。
丁目 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
梅田一丁目 | 69事業所 | 313人 |
梅田二丁目 | 67事業所 | 555人 |
梅田三丁目 | 63事業所 | 575人 |
梅田四丁目 | 90事業所 | 611人 |
梅田五丁目 | 88事業所 | 640人 |
梅田六丁目 | 135事業所 | 1,053人 |
梅田七丁目 | 131事業所 | 1,393人 |
梅田八丁目 | 55事業所 | 730人 |
計 | 698事業所 | 5,870人 |
経済センサスによる事業所数の推移。
経済センサスによる従業員数の推移。
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