町田 慎吾(まちだ しんご、1981年3月25日 - )は、日本の俳優、ダンサー、振付師、アクセサリーデザイナー。東京都出身[1]。
ジャニーズJr.内ユニット「Musical Academy(略称・MA)」の元リーダー。血液型A型[1]。身長171cm[1]、体重60kg[1]。
概要 まちだ しんご 町田 慎吾, 別名義 ...
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略歴
- 1994年10月16日、13歳でジャニーズ事務所に入所する。ジャニーズJr.としてテレビやコンサートなどで先輩のバックダンスの活動を開始。
- 1997年、少年隊PLAYZONE'97 RHYTHM IIにて初舞台。2005年までPLAYZONEにほぼ毎年参加、カンパニーを支える。
- 1997年9月より、事務所の京都長期公演Kyo to Kyoの初代メインメンバーとして抜擢される。公演期間中は京都に滞在。
- 1999年、Musical Academyの初代メンバーに選ばれる。その後リーダーとしてグループをまとめる。
- 2000年1月から5月の間「ダンスをもっと極めたい。外部でどこまで通用するか知りたい」という理由で事務所を辞めていたことがある[注釈 1]。
- 2000年の初回公演より2012年まで長期に渡り堂本光一主演SHOCKシリーズにレギュラーとして参加、SHOCKカンパニーを支える。
- 2007年12月22日に「いん頭炎および、横紋筋融解症」と大阪市内の病院で診断され、そのまま緊急入院したが、同年12月26日に退院した[2]。
- 2015年2月22日、ジャニーズ公式携帯サイトの連載に退所を予想させる表現があり[注釈 2]、その日記を最後に更新が止まる。
- 2015年3月5日、公式携帯サイトよりプロフィールや連載が消える。状況から2015年2月末で事務所との契約が終了との見方が強い[3]。
- 2015年3月25日、長年支えてくれた方へ感謝を伝える為にTwitterを開設[注釈 3]。同4月、事務所とは良好な関係のままで新しく仕事を始めると伝え、事実上円満に事務所から離れたことを報告。
- 2015年6月、デザイナー「Cindy」の名義で、アクセサリーブランド【LOL】(ロル)を発表。初の受注会を開催。
- 2015年9月、アクセサリーブランドのブランド名とロゴを【CindyLOL】(シンディーロル)に変更することを発表。
- 2015年9月公演のAZUMI 幕末編 にて、俳優として復帰[4]。
- 2016年3月25日、町田慎吾オフィシャルサイト正式オープン。(2019年3月末終了)
- 2019年3月【町田慎吾オフィシャルチャンネル】をニコニコ動画で開設[5]。
- 2019年3月、舞台【紅葉鬼】に初の演出として参加を発表。
- 2019年9月1日、ほさかよう・佐藤永典と共に、ユニット『町田と佐藤、あとほさか。』立ち上げ発表。
- 2024年2月14日、屋良朝幸と14年ぶりタッグで新プロジェクト「wakA-Zcre」(ワカヅクリ)を発足。[6]
仕事・交友
- 1994年から2015年までジャニーズジュニアとして所属。先輩のコンサートのジュニアコーナーでジュニア曲を任され始めたのは1997年初頭。その後「ジャニーズmiddleジュニア」、「TOKYO浜松町」などを経て、MAのリーダーを務めた。
- 無類のダンス好きで、ダンスに出会ってからはダンスのことしか頭になくなっていたが、のちのち、ダンスが好きというよりダンスに感情が乗ることが好きで、芝居に興味を持ってからは同じことだと気づき、近年は「表現することが好きだ」と答えている[7]。
- ダンスのスキルを生かし、舞台などで振付の仕事をすることもある[8][9]。
- 嵐の大野智とはオーディション日が同じ同期であり、同じ高校に入学するほどの仲良しで、かつて京都公演時代には共同生活を送っていた期間がある。お互いを「親友」と言い合い、心の友と言う意味で「心友」という表現を度々使用している。
- 長年支えてきた舞台SHOCKシリーズへの想いが深く、座長・堂本光一への尊敬が強い。舞台・眠れない羊のパンフレットでは、あなたの大好きな作品を教えてくださいという問いに対して「Endless SHOCK」と答えている。
- 執筆することが好きで、ジャニーズ退社後は、芝居・アクセサリーの仕事と同時に、友人の自費出版【LIFEBOOK】を手がける会社にてライターの仕事を行ったことをツイートの中で報告していた。[10]。
人物
- ふんわりとしていて控え目だが、意志が強く真面目で努力家。演じることへの情熱は高く、脚本・演出家のほさかようはインタビュー記事で 「彼はすごく真面目なんだけど、とってもエネルギーが高くて、お芝居や好きなことを話すと二段階くらいギアが上がる。またその顔つきがカッコ良くてキラキラしているんです。お芝居の真ん中にいる人はやっぱりそういう人がいい。」と語っている[11]。また「小さなお茶会。」のインタビュー記事では「まっちーは年上・年下に関わらず共演者には必ず敬意を払う役者さん。でも、正しいプライドを持っているから、相手に全てを丸投げするようなことはないし、自分の役の責任は絶対に果たしてくれる。」と語っている[12]
- 真摯で礼儀正しいという共演者談話は多く、JOEカンパニー主催小野寺丈は自身のブログにて「町田慎吾という演者は、稽古場でも集中して懸命で真摯に取り組み、劇場に入ってからも死に物狂いで、その期間をストイックに過ごしています。そして、攻めの姿勢で人生を歩み、自らの手で切り開こうとしています。チャラチャラしている人より、ストイックに死に物狂いに仕事と対峙している人の方が、誰もが好感を覚えるでしょう。」と語っている[13]。
- 謙虚で人への感謝の念が強い。舞台「AZUMI幕末編」のパンフレットでは、自分だけの掟(ジンクス)は何かという質問に「人に感謝をして生きる」と答えている。別のインタビュー記事でも「今のモチベーションは支えてくれている人たち」と答えている[14]。
- 信念は常に全力。舞台「戦国御伽絵巻『ヒデヨシ』」のインタビュー記事内で"自身の戦い方"について、「その時にできる全力を絶対に出す。例えば、もし自分がこの作品を最後に死んでしまったとしても、“これで良かった”と言えるようにそこに全部費やす。それが僕の信念。周りの人からは“早死にする”なんて言われるんですけどね(笑)」と答えている[15]。
- 甘いもの好きのエピソードが多く、公演中毎日のようにチョコクレープを食べていたとの共演者談もある[注釈 4]。
- 家では物心ついた頃よりずっとペットを飼っており、犬も猫も、動物は大好きと述べている[14]。
※その他、特にクレジットされていなくても舞台等で振付を行ったことが出演者などから日常的に報告されている。
出演舞台DVD
- Panelist Drive (2012年、トライフルエンターテインメント)
- 双牙〜ソウガ〜 (2012年、トライフルエンターテインメント)
- 7 -ナナ- (2013年、トリニティワークス)
- 双牙〜ソウガ〜零 (2013年、トライフルエンターテインメント)
- 双牙〜ソウガ〜再演 (2014年、トライフルエンターテインメント)
- 眠れない羊 (2015年、LAUSU×空想組曲、トップコート)
- AZUMI幕末編 (2015年、アール・ユー・ピー)
- 小さなお茶会。(2016年、空想組曲)
- 魔王ロス症候群 (2016年、トライフルエンターテインメント)
- トラベルモード (2016年、演劇集団イヌッコロ)
- パラサイト・パラダイス (2016年、劇団ワンツーワークス)
- HUNGRY〜伝説との距離〜 (2016年、劇団ホチキス)
- ハロー,イエスタデイ 再演 (2017年、トライフルエンターテインメント)
- 戦国御伽絵巻「ソロリ」〜妖刀村正の巻〜 (2017年、キティエンターテインメント)
- Silver Star, Silver Moon, Silver Snow (2017年6月、(株)ビスケ)
- ダンスカンタービレ ※特典映像のみ出演 (2017年)
- あちゃらか (2017年、劇団ホチキス)
- 戦国御伽絵巻「ヒデヨシ」 (2017年、キティエンターテインメント)
- DANCE OPERA『SWAN 2017』 (2018年)
- 舞台『ピッッツァ★』 (2018年、トライフルエンターテインメント)
- となりのホールスター (2018年、演劇集団イヌッコロ)
- あちゃらか2 (2018年、劇団ホチキス)
- スーパーノバ (2019年)
- ダンスカンタービレ (2019年)
- ヒューマンエラー (2019年、ピウスショップ)
- ドープアウト (2020年予定)
- 溶けてゆく弟/溶けてゆく弟 ~phase0~(2022年予定)
- 2015年6月に【LOL】(ロル)として、町田慎吾自らがデザイナー「Cindy」の名義で立ち上げたアクセサリーブランド。2015年6月26、27日の2日間、原宿で「DEBUT EXHIBITION」(初の受注会)を開催。受注会用の写真撮影では舞台で共演した谷口賢志、小野川晶、また交流のあるおねえタレントゆしん、などがポスターに登場。受注会当日の会場には町田本人の姿もあった[10]。
- 2015年9月に【CindyLOL】(シンディーロル)にブランド名とロゴを変更。初の受注会で発注したアクセサリーは【CindyLOL】のブランド名で届いた。
- 2015年10月、大阪・心斎橋にて二度目の受注会を開催。以降不定期にて受注会を開催している。
注釈
ザ少年倶楽部プレミアム(NHKBS2・2006年4月23日OA)にて説明。
当時のジャニーズ事務所は不祥事による解雇・退所以外は、基本的にジャニーズJr.メンバーの去就を発表しなかった為、はっきりとは明言されてない。
Twitterを始めたのは、長い間応援してくれていた方達に、今までの感謝や自分の考えを伝える事が礼儀だと思った、とツイートの中で説明。
出典
“Profile”. 町田慎吾オフィシャルサイト. 2016年3月25日閲覧。
方南ぐみ (2020年8月4日). “申し訳ありません”. 2020年8月4日閲覧。