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ABCラジオで毎週日曜深夜に放送されていたラジオ番組 ウィキペディアから
『誠のサイキック青年団』(まことのサイキックせいねんだん)は、朝日放送ラジオ(ABCラジオ)で毎週日曜深夜に放送されていたラジオ番組。1988年4月3日放送開始。最終放送日は2009年3月8日。略称は”サイキック”。
この記事は大言壮語的な記述になっています。 |
番組開始時は『MAKOTOのサイキック青年団』であったがアルファベット表記の芸名から本名への改名を機に本番組名に変更。
パーソナリティの北野誠と竹内義和が、世相から芸能、政治、経済、艶笑噺に至るまで幅広い分野の話題を取り上げトークを展開する大阪のラジオ番組。深夜だからこそ言える、近畿ローカルだからこそ言える本音トークが特徴の長寿番組であった。世の中の様々な事象について、何でも鵜呑みにせず斜に構え、演者独特の視点と語り口で面白おかしく主観に基づく推論で断定(決め打ち)し、常識や原則からは説明し難く逸脱、又は偏差を起こしている対象に能動的な解釈を試みつつ、看過しがちで瑣末で偏執的な事象についても"濃い"話題として深く掘り下げ、憶測や持論と笑いを交えて考察していた。番組は放送開始当初より「有害放送」「毒電波」「情報判断番組」と称し、ジングルにおいても「不快なら聴かなくていい」「嫌ならスイッチを切って寝なさい(深夜番組であるため)」という聴取者を突き放したスタンスを取っており、番組聴取にあたり「聴く側も一定のレベルを持って欲しい」とハードルを設け、番組の存在を快く思わない声には周波数を変えるように勧めていた。
北野のレギュラー番組だった『本気ナイトパフォーマンス』(関西テレビ)でホラーをテーマにした企画に竹内が評論家として出演。TVドラマのパロディを演じていた北野に瞠目していた竹内は収録が終わった休憩の際、当時、雑誌で執筆していた大映テレビが製作するドラマに関するコラムを北野に手渡し、互いに着眼点に共通するものを感じ意気投合。竹内の「秘密の部屋」と称する場所でプロレス、政治、芸能、アイドル、オカルト、特撮、猥談、大阪スポーツ、エマニエル坊や等、様々な話題で一日濃密な会話をして過ごし、同番組の骨子ともいうべき方向性が決まる。番組の打ち合わせ(らしきもの)はこの一回のみで、本放送の各収録において事前打ち合わせは行っていなかった。望む仕事にありつけず燻っていたABC新入社員の板井昭浩が新番組の立ち上げを企画し、北野に打診。北野が竹内に一緒にラジオ番組したい旨を明かし竹内も快諾する。
「秘密の部屋」での会話をそのまま番組に出来ないものかと考えた北野だったが、この時の竹内はまだ一般人に等しく、仕事を共にするにしても番組として成立するのか逡巡。ラジオ関係者や板井に竹内を紹介し、竹内は数本のレギュラー出演、担当と構成をこなし、「番組として成立する」と判断。板井が「潜在的アナーキーを有機化する」というロバート・フリップの発言を番組コンセプトの下敷きとして企画書を作成・提出し、新番組として承認された。
割り当てられた番組枠は笑福亭鶴瓶と新野新がパーソナリティを務める『ぬかるみの世界』(ラジオ大阪)の裏の枠であったが同番組が日曜深夜、関西ローカルの看板番組として成熟している今だからこそ、結果度外視で裏の枠で自分達なりに自由に喋ろう、聞いてくれる人は聞いてくれると計算し「一年続ける」という目標を立て北野、竹内、板井の3人体制で本放送スタート。放送初回、ヨタ話を軸にしたトークの内容に反応したリスナーの投書が番組宛に寄せられ、その反応に手ごたえを掴む。
スポンサーがつきにくい日曜深夜という時間枠という事もあり開始から暫くは提供無しで放送。アイドルの冠番組隆盛の当時、他番組や前番組のアイドルファンのリスナーらが周波数を変えない(合わせる)ようにと妄想や邪推、下世話で下卑た雑談はM1層を狙った上でF1層も取り込むという意図的な構成で、リスナーの投書に難癖、苦言、吊るし上げと投稿者と対立するトークも折り合わせて、狙い通り大量の「投書」が番組宛に寄せられる。目標だった1年間の放送を乗り切り、一定数の聴取者の取り込みの成功と並行して数人のスタッフやブレーンが本番組に加わる。
番組発足時のメンバー3人は当初から「3年も持たない」「5年も放送出来たら立派」と述べていたが、後に「内輪でサイキックが必要無いと判断した時点で番組終了」のスタンスに変化していった。しかし結果として北野の謹慎とともに終了した。2009年2月22日放送分で、同年3月29日での放送終了を告知。3月1日・8日の放送は行われたが、3月15日・22日・29日の放送は行われず、ラテ欄に「終」の表記をされないまま事前告知無しの予定より前倒しで番組終了。同年3月8日が放送最終回となった(後述参照)。結果的に放送期間20年11か月の長寿番組となった。
公開イベントにおいては『Real Wild Child』と『Coney Island Baby』の2曲がOPとEDに使用されていた。
ABCラジオのみで放送された番組であり、放送対象地域上は関西ローカルであったものの、日曜深夜という他の民放の中波放送局が放送を停止している時間帯に放送されてきたことから、電離層の消滅による中波電波の広範囲伝播などの条件次第で遠距離受信も可能であったため、関西地区以外の深夜ラジオリスナーからも人気を集め、遠くは日本海側や九州、関東方面に至るまで数多くの番組リスナーがいた。かつては有線放送でABCラジオが広範囲において区域外再放送されていたこともあり、そちらを聴いていたリスナー[注 1]も存在した。2000年代よりブロードバンドによる有料放送が開始され、聴取可能エリア外でもクリアな音声で楽しめるようになった。ただし、携帯電話を用いてのパスワードの取得が必要で、また著作権の関係上、CMとコーナーの間に挿入されるジングル及び『今週の一曲』はカットされていた。放送時間は途中幾度かの変更を経たが、番組終了時点では毎週日曜25:00 - 26:45の時間帯で落ち着いていた。元々は生放送であったが、2008年から北野が月曜の早朝に生放送で放送されている東京のテレビ番組に出演していた都合上、録音に切り替えた。収録日は毎週金曜に実施することが多かったため、録音放送では、時事ネタに若干対応しきれていなかったケースもあり、選挙結果についての話題を取り上げるか否かは、番組の収録が実施される日によるところが大きかった。聴取率は、1%を前後。同時間帯のFM局を含む他のラジオ番組制作者が本番組の内容と数字が伴っていない事に首を傾げるという風聞がパーソナリティの耳に入るという占有率の大きさであった。聴取率1.3%を出した回では板井が青ざめ、翌週の放送で0.7%に落ちた時は安堵するという逆の反応を見せていた。
この番組に対し好意的で熱狂的なリスナーのことを、番組では『サイキッカー』と呼んでいた。また、朝日放送が学生向けに配布する会社案内では「ABCラジオの『裏』看板番組」として紹介されていた。とはいえ、かつて番組でグッズを作る際に寄せられた複数の投稿によると、番組で取り上げる話題が瑣末で先鋭的なため、番組の指向に反感を持つに至った元サイキッカーも存在するため、自身がサイキッカーであることを積極的に公言する者は少なかった。しかし、パーソナリティたちは仕事で機会ある毎に有名人やテレビ番組のスタッフなどからサイキッカーであることを告白されるという。
上記2名を番組上「カプセル怪獣」と呼称し本放送には遅れ参加で出演。本来はパーソナリティ2名の加熱、脱線するトークを軌道修正する役目であるが、会話に割り込もうと持ち出した話題が互いのトークをさらに加速させ、結果、激しさを極める内容となる事がままあった。板井、平野の他に、通販商品購入担当「キング・オブ・カモ」として放送作家の平井浩一、ディレクターの山本正勝、ミキサー担当ジャンプ藤井らは数度の単発出演の他、番組本にも寄稿。
パーソナリティと制作スタッフのみで進行することが多いこの番組にも、年に数回という非常に低い頻度でゲストが訪れることがあった。特に浅草キッド、大川興業、大槻ケンヂらは定期的にゲスト出演しており、番組内で話題に上ることが多いため、この番組の印象や方向性を形作る要素の一つになっている。また、彼らのような番組のカラーに合った人物以外にも、レギュラー両者に縁がある人物や、かつてこの番組のリスナーで後に著名になった人物、その時々の話題に合わせた人物をゲストに招くことがあった。関西で行われるイベントの告知を兼ねて出演する人物もいた。
その時の雰囲気や、細かな変遷などあったが大まかにはOP曲が流れ番組名の「ドナリ」で番組スタート、序盤は北野が一週間に見聞した体験談で始まり、中盤は準レギュラーを加えてのトーク、コーナーを経て、終盤は投稿を元にトーク、エンディングといった流れであった。
トーク中にリスナーからの投稿を紹介することはあるが、いわゆるネタハガキを募集するコーナーはなかった。元アイドルが出版した写真集についての意見や、番組中に取り上げられた事件の体験談や当事者側からの裏事情及び内部事情。また鉄道ファンに代表される各方面の事情通からの訂正・追加情報などが送られてきた。特に常連投稿者からの文面は、パーソナリティたちへの簡単な挨拶に始まり、冒頭は「……のことではなく、……のことでもありません。」と、主旨とは直接関係のない話をマクラに振るのがお約束となっていた。誇大妄想、被害妄想的な持論や、狂信的な脅迫文など、未だにひきもきらずに送られてきている旨を明かすが、番組内で取り上げられることは(つもりも)無く即刻ボツとなっていた。代わりに発言の真意を汲み取らない筋違いの反論や糾弾等の投稿は、番組上で徹底的に晒し上げられる。投稿は郵送FAXの他、電子メールを用いて投稿することが可能だった。過去、最大の反響は北野家が蒙った「日本テレコム・おとくライン」不通トラブルのマニュアル対応のトークで、同サービス利用者や業界関係者からの窮状と悲鳴の投書が番組宛に大量に寄せられた。
番組誕生の経緯からトークの主体は「仲間内で屯している時の雑談」「居酒屋のTVを見ながら難癖をつける酔客の独り言」に重点が置かれていた。
10冊程の番組本を出版。パーソナリティの座談会、エッセイ、竹内の短編小説、番組年表・用語解説などといった内容を掲載。
日曜深夜の大阪のローカル番組であることから、業界的な裏ネタばらしや過激な発言、妄想を絡めた邪推で盛り上がることがあった。そのためにコアなリスナーを生むと同時に、番組宛てに脅迫文を投書し、俎上に上がった話題を該当団体に通告するなど番組を敵視するリスナーもまた存在し、番組放送開始当初よりアイドル芸能事務所、新興宗教団体らと幾度となく軋轢が生じていた。以下、過去にあった代表的な事例。
2008年8月30日 この少し前より「『サイキック』の冠名が何らかの事情によりイベントで使用できなくなり番組が終了する」と噂されていたが、この日開催の『濃い口トークミーティング』(松竹芸能主催)において、北野は「番組続投」を明言した[1]。
11月、番組内で年末に行われる番組公開イベント『濃い口トークミーティング2008ファイナル』の開催を告知するも、その翌週に「諸事情」により中止と発表。合わせて「詳細は問い合わせないように」との要望もなされた。
それ以前の2008年秋頃に出演者や番組スタッフとABC上層部での話し合いの場が設けられ翌年3月末での終了の方向で調整[注 13]。2009年初頭に同年3月末での放送終了する事で決定の判断を下す。
2009年2月15日 北野が嘉門達夫の結婚式で同席した高田文夫と飲食店での会話で「番組が終わるかもしれない」と告白、その話を高田が翌2月16日放送の『高田文夫のラジオビバリー昼ズ[注 14](ニッポン放送)の中で俎上に上げた。高田の発言で番組終了の情報が錯綜。番組内で公式発表する予定であったが北野のブログ『サイキックブラザース1号』において番組リスナー向けに騒動を詫びる謝罪文を掲載。
2月22日 この日更新の『オリコンスタイル』にて、番組放送終了についての記事が掲載され「他局への移籍やインターネットラジオへの移行など、何らかの形で番組継続を図っている」という"事務所関係者"のコメントを併記[2](ただし、現記事は発表時の記事に比べ修正、削除されている部分がある[3])。「インターネットで記事になっている」との報告を聞いた北野はこのオリコンスタイルの記事を22日の夕方頃に閲覧。文中に番組に携わっている限られた少数の者しか知らない番組終了後の活動の情報まで書かれていたため、疑念を持った北野が事務所に向けメールを一斉送信して内部調査を行った結果、イベントの主任で松竹芸能社員が番組リスナーであったオリコンスタイルのスタッフに情報を漏洩していた事が発覚。北野は自らのブログに謝罪文を再度掲載する。北野は漏洩の原因が身内の仕業と嘆き呆れると同時に「オリコンの彼を許さない」と憤る。尚、この漏洩と後の騒動との因果関係は不明。
この日放送の当番組の中で、『オリコンスタイル』の記事に(当時)掲載されていた「今夜の番組内でパーソナリティーが3月末での放送終了する経緯を明かし、最終回の前日となる28日(土)に行われるトークライブを再度開催することもあわせてアナウンスする」[注 15]との表記通り、同年3月29日の放送分をもっての終了が発表。番組内で「番組は終了するが竹内北野のコンビでの活動は今後も継続する。20年の長きに渡りこのようなならず者二人が放送を続けられたのはABCによる助力も大きく感謝している。」と述べ、同時に番組内でイベントチケットの先行販売を告知。さらに同放送内で竹内北野のトークを交えた『オタクの電脳blog祭』を3月20日の開催を告知。基本的にオタ電blogのイベント(アニメ機動戦士ガンダム関連)なので「番組中止に関する質問は控えて下さい」との要望もあった。
2月25日 『オタクの電脳blog祭』に竹内とのトークライブで出演予定だった北野が「諸般の事情」により出演不可能になる[4]。3月11日にアメリカザリガニ平井が竹内とトークライブを行うと発表された[5]。
3月8日 この日の放送分で3月28日と4月28日に行われる予定だった公開イベント『濃い口トークミーティング』の中止とチケット購入者に対する払い戻しを告知し、その経緯を北野が涙声で謝罪。このイベント中止決定に至る中で出会って以来20数年間目立った諍いも無かった北野と竹内が初めて口論に至ったことを明かす。番組公開イベントの中止は前年11月に続き2回目となるが、前年暮れまで竹内のトークショー『漫力』や北野の株式セミナーなど個別のイベントは告知通り行われていた。またオリコンスタイル修正前の記事によれば、当日のイベント会場において「再びトークライブを開催することも併せて発表」する予定であった。
3月15日 番組開始時刻の25時に「諸般の事情で前回3月8日分の放送をもって最終回」とのアナウンスが流れ、その後フィラー音楽(朝日放送ラジオの社歌のオルゴール[注 16])が本来番組の終了時間である26時45分まで繰り返された。予定より繰り上がりでしかも事前告知もない異例な形での番組終了となった。
3月16日 竹内が自身のブログ『竹内義和のどきどきブログ』にて、番組の突然の打ち切りに関し「”僕たち”は納得している」とした上で、リスナーに向けて騒動を謝罪[6]。
3月21日 『角田龍平のオールナイトニッポンR』(ニッポン放送)においてパーソナリティの角田龍平が番組終了を惜しむコメントを送ると共に「Real Wild Child」を選曲。
3月22日 この日放送の『たかじんのそこまで言って委員会』(読売テレビ)においてコラムニストの勝谷誠彦は同時期に自身がレギュラー出演していた『ムーブ!』(ABCテレビ)が終了したことに加え、上記の前倒し終了を挙げて視聴者、番組リスナーを無視したABCのコスト削減編成体質を「信頼を失った」と批判。
3月22日 深夜(23日未明)、25時の時報後、通常放送は行われず、前述のお断りの後、直ちに放送終了・停波した。
この日、北野の著書『死んだら、あかん!』[注 17]の出版記念サイン会が予定されていたが、理由説明もなく突如中止された。北野はこのサイン会だけがリスナーと接触を図れる場所だと自身のブログ『サイキックブラザーズ1号』で参加を呼びかけていたが、直接番組とは関係の無い個人のサイン会までもが理由も告げられないまま中止となり[7]、多くの憶測を呼ぶ事態となった[8]。
4月10日 夕方頃、北野のブログ『サイキックブラザース1号』が事前告知無しで消滅[9]。閉鎖理由も不明。
4月11日 複数のスポーツ紙が北野の芸能活動休止の記事を報じる。また所属事務所の松竹芸能が、北野に無期限の謹慎処分を下すことを決定。テレビ・ラジオの全レギュラー番組を順次降板する方針であり、関係先と調整に入る。日刊スポーツの取材に、松竹芸能は謹慎処分を下したことを認めるが、理由については明らかにしなかった[10]。
この連鎖的消滅に複数のスポーツ紙やWEB上において「大手芸能事務所、宗教団体が原因か」と憶測と情報が錯綜[10]。一部テレビ番組がこの話題を上げるが、北野や松竹芸能はこの件に関して一切コメントしなかった。
同日、竹内が自身のブログにて、番組終了後も北野とは通常通り連絡を取り合ったり、共に食事をしていて今後も北野との関係は変わらず続くだろうと報告[11]。
4月13日 北野がこの日放送のレギュラー番組『ごごイチ[注 14]』(CBCラジオ)に出演。番組冒頭で他局のラジオ番組・イベントでの発言で関係者に対し涙の謝罪。合わせて4月末で同番組を降板すると発表。また芸能活動の自粛は自分と松竹芸能で自主的に決めたことを強調。
同日夜、松竹芸能の公式サイトにお詫び文が掲載される。北野誠のラジオ番組・イベントでの発言で迷惑をかけた関係者への謝罪。北野誠を無期限の謹慎処分、関係する役員・社員を懲戒処分にした旨が記される。北野が出演している番組や担当している連載が順次、降板・終了する事を発表[12]。
4月14日 この日の『元気イチバン!!芦沢誠です[注 14]』(ABCラジオ)にて、桂ざこばが北野に応援のエールを送った直後に「バーニング」と発言[13][14]。発言意図及び意味は不明。
4月15日 北野がコメンテーターとして水曜レギュラー出演していた『情報ライブ ミヤネ屋[注 14]』(読売テレビ)を欠席。欠席理由については一切触れられず。[注 18]
4月16日 この日発売(首都圏)の、『週刊新潮』2009年4月23日号、『週刊文春』2009年4月23日号、の両誌にて北野の不適切発言に関する記事があり、北野が「バーニングの社長はヤクザみたいなもんやから」と、事務所社長である周防郁雄や同事務所関係者を揶揄した事に原因がある説を記事にするが、これに関してバーニングプロダクションの担当者は社長の激昂及びABCラジオ、松竹芸能への抗議は行って無いとして週刊誌の報道内容を否定している[15]。また、この件に「吉本興業が関わっている」との一部情報もあったが、吉本幹部が否定している[16]。
同日 『ナインティナインのオールナイトニッポン[注 14]』(ニッポン放送)においてこの騒動を取り上げ、岡村隆史が松竹芸能所属で北野の後輩にあたるよゐこにこの騒動について訊ねるが、よゐこも騒動の原因を把握していなかった事を俎上にあげる。
4月17日 この日放送の『探偵!ナイトスクープ』(ABCテレビ)の終了間際に北野が暫く番組を離れる事を発表。
番組の前倒し終了との関連は不明であるが、日本音楽事業者協会に寄せられた匿名投書によって、番組内において複数の正会員社の所属タレントに対する長期間にわたる数多くの不適切な発言、誹謗中傷が多数認められた事に協会は3月中に松竹芸能と朝日放送に抗議文と調査依頼書を送付。[注 19]両社はこれを事実と認め3月に謝罪して音事協を自主退会するに至る[17][18]。
4月28日 出演していたレギュラー番組を降板した北野が安倍彰松竹芸能社長と共に大阪市内のホテルで緊急の記者会見を開き、番組内及び番組関連イベントで不適切発言があったことを認め「特定の宗教団体や芸能プロダクション社長を誹謗したことが原因ではなく、番組内で同業者やその関係者を事実に基づかない話をラジオで取り上げて問題となり、謹慎処分については納得している」と説明。安倍も謹慎処分は「適切なもの」と説明したが不適切発言の詳細内容については説明を避けた。この記者会見において騒動の原因が明らかになっていない事に加え、表現の自由の自主検閲に全く説明が無い事に記者から疑問の声があがり、不適切発言とはいえ北野への過剰な処分を問題視されたことにつき安倍社長は幾度か改善策を話し合っていたが、若干対応が間に合わなかった旨を述べる。北野の謹慎期間は無期限としているが芸能界引退については強く否定した[19][20]。
創価学会黒幕説は、3月28日の竹内のブログ記事タイトルが「そうか、そうか!」となっており、またその前後記事の内容と比べて違和感のある話であった為、一部のリスナーが真相と見做した事から生じた。この騒動に関して竹内義和は自身のブログ(4月12日付)で、「(一部に憶測のあるような宗教がらみのトラブルが原因であるというのは)完全な誤解です」と説明。また、宗教は好きではないが、信仰の活動や権利は守るべきであり、守らねばならないと発言している。
5月20日 竹内が自身のブログで「不適切発言」の大半は竹内自身に原因がある事を明かし、北野に全責を負わせるような形になったのはマスコミに要らぬ誤解を与え、問題が大きくなるのを回避するためであったと説明。北野に追随する形で竹内もメディアへの露出は自粛する旨を告知した[21]。
この件について取材を打診されたテレビディレクターの森達也は、「抹消劇」については釈然としないながら、業界内における公然の禁忌と自主規制の双方が過敏に反応しあって事が拡大し、何らかの条件を満たした時点で問題が摩り替わり、結果『牛の首』に似た形になったのではないかと推察している[22]。
7月 板井が創設した『スレッドキングABC』が終了し、『ABCアシッド映画館』では平野が充電期間として降板。その三ヶ月後、10月をもって週一レギュラー放送を終了。
年があけて2010年2月20日、大阪通天閣の地下一階にある天劇の土曜の一回目の公演にて、謹慎明けはじめての復帰舞台で約10分のトークライブを行う。その北野のライブの前にオーケイが漫才をする予定だったが、相方が遅刻、急遽北野のトークが繰り上げで行われた。北野は謹慎中のやしきたかじん(たかじん兄さん)・松村邦洋との交流や、それに関するネタでトークを展開した。
2023年11月、『街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜』にゲスト出演した竹内によると、「芸能界の七奉行」と呼ばれる芸能プロダクションの逆鱗に触れたのこと[23]。
ABCラジオ公式ホームページ「メール&お便り」内の「終了した番組」欄に本番組の表記は無し[注 20]。ただ、かつて朝日放送ホームページ内にあった「朝日放送60年の歴史」の『そのときラジオ番組は…』欄の西暦1988年のところに「サイキック青年団」という記述が見られた。
2023年11月22日に三才ブックスから発売されたABCラジオが著者である「ABCラジオ本」にも本番組に関する記載は無く、ABCラジオの歴史上から抹殺された番組となっている。
2019年8月以降は、半年に一度のペースで主にKBS京都ラジオ「角田龍平の蛤御門のヘン」にて、北野誠、竹内義和、角田龍平の3名でレギュラー放送当時の雰囲気を残したトーク番組を放送している。同番組では元々、竹内が「論説委員長」と称して、月イチ程度のペースで単独出演していた。
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