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第40回衆議院議員総選挙
1993年に行われた日本の衆議院選挙 ウィキペディアから
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第40回衆議院議員総選挙(だい40かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は、1993年(平成5年)7月18日に日本で行われた国会(衆議院)議員の総選挙である。
反自由民主党票が野党第一党の日本社会党ではなく、保守系新党に流れ、自民党と社会党の対立構造からなる「55年体制」を終焉させた選挙だった。また現在において中選挙区制で行われた最後の衆議院議員選挙である。総選挙としては初めて即日開票のみで施行された。
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選挙データ
内閣
解散日
解散名・選挙名
公示日
投票日
改選数
- 511(
1)
- 9増10減の定数改正が実施された。
選挙制度
- 中選挙区制:129
- 2人区:
4)
8( - 3人区:39(
3)
- 4人区:34(
5)
- 5人区:46(
3)
- 6人区:
1)
2(
- 2人区:
- 選挙権
- 満20歳以上の日本国民
- 被選挙権
- 満25歳以上の日本国民
- 有権者数
- 94,477,816(男性:45,828,222 女性:48,649,594)
同日実施の選挙等
- 国民投票
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選挙活動
党派別立候補者数
都道府県別立候補者数
党派の動き

与党
- 内閣不信任決議可決と多数の離党者が出たことも影響し、公認は結党以来最少の285人に留まった。
野党
- 非自民・非共産
- 5党は連立政権樹立で合意し、自民党を上回る297人を擁立した。
- 第三極
- 2党は政策・選挙協力で合意し、70人を擁立した。
- その他
- 自民、非自民の両勢力から排除され、全選挙区に候補者を擁立した。
- 田川代表は自身の不出馬と、党の解散を表明した。
諸派・無所属
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- 板橋民主党(渋谷修代表)
- 前職の渋谷代表が東京9区から党公認で立候補した。
- 国民党
- 25名を擁立した。
- 東郷代表が東京1区から党公認で立候補した他、計25人を党公認で擁立した。
- 佐川究明!学生・市民・議員の会(山本敦代表)
- 山本代表が東京7区から立候補した。
- 新自民党(中松義郎総裁)
- 中松総裁が東京3区から立候補した。
- さわやか神戸・フレッシュ市民の会(後藤宜久代表)
- 後藤代表が兵庫1区から立候補した。
- 緑社会党(対馬テツ子党首)
- 対馬党首は立候補せず、東京10区に候補者を擁立した。
- 進歩自由連合(佐々木信夫代表)
- 佐々木代表が山口1区から立候補した。
- 近畿政治ほほえみの会(井手柾夫代表)
- 井手代表が大阪7区から立候補した。
- クリーン新党(酒井強代表)
- 酒井代表が埼玉1区から立候補した。
- 世界新党(後藤民夫代表)
- 後藤代表が愛知1区から立候補した。
- 憂国維新同志会奥羽統括本部(熊谷啓治本部長)
- 熊谷本部長が秋田1区から立候補した。
- 日本普遍政党(今井利夫代表)
- 今井代表が長野1区から立候補した。
- アジア建國党総本部(丹羽大介総裁)
- 丹羽総裁は立候補せず、広島3区に候補者を擁立した。
- 無所属
- 前職14人、元職7人を含む112人が立候補した。
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主な争点
政策
- 衆議院の選挙制度改革、政治資金規正法改正を柱とした政治改革の実現。
政局
選挙結果
要約
視点
前年の第16回参院選で議席を獲得した日本新党と、選挙直前に自民党から離党した議員らが中心となって結成された新生党や新党さきがけが躍進して「新党ブーム」が巻き起こった。自民党は党の分裂により選挙前から過半数を割り込んでいた上、突然の解散であったために新生党や新党さきがけに移籍した前職の穴を埋める候補者(いわゆる刺客)の擁立が間に合わず、現有議席を維持するのがやっとだった。社会党は「新党ブーム」に埋没する形で55年体制以降では最少議席数となる。日本共産党が1議席減の他、他党は全て現状維持か議席を増やしており、社会党の"一人負け"が際立つ形となった。二大政党が共に目標議席を大幅に下回り、国民の既存政党に対する不信感を裏付ける結果となった選挙戦は、非自民党勢の大躍進として注目を集めたが、投票率は当時としては過去最低の67.26%に留まった。
党派別獲得議席
- 投票率:67.26%(前回比:
6.05%)
- 【男性:66.39%(前回比:
5.54%) 女性:68.09%(前回比:
6.52%)】
- 野党(他)・無所属の公示前勢力(33)に、候補者を擁立しなかった進歩党(1)を含む。
党派別当選者内訳
都道府県別獲得議席
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政党
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議員
要約
視点
初当選者の中から、細川護熙[注 1]、安倍晋三、野田佳彦、岸田文雄の4人の内閣総理大臣を輩出している。自民党からは安倍、岸田の他、野田聖子、林幹雄、 塩崎恭久、根本匠、浜田靖一、小此木八郎、日本新党から細川、野田佳彦の他、前原誠司、枝野幸男、海江田万里、茂木敏充、小池百合子[注 1]、共産党から志位和夫、穀田恵二、公明党[注 2]から太田昭宏、石井啓一、斉藤鉄夫、無所属で田中眞紀子、高市早苗(現:自民党)、遠藤利明(現:自民党)、玄葉光一郎など、後に閣僚や党首など国政政党の要職に就任し、後の日本の政治に影響を与えるキーパーソンとなる人物が多く初当選している。このような議員が多いのはこの後、小泉純一郎や側近の安倍晋三が若手登用の政治改革を進めたことや彼らがテレビ番組に出演することが多かったことも要因である。また中央政界に限らず、小池、上田清司、松沢成文、中村時広、河村たかし、中田宏など後に地方政治において活躍する人物も多く輩出している点も特徴である。なお、自民党公認で当選した野田聖子と、無所属当選の直後に自民党の追加公認を得た田中は、1980年に山口シヅエが落選して以来13年ぶりの自民党女性代議士となった。
当選者
自由民主党 日本社会党 新生党 公明党 日本新党 民社党 日本共産党 新党さきがけ 社会民主連合 無所属
補欠当選等
いずれも要件に満たなかったため、補欠選挙は実施されなかった。
初当選
- 計134名
- ※ 参議院議員経験者
- 自由民主党
- 26名
- 日本社会党
- 5名
- 新生党
- 19名
- 公明党
- 26名
- 日本新党
- 35名
- 日本共産党
- 3名
- 民社党
- 1名
- 西村眞悟 (大阪5区)
- 新党さきがけ
- 4名
- 無所属
- 15名
返り咲き・復帰
- 計34名
- 自由民主党
- 18名
- 日本社会党
- 1名
- 坂上富男 (新潟3区)
- 新生党
- 2名
- 公明党
- 1名
- 坂口力 (三重1区)
- 日本共産党
- 4名
- 民社党
- 4名
- 無所属
- 4名
引退・不出馬
- 計48名
- 自由民主党
- 10名
- 日本社会党
- 13名
- 新生党
- 1名
- 松浦昭 (北海道1区)
- 公明党
- 20名
- 日本共産党
- 1名
- 佐藤祐弘 (東京10区)
- 民社党
- 1名
- 永末英一 (京都1区)
- 諸派
- 1名
- 無所属
- 1名
- 阿部文男 (北海道3区)
落選
- 計106名
- 自由民主党
- 33名
- 日本社会党
- 57名
- 新生党
- 1名
- 魚住汎英 (熊本1区)
- 公明党
- 1名
- 井上義久 (東京3区)
- 日本共産党
- 7名
- 民社党
- 2名
- 新党さきがけ
- 1名
- 岩屋毅 (大分2区)
- 諸派
- 1名
- 無所属
- 3名
記録的当選・落選者
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選挙後
要約
視点
国会
社会党、新生党、公明党、民社党、社会民主連合の5党は選挙の前から連立協議を始めていたが、合計195議席で過半数には届かず、自民党も223議席で過半数に届かなかったことから、日本新党と新党さきがけがキャスティング・ボートを握った。双方との交渉の結果、両党は非自民勢力・民主改革連合を加えた8党派による連立政権樹立で合意。この結果55年体制が崩壊、日本新党代表の細川護煕を首班とする細川内閣が成立した。
自民党は公示前議席を維持し、衆議院最大勢力であるにもかかわらず、結党以来初めて野党に移行した。一方の社会党は、左右統一以来の最低議席数でありながら、保守系新党が小党分立していたため、与党第一党として衆議院議長や5つの国務大臣ポストを獲得した。
- 衆議院議長選挙(1993年8月6日 投票者数:511 過半数:256)
- 衆議院副議長選挙(1993年8月6日 投票者数:506 過半数:254)
- 鯨岡兵輔 (自民党):477票
- 無効(白票) : 29票
- 内閣総理大臣指名選挙(1993年8月6日)
- 衆議院議決(投票者数:511 過半数:256)
- 細川護煕(日本新党):262票
- 河野洋平 (自民党):224票
- 不破哲三 (共産党): 15票
- 山花貞夫 (社会党): 2票
- 第129国会(常会)
- 会期:1994年1月6日 - 6月29日
- 内閣総理大臣指名選挙(1994年4月25日)
- 衆議院議決(投票者数:502 過半数:252)
- 羽田孜 (新生党):274票
- 河野洋平 (自民党):207票
- 不破哲三 (共産党): 15票
- 無効 : 6票
- 内閣総理大臣指名選挙(1994年6月29日)
- 衆議院決選投票(投票者数:504 過半数:253)
- 村山富市 (社会党):261票
- 海部俊樹 (無所属):214票
- 無効 : 29票
- 第135回国会(常会)[13]
- 内閣総理大臣指名選挙(1996年1月11日)
政党
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1994年5月、社民連は解散し、所属議員は日本新・さきがけなどに移籍。新生・公明・日本新・民社など社会・さきがけを除く細川・羽田内閣の旧連立各党は同年12月に新進党を結成した。
社会党は村山内閣発足後、山花貞夫など旧連立の枠組みを目指す議員を中心に民主リベラル勢力の結集を目指すが、1995年1月の阪神・淡路大震災の発生でとん挫する。また新進党の船田元やさきがけの鳩山由紀夫などが第三極の勢力結集を目指す動きを進めるも同じく合意に至らず。
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脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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