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南野陽子

日本の女優、歌手 (1967-) ウィキペディアから

南野陽子
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南野 陽子(みなみの ようこ、1967年昭和42年〉6月23日[3][4][5] - )は、日本女優タレント[6]歌手[7]。愛称は、ナンノ[8][注 1]

概要 みなみの ようこ 南野 陽子, 生年月日 ...

兵庫県[5]伊丹市出身[3]ケイダッシュ(1999年から2022年末まで)[11]を経て、サザンフィールド所属。

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略歴

要約
視点

歌手デビューまで

1967年6月23日近畿中央病院で産声を上げる[12]。父親が島田陽子のファンであったことと、太陽のように明るく育って欲しいとの思いから、「陽子」と名付けられる[13]尼崎市立塚口小学校伊丹市立伊丹小学校を経て[14]神戸市私立松蔭女子学院中学・高校へ入学[15]。同校在学中、友人と大阪の公開番組を観覧したときスカウトされる[16][注 2][注 3]。両親から猛反対を受けるが、「私の人生なんだから、私が決める」と芸能界入りを決意[16][18]。衣替えしていたのを見た母親は娘が家出すると勘違いし学校に相談。教師が「南野が歌手になるらしい」と他の生徒に発表して級友からお別れのカードを贈られるなどあとにひけない状況になったため、やむなく上京したという[19]

高校2年生の夏に上京し、CBSソニーのオーディションを受けて合格する[20]。CBSソニーでは山口百恵をプロデュースした酒井政利のセクションの担当となる[21]堀越高等学校に3学期から編入。1984年秋、テレビドラマ名門私立女子高校』(日本テレビ系)の生徒役で女優デビュー[8]

18歳の誕生日である1985年6月23日に「純だね、陽子」「可憐だね、陽子」のキャッチフレーズのもと、CBSソニーから「恥ずかしすぎて」で歌手デビュー[22][23][5]。この時、『週刊少年マガジン』1985年20号で表紙を、『DELUXEマガジン』1985年4月号でいきなり36ページの巻頭ページを飾る。

1985年8月:日生劇場「リトルウィミン―若草物語」で舞台デビュー。

スケバン刑事シリーズでブレイク

1985年11月:フジテレビ系ドラマ『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』で主人公の2代目・麻宮サキ役を演じる。アイドルが孤独と戦いながらハードアクションに挑むという過去に例を見ない設定は、小さい子供からハイティーンまで熱烈なファン層を生み[24][25]、一躍トップアイドルの座を獲得[22][8][26]して80年代後半のシーンを席巻する[5]。「おまんら、許さんぜよ!」の決め台詞も流行した[27]。1986年3月発売の写真集『陽子をひとりじめ……』は、それまで最高に売れたと言われる薬師丸ひろ子の記録を抜き[28]、当時の女性アイドルの写真集の発行部数でトップとなる。出演ドラマ・CMもヒットし、「10代の女神」と称されるなど当時のティーンエイジャー層に絶対的な人気を誇った[29]

デビュー時からニッポン放送でラジオの冠番組「南野陽子 落書きだらけのクロッキー・ブック」でパーソナリティを務め、1986年10月2日からニッポン放送の『南野陽子 ナンノこれしきっ!』開始。1990年6月24日に終了。当時ニッポン放送で2番目にハガキの多かった番組の3倍のハガキが届く[30]伝説の番組となった。アイドル番組史上最も人気のあったラジオ番組のひとつとされ[31]、ドラマや歌番組では伝わらない素顔や魅力を、ラジオが最大限に引き出すことを証明した[22][32]。アイドルでありながらコメディエンヌ的な素養も評価されており、「ヴァラエティ番組全盛期なら、最高の存在になれる人」との評価もあった[33]

トップアイドル時代

1987年:2月、映画『スケバン刑事』主演[2][34]。主題歌の『楽園のDoor』で初のオリコンチャート第1位を獲得[22]。4月リリースの『話しかけたかった』で音楽番組ザ・ベストテン』(TBS)でも初の1位となる[35]。ドラマ、映画、レコード、写真集とヒット作を連発し、「カリスマアイドル」[36]「ナンバーワン・アイドル」[37]と称される活躍を示す。

1987年にリリースされた『楽園のDoor』『話しかけたかった』『パンドラの恋人』『秋のIndication』の4作すべてで週間チャート1位を獲得し、この年の日本レコードセールス大賞アーティスト別年間シングルセールスで1位を獲得[38]

その後も『はいからさんが通る』『吐息でネット。』『あなたを愛したい』『秋からも、そばにいて』などヒット曲を連発[22]

8曲連続オリコン1位を記録[39](間をおいて「フィルムの向こう側」で1位を獲得。計9曲)[注 4]。1987年2月から1990年2月までの3年間で、1位を最も多く獲得した歌手となった[40]

曲と同名映画『はいからさんが通る』では、主演・南野の衣装が評判を呼び、卒業式成人式女子大正ロマン風にを履くスタイルが広まった[41][42][43][注 5]

1988年:NHK大河ドラマ武田信玄』に出演。1人2役を演じて注目を集める[8]。初回視聴率42.5パーセントと歴代大河ドラマ初回視聴率の最高記録を塗り替え、“ナンノ現象”と呼ばれた[44]。このころハードスケジュールから腎盂腎炎を発症し13日間入院[45]。仕事は続けていたため病院からテレビ局に通い、当時のヒット曲『吐息でネット。』を歌った[46]カネボウ化粧品の春のキャンペーンガールに起用され、CMソングとなった同曲は、自身最大のセールスを記録する代表曲となる[39][47]。3月リリースのベスト・アルバムNANNO Singles』はオリコンアルバムチャートで2週連続1位、4月のマンスリーチャートでもアルバム・LPカセットCDの四部門すべてでトップと四冠を達成する[48]

またフジカラーONKYO富士通JR西日本などCF出演クライアント数11社、関連商品数15件と、多数の企業のイメージキャラクターに起用されCMに出演[49]江崎グリコグリコアーモンドチョコレート、セシルチョコレートなどのCMキャラクターとしても起用され、山口百恵松田聖子といった、グリコの同商品のCMにおける正統派アイドル路線を継承した[50]

この年のフジテレビ系ドラマ『熱っぽいの!』『追いかけたいの!』の2作品に主演し、コミカルで愛らしいキャラクターを演じた[51]。当時の『ザテレビジョン』誌上のランキング人気投票では人気タレントやトップアイドルの名前が並ぶ中、俳優部門・歌手部門の両方で1位を獲得している[52][注 6]。全投票合計数でも、1987年から1990年まで4年連続で、女性タレントでトップであった[53]

ブロマイド年間売上成績でも第1位を獲得[22]。また同年グレナダが発行する『世界のスター切手』にティナ・ターナーマドンナエルトン・ジョンブルース・スプリングスティーンと共に、日本のスターとして切手の題材となる[54]

1989年:7月リリースのスタジオ・アルバムGAUCHE』がオリコンアルバムチャート1位を獲得[55]。8月、日本テレビ系列『24時間テレビ』のチャリティー・パーソナリティを務める[注 7]東南アジアの各国(カンボジアタイ王国ベトナム)を取材し学校や病院、孤児院などを訪問。現地の子供たちと交流した様子をリポート。同国への小児病院建設のための募金を呼び掛けた[56]。また、自身の楽曲「思いのままに」が番組のメイン・テーマ曲として使われた。12月、フジテレビ系ドラマ『あいつがトラブル』主演。

同年、当時の所属事務所エスワン・カンパニーから独立、個人事務所サザンフィールド設立、歌手活動はビーイングと業務提携した[57]

1980年代後半に最も活躍した女性アイドル4人(南野、中山美穂浅香唯工藤静香)は当時アイドル四天王と呼ばれていた[58][31][59][60][注 8]

別冊宝島の調査によると、1980年代のシングル総売上は年間ベスト50位以内に限っても232.2万枚と当時の女性アイドル中6位。年間ベスト50位以内ランクイン曲数も10曲と当時の女性アイドルでは中森明菜松田聖子に次ぐ3位[注 9]であった[61]

女優として

1990年代以降は主に女優業を中心に活動。舞台を含め250作以上の作品に出演。文芸作品からサスペンス、時代劇、コメディなど、幅広いジャンルで活動を続けている[8]

1990年:ウィーン・オーパンバルデビュタントとして、社交界デビュー[62]

1992年:歌手活動休止。女優業に専念。映画『寒椿』、映画『私を抱いてそしてキスして』主演。第16回日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞[2]

1995年3月:帝国劇場で公演された舞台『ゆずり葉の井戸』に出演。以後、舞台出演は年1本ペースで女優として活動の幅を広げる。

1999年:ケイダッシュへ移籍する。

2000年代: 歌手活動の再開

2005年:歌手デビュー20周年で、ソニー・ミュージックエンタテインメントより6月22日全アルバムを収納したCD-BOX『南野陽子 ナンノ・ボックス』9月28日『ナンノ・DVDボックス』、ポニーキャニオンより7月27日「はいからさんが通る/吐息でネット」をセルフカバー・マキシシングルとして発売。

2006年:芸能生活20周年企画として、自身のドラマ・歌手・映画・舞台の各シーンを再現したフィギュア「NANNO FIGURE」を発売。同年12月、第2弾としてグラビア編も登場。

2006年10月2日:ニッポン放送のラジオ番組『南野陽子 今日はナンノ日っ!』がスタート。十数年のブランクを経てラジオ番組のパーソナリティを5年間にわたり務めた。

2007年4月4日:フジテレビ系『森田一義アワー 笑っていいとも!』の水曜日レギュラーとなった。

2008年4月3日:笑っていいとも木曜日レギュラーへ移動し、2009年10月1日まで2年6か月間出演した。
9歳から住んでいた兵庫県伊丹市から、同市をPRする「伊丹大使」の委嘱を受けた[63][64][65]

2008年12月:テレビショッピング専門チャンネルQVCにて、女優の普段着をコンセプトにした本人企画・デザインのブランド「Actress Princess」を立ち上げる。

2010年代

2010年4月:NHKEテレ「芸能百花繚乱」進行役就任。2013年4月からは、番組リニューアルにより「にっぽんの芸能」全体の司会進行をNHKアナウンサーの古谷敏郎と共に務める[66]

2010年11月:『ナンノ・アニバーサリー25th』、2011年2月『ReFined-Songs Collection 〜NANNO 25th Anniversary』リリース。

2011年3月:知人を介して焼肉店で知り合っていた4歳年下の会社経営者の男性[注 10]と結婚。報告会見で自身も晩婚と認めていたことと代表作がスケバンであったことから「スケバン(晩)婚」とギャグを行った[67]

2012年6月13日:森口博子西村知美とのユニットを結成(「Blooming Girls」として「Knock!! Knock!! Knock!!」でCD発売。)。

2013年8月:公式ファンクラブ「Nanno Club」会報100号(通巻101号)で9月30日付でファンクラブ活動終了を発表。9月2日: Facebook南野陽子公式ページ「Nanno Club part3」開設。

2015年12月9日: 歌手デビュー30周年記念盤として、『ゴールデン☆アイドル 南野陽子 30th Anniversary』をリリース[68]

2016年2月:約25年ぶりとなるソロコンサート「〜南野陽子デビュー30周年記念コンサート〜NANNO 30th ANNIVERSARY」を大阪・東京で、計6公演開催[69][70]。同年6月26日:デビュー30周年記念コンサートの追加公演「〜南野陽子デビュー30周年記念コンサート〜NANNO 31st ANNIVERSARY〜シンデレラ城への長い道のり〜」を舞浜アンフィシアターにて開催。

2018年:NHK大河ドラマ西郷どん』に幾島役で出演。

2020年代以降: カンボジア親善大使への任命

2020年:最高視聴率32.7パーセントを記録したTBS半沢直樹』第2シリーズに平山美幸役で出演。

2021年:『ネメシス』にチームネメシス最後のメンバーとして出演、役作りとして髪色を大幅に変えた[71]。同年、16年ぶりの新曲「空を見上げて」「大切な人」を発表。翌年には7インチアナログとして両A面でシングル発売[72]

2023年:カンボジア親善大使に任命される[73]。同年11月27日、夫と離婚したことを発表[74]

2024年:番組で知り合ったことをきっかけにNight Tempoのアルバム『Connection』にゲスト・ヴォーカルとして参加[75]韓国毎日放送の音楽番組『日韓歌王戦』『日韓トップテンショー』に出演[76][77]

2025年:5月、京都府舞鶴市の親善大使に就任[78]。6月、神戸松蔭大学[注 11]の客員教授に就任[80]。オフィシャルファンクラブ「Nanno Club part5」開設[81]

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人物

要約
視点

人柄

  • アイドル時代、ロケ先などで缶飲料はそのまま口を付けては飲まずに、缶にストローを刺して飲む独特のスタイルで知られた[82][83]
  • 幼いころは「少年少女世界文学全集」を好んで読んでいた[84]。小学6年生当時の自身の将来の夢は、イラストレーター中国語通訳社長秘書。高校生時代にスカウトされるまで、芸能界への興味はあまり無かったという[85]
  • 仕事などから帰宅してすぐに、必ず5分は、自宅の清掃を行うという[86]。これは、オンとオフを切り替えるための儀式のようなものであるという[86]。また、日課として最低1時間は風呂に入り、さまざまなことをしてリラックスするという[87]
  • 髪型は『スケバン刑事II』のころからハーフアップにすることが多く、南野の定番スタイルとなっている[88]。ハーフアップやポニーテールレースモヘヤの衣装といった柔らかいイメージのビジュアルとなっていったのは、多くのアイドルがひしめいていた中で他と差別化する意図もあったと語っている[85]
  • 基本、運動はしないものの、36歳の時に行った富士登山をきっかけに、登山を楽しむようになった[89]
  • 南野の愛称は「ナンノ」であるが、実はそれこそが一族本来の名字の読みだったことがNHKのファミリーヒストリー(2023年6月2日放送)で判明した[90]。自分の3代くらい前で読みが「ナンノ」から「ミナミノ」に変わったらしいと本人も明かしている[9]

美容・健康

美肌女優の評判がある南野[86]ではあるが、仕事時のメイクの9割以上は自分でこなしているという[86][91]。普段のスキンケア化粧品については「みんなが気軽に手にできるようなもの」を使用しており、美容医療にも特に興味はないと語っている。見た目の若さに固執しないことと綺麗を諦めることは同義ではないといい、加齢に伴うその年代らしい美しさがあるとしている。マイルールは良く寝て良く食べること。年齢を重ねたらある程度ふくよかな方が落ち着きがあってよいと語り、ストレスになるダイエットはしない主義。運動音痴なのでジムにも通わず、無理なく続けられるものしかしないのが南野流美容法としている[84][92]香水資生堂の「シャワーコロン」から始まり、資生堂「インウイ」、カルバンクライン「エスケープ」を経て、イヴ・サンローラン「ベビードール」、エスティローダー「プレジャーズ」などを愛用していた[93]。お気に入りのフレグランスは「アックア・ディ・パルマ」のもの[84]

親族・交友関係

  • 弟がいる[5]
  • 南野の父方の先祖は明治のころ、兵庫県前坂村(現・西脇市黒田庄町前坂)で農業馬喰を生業としていた[90][94]。南野は2011年に母を亡くし[95]、兵庫県の実家に、一人残された父は気分が沈みがちになったため、心配した南野は東京の自宅に父を呼び寄せ、一緒に生活をしていたが、2022年に父も85歳で亡くなった[96]
  • 本田美奈子.とは芸能界で最大の親友であり、CMで共演した。また、岡田有希子とも仲が良かった。2名とも南野の堀越高等学校在校時のクラスメートである。堀越高校のクラスメートには他に倉沢淳美桑田靖子柴田くに子セブンティーンクラブ)、田中久美長山洋子松尾久美子松本友里宮崎萬純などが居る[97]
  • 松本典子が南野のコンサート[98]を観に行った際に関係者の紹介で楽屋へ訪問したところ、南野の方から「電話番号おしえてください」と声をかけられ、同じレコード会社で考えも似ているところがあることから交友が深まったという[99]。松本はその後南野のラジオ番組に出演しその際のエピソードを披露している[100]。また南野が病気で倒れた際は、南野に代わり『ナンノこれしきっ!』の代理パーソナリティを務めた[101]

逸話

マガジンガール
上京して堀越学園に転校したが、売れっ子は学校に来れないが南野は毎日通っていたため、「南野、仕事無いのか?」と心配されるほどだった。そのため学校のアイドル友達に仕事の種類や請け方を聞いて、自らテレビ局や雑誌社へ売り込みに回っていた[102]。マスコミ関係者に会うたび「お仕事ください」と言っていたという[103]。そのような中、『週刊少年マガジン』兄弟誌の『DELUXEマガジン』で4ページの特集記事が決まる[20]。喜んで撮影に出かけたが、高校生ながら完璧にメイクされた不自然な自分の顔に違和感があり、化粧室で黙ってメイクを落とした。雑誌に掲載されたその時の写真は酷い出来になっていた。リベンジのため再度編集部を訪問して自分の思いや要望を伝えたところ、今度は『マガジンガール』[注 12]として20ページの特集が決まった[102]。南野は「ビートたけしさんより先に講談社へ乗り込んだ」と語っている[104]。カメラテストの際、カメラマンの野村誠一が表情の乏しさを指摘していたことから反省し、菊池桃子斉藤由貴川島なお美などのトップアイドルや女優の写真を見て表情の研究をして撮影に臨んだ。その甲斐もあり、20ページの予定が36ページの特集となった[102]。こうしたマガジンガールとしての活躍が業界関係者に注目され、『スケバン刑事』への起用に繋がっていく[105]
スケバン刑事
スケバン刑事II』でアクションをこなし、土佐弁訛りを交えた決まり文句「鉄仮面に顔を奪われ十と七とせ、生まれの証しさえ立たんこのあてぇが何の因果かマッポの手先。二代目スケバン刑事(デカ)麻宮サキ。おまんら許さんぜよ!」は子供たちの「ごっこ遊び」に反映され、若者の間でも流行した。しかし運動が極度に苦手で、アクションシーンの撮影に苦労する。たとえば腕立て伏せができなかったため、ワイヤーで腰を上から吊ってもらったり、リンゴの中身をくり抜いて握りつぶしたりなどが挙げられる[106]。助監督の武田秀雄は、「(南野が)初めてでんぐり返しをできるようになった時は、スタッフ全員で拍手したんですよ」と語っている[107]。撮影現場では、「遅い」「どんくさい」「帰れ!」などと厳しい言葉を言われ、できない自分に泣いたこともあったという[108]
『スケバン刑事II』への起用が決まった時は「学園ものが決まった」と伝えられ、自分が出演するのは学園ドラマだと思っていたので、「だまされたって思った」と本音を明かしたことがある[109]
テレビシリーズで監督を務めた坂本太郎は、「陽子ちゃんはクレバーでね、内にこもるタイプだったなぁ。そういう意味ではとてもアイドルっぽかったと思う」「芯が強くて、非常にプロ意識が高い女の子でしたね」と評している[110]
劇場版スケバン刑事では撮影前に監督の田中秀夫に「何でも自分でやらせて下さい」と直訴し、体調の問題で2カットだけスタントマンを使った以外は南野本人がすべてこなしたが、それでも吹き替えを使ったことに関しては非常に悔しがったという[111]。殺陣師の岡田勝は、テレビシリーズの撮影前に大野剣友会の道場で特訓した際は、前転も腕立て伏せもできなかったころの南野とは別人のように成長したと語り、南野や初代仮面ライダー藤岡弘のようなガッツや根性のある役者は必ず成功すると語っている[112]
劇場版での麻宮サキヘリコプターに乗った敵との戦闘・爆破シーンの撮影は昭和の特撮テレビ番組で恒例の採石場(寄居、大英鉱業)で行われた。「アクション映画には弾着や爆発はつきものだから、と割り切ってやりましたけど、はっきりいってあんなこわいものはありませんね。坂上忍さんのように50発も火薬を体につけられなかっただけ、しあわせでした」と撮影時の苦労を振り返った[113]
ナンノこれしき
1987年のニッポン放送のイメージキャラクターに選ばれ、デーモン小暮と歌う「まかせてチョンマゲニッポン放送」のジングルがこの年使用された。自身のラジオ番組『南野陽子 ナンノこれしきっ!』はそれまで聴取率の低かった日曜深夜という時間帯[注 13]ながら、ハガキやプレゼントの量はトップを独走する人気番組となった[114]
  • 『ナンノこれしきっ!』で南野のモーニングコールが録音された「ナンノで起きろカセット」のプレゼント企画をしたところ、それまで最大だったチェッカーズの10万枚を上回る、ニッポン放送史上最大の15万通のハガキの応募が集まった[115]。また、上記の企画で集まった大量の応募ハガキを、雑誌のカメラマンが「上に投げてみて」とリクエストしたところ、南野は「リスナーが書いてくれた大切なハガキを投げるなんて、できません」とはっきり断った。番組ディレクターの松島宏は、南野を「ファンの気持ちをとても大切にする人」であると語っている[116]
  • 「好きなヒーロー、テレビ番組は『超人バロム1』」と公言し、『ナンノこれしきっ!』内でもしばしば話題に取り上げていた[117]。また、TBSで放送されていた『テレビ探偵団』において、子供のころ好きだった番組は「北斗と南が2人で変身するまでの『ウルトラマンA』」と答え、「2人で変身してこそエース」と発言している。
  • マイクロキャビンアクションロールプレイングゲームサーク』に、南野演じる南条円そっくりの看護師が出てくる。主人公ラトクに「熱っぽいの?」と聞くと、ラトクは「ナンノこれしき!」と答える。
歌番組
  • 新曲を発売する度に歌番組で着用する衣装を自らデザインしていたが、先輩の中森明菜からは大きな影響を受けていたという[118]。衣装の自作は自分の個性を出すためであると同時に、ファンが真似て着てもいいようにと、派手にならず価格も安くあげていたという[119][注 14]。歌番組では他の出演者の衣装の色と被らないようにしたり、セットと衣装との兼ね合いなど、画面で見たときに華やかに見えて視聴者に喜んでもらえるようにと、様々な部分でこだわりがあったと語っている[120]。また、振付は多忙でレッスンを受ける時間が無かったため、移動中の車の中で自ら考案していた。当時は毎日が紅白歌合戦のようだったと述懐している[121]
  • ザ・ベストテン』のプロデューサー・山田修爾は、年一回、年末に『ザ・ベストテンスペシャル』をやる時、ランスルーで自分の出番が終わっても最後まで3〜4時間、ずっとMC席に座って他の歌手の歌を聞いていたのが南野と中森だったと語っている[122]
  • 夜の9時を過ぎるとテレビが消されてしまう家庭で育ったので[123]、『ザ・ベストテン』に自身が出演するようになった際は(第10位からカウントダウン形式で発表される中で)早く出ないと小さな子が見られなくなるのでランクは低い方が良いと番組内で語っていた[124]。『話しかけたかった』で初めて2位になった際は「よい子のみなさん、遅くまで起きてくれてどうもありがとう」と番組を見ている子供たちへ向けてメッセージを送った[125]
  • 日本テレビ系『歌のトップテン』に出演した際、南野をモデルにした作品を文化祭に出展したことがきっかけで、番組にゲストとして呼ばれた男子高校生と握手する時、衣装の長い右手袋をわざわざ取って、直に握手したというエピソードが残っている。1988年11月放送。
コマーシャル
  • アイドル時代、オーディオメーカーのONKYOのCMキャラクターに起用されていた[126][注 15]。当時はミニコンポがよく売れた時代で、高校の合格祝いにミニコンポを買ってもらう人が多く、その際に“南野陽子のオンキヨー”といった指名買いが非常に多かったという[127]。南野がCM出演していたミニコンポ「ラディアン」はよく売れたといい[128]、当時のONKYOの営業担当者は「右手にパンフレット、左手には南野陽子さんのテレホンカードの束を持って商談に臨んだ記憶があります。バイヤーからは、商談に来なくていいからテレホンカードだけ持ってきてくれと言われたこともありました」と語っている[129]
アイドル時代
  • デビューした時、「3年間は男の子と口をきかない」と決めて、それを守った。アイドルだから変なことで噂になってはいけないと思い、他の役者とも挨拶や打ち合わせ以外では話さなかった。ストイックにファンの人が嫌がることはしないと決めていたという。歌番組で他のアイドルが男子からちょっかいを出されていても、話しかけるなオーラを出していた南野には一度も無かった[130]。1位を獲るまでは男の子とは話さない、好きな食べ物を我慢するなど自らを律していたという[131]
  • 『スケバン刑事II』に出演していたころにフジテレビ局内でとんねるず石橋貴明が彼女とすれ違った時、あまりの綺麗さに衝撃を受けたらしい。1988年の正月特番『ナンノこれしき とんねるず』で石橋は「前から応援していた本当の(南野)ファン」と語った[132]。南野は、歌番組で一緒に居ると安心したのがとんねるずだったと語っている[133]。その後TBS時間ですよ』、フジテレビとんねるずのみなさんのおかげです』などで多く共演を果している。
  • 歌のトップテン』の司会者だった徳光和夫は当時を振り返り、「テレビ局のスタッフも南野さんのあまりの綺麗さにざわついた」と語っている[134]
  • ザ・ベストテン』のプロデューサー・山田修爾は、南野の番組初出演時を振り返り、「会う前は、また、ちょっと可愛コちゃんか、くらいにしか思ってなかった。が、会った途端、ボク流の見方でいうと『スター』らしさがあった。エライ美形なんです。正直、新鮮な驚きでしたね」と語り、また、「南野陽子の魅力は、単なる可愛いコではないゾ。ということに尽きると思いますが、加えて、これまでの芸能界にはなかった品があるからではないでしょうか。しかし、スター性がある。それが南野陽子の価値だと思っています」と語っている[28]
  • 水着姿になるのが嫌で[注 16]、レコードデビューする際に「水泳大会と、レコード会社対抗の運動会の2つに出なくていいんだったら」ということを、その条件として提示していたという。衣装についても「これは無理」などと意見したり、あるCMの撮影現場で、衣装は洋服のワンピースを約束したつもりが用意されていたのが「ワンピースの水着」だったことで、約束と違うということですぐその場から帰ったこともあったと打ち明けたことがある[136]
タレントとして
  • GLAYTAKURO氣志團綾小路翔がタクシーを止めたところ、乗車拒否された。そのタクシーが少し走った先で止まり客を乗せていたため、誰だと思い見てみるとその乗客は南野であった。また、中森明菜が後年、当時活躍していた女性アイドルでもし喧嘩したら負けそうなアイドルは誰か尋ねられた際、中森は南野の名前を挙げたという[137]
  • 2007年『笑っていいとも!』レギュラー出演が決まった際の会見では、「活躍は出来ないと思います」と語った[138]。しかし、2008年5月 - 9月まで放送されたクイズコーナー「ザ・共通10」での正答率は高く、正解回数は1位だった。また最速正解記録も持っており、わずか6秒で正解していたことが「ザ・共通10ファイナル(最終回)」にて発表された。年末恒例の『笑っていいとも!特大号』の「ものまね歌合戦」コーナーにも出演、2007年はにしおかすみこを、2008年は鳥居みゆきをそれぞれ披露した。

音楽性

正統派アイドルと称された南野は、音楽志向の強かった中森明菜本田美奈子と異なり、伝統的なアイドル・シンガーであった[139]。『ジェラート』から『GARLAND』のころまではひとりの少女の成長を見守るように一曲一曲が作られ、山口百恵松田聖子の系譜に並ぶ、ソニー謹製・正統派アイドルソングの宝庫となっている[140]。南野が学生時代を過ごした神戸三宮辺りのノーブルな佇まいを醸し出す上品でクオリティの高い楽曲群は、デビュー以来南野のサウンドを支えてきたCBSソニーの担当ディレクター・吉田格、編曲家の萩田光雄の功績に他ならない[140][141][142]

CBSソニーの女性アイドルには、天地真理南沙織浅田美代子キャンディーズなどがいたが、ディレクターの吉田は、そうしたエンターテインメントの時代の路線ではなく、自分のライフスタイルを歌にしてポップなメロディに乗せる、松任谷由実竹内まりやのような路線を意識していたという[143][144][145]。作曲家陣も木戸やすひろ岸正之亀井登志夫柴矢俊彦国安わたるといったメンバーで、作詞者も小倉めぐみ康珍化戸沢暢美といった布陣。従来の歌謡曲やアイドル・ポップスを手掛けてきた職業作家たちではなく、バンド経験者やシティ・ポップ系のシンガー・ソングライターによる楽曲が主流であった[146]

太田裕美や山口百恵が所属していたCBSソニーの吉田の制作部署では、萩田光雄という編曲家は絶対的な存在であったという[147]。南野のデビュー当時はすでに打ち込みが主流の時代となっていたが、萩田はデジタルと生楽器をブレンドしてオーガニックな手触りを引き出す手法を用いて、軽やかな南野のボーカルを立たせるエレガントなサウンドを構築した。南野の清楚なお嬢様イメージには、萩田の上品なサウンドが大きく貢献していた[146]

萩田は、個人的に最も楽しかった仕事は南野のプロジェクトであったとし、次のように語った。

たとえば役者が台本を受け取り演出家監督に演技指導を受け、その役になりきろうと精一杯演じる。あのころのアイドルはみんなそういったものだったが、次第にシンガー・ソングライターやアーティストが増えてくると、アイドルもセルフ・プロデュースなどと言い出すようになってきた。専門家の書いてきた台本を演じるのではなく、私にも書けるから自分で演出したい……というようなことになってくるのだ。それは私ら専門家の作るテイストがクサいと感じるようになっていったのかもしれないが、私らから見たらそちらのほうがアマチュアっぽく思えるのだが、どうだろうか。
その意味で、南野さんが最後の正統派アイドルと言われているのもよく分かる。彼女はディレクターなり作曲家やアレンジャーの「これはいいよね」「こういう方向でいこう」というアイデアを、ちゃんと演じることができる理解力と吸収力のある人なのだ。それが正統派アイドルというもので、決して馬鹿ではできない。彼女はお嬢さん育ちだし、多少わがままなところもあるが、プロ意識と根性は一級品だった。萩田光雄、『ヒット曲の料理人 編曲家・萩田光雄の時代』[148]
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ディスコグラフィ

要約
視点

※最高位はオリコン調べ

シングル

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出演

要約
視点

テレビ

ドラマ

その他の番組

アイドル時代の多数の歌番組のほか現在も各種バラエティなどにゲスト出演しており、司会の経験もある。

映画

ほか

舞台

ラジオ

レギュラー

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書籍

単行本

  • ORE BOOKS 1・まるごと南野陽子BOOK(1987年9月、講談社ISBN 978-4-06103-102-9
  • 月夜のくしゃみ(1989年7月、角川書店) - エッセイ ISBN 978-4-04883-241-0
  • 南野陽子 Beauty Book(2010年6月、主婦と生活社) - 美容テクニック&エッセイ ISBN 978-4-39113-866-5[注 19]

写真集

  • 陽子をひとりじめ……(1986年4月、講談社) - 撮影:野村誠一
  • スケバン刑事II写真集(1986年9月、白泉社) - 撮影:大松龍
  • 映画「スケバン刑事」写真集 愛のセーラー服戦士(1987年、バンダイビジュアル
  • 生のまま天使風来(1988年11月、ワニブックス) - 撮影:野村誠一
  • Yoko Minamino-my dear(TYO tiny pictures)(1991年1月、CBSソニー出版) - 撮影:野村誠一ほか
  • 南野陽子 Great-ALL SELECTION(1991年4月、講談社) - 撮影:沢渡朔ほか
  • FLOWERS(2004年10月、集英社) - 撮影:山内順仁

連載

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脚注

参考文献

外部リンク

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