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くりはら田園鉄道線

くりはら田園鉄道の鉄道路線 ウィキペディアから

くりはら田園鉄道線
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くりはら田園鉄道線(くりはらでんえんてつどうせん)は、宮城県登米市石越駅と同県栗原市細倉マインパーク前駅まで結んでいた、くりはら田園鉄道鉄道路線である。2007年に廃止された。

概要 くりはら田園鉄道線, 基本情報 ...
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概要 全ての座標を示した地図 - OSM ...
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路線データ (廃止時)

  • 路線距離(営業キロ):25.7 km
  • 軌間:1067 mm
  • 駅数:16駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:なし(全線単線
  • 電化区間:なし(全線非電化
  • 認可最高速度:75 km/h(くりはら田園鉄道移管後)
  • 閉塞方式
    • スタフ閉塞式(石越 - 若柳間、栗駒 - 細倉マインパーク前間)
    • タブレット閉塞式(若柳 - 栗駒間)
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宮城県 1966年の地図。

歴史

要約
視点

1921年(大正10年)、栗原軌道として東北本線と接続する宮城県北西部にある登米郡石越村(現・登米市)の石越駅から、栗原郡若柳町大岡村を経由して、同郡沢辺村(現・栗原市)の沢辺駅までの約9 kmの区間において、762 mm軌間の軽便規格路線(ただし軽便鉄道法ではなく軌道法に準拠)を以って開通した。翌年には岩ヶ崎町まで延長し、全線で約17 kmとなった。いずれの駅も迫川およびその支流の三迫川の左岸(北岸)側にあり、戦後の昭和の大合併前後に生まれた石越町・若柳町・金成町(沢辺村は金成村隣接)・栗駒町の各町の中心部隣接あるいは近接していた。以降、これら5駅の間に駅を増やしていった。1941年(昭和16年)に運行会社は社名を栗原鉄道に改め、翌1942年(昭和17年)に全線を地方鉄道法準拠の鉄道線に変更し、同年に三迫川の右岸(南岸)側にある鶯沢村細倉鉱山まで路線を延ばした(全線:約25.7 km)。

開業から戦後までは軌間762 mmの非電化路線であったが、戦後復興期になると石炭価格の高騰・低質炭の流通から、1950年(昭和25年)に直流電化を行った。従来に比べ列車最高速度は2倍、運転時分は40%短縮、列車回数は50%増となり、運輸収入は25%増となった[2]。さらにその5年後の1955年(昭和30年)には石越駅における貨物の積み替えの手間を省くため、東北本線と同じ軌間の1,067 mmに改軌して直通を可能にした。同年、運行会社の社名も栗原電鉄となったが、1964年(昭和39年)に陸前乗合自動車との合併で宮城中央交通に変わり、1969年(昭和44年)に栗原鉄道に社名が戻った。こうして東北随一の近代的な路線へと成長したものの、乗客・貨物の減少により1970年(昭和45年)から赤字経営に陥り、1988年(昭和63年)に細倉鉱山が閉山となると収入の柱であった貨物輸送が廃止され、経営悪化に拍車をかけた。

欠損補助打ち切りを契機として、1993年(平成5年)には三セク化により路線が沿線自治体の手に委ねられることとなり、さらに1995年(平成7年)には設備の老朽化により電化を廃し、運行会社の社名もくりはら田園鉄道と改め[3]、廃止までの10年余りを運行した。なお、電化廃止により新造した気動車(ディーゼルカー)による運行となったが、架線柱などは存置され、また旧来のタブレット腕木式信号機などの信号設備が引き続き使用されたため、電化時代の面影を廃線時まで色濃く残していた。しかし、その後も乗客の減少は続き、赤字の大半を補填していた宮城県が2003年(平成15年)に支援打ち切りを表明し、以降も状況が好転しなかったことから、2007年(平成19年)にやむなく廃線となった。

年表

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運行形態

1 - 2時間に1本程度の運転であった。土曜日休日には朝と夜の2往復が運行されず、代わりに午前中に1往復が運行されていた。全列車が1両単行によるワンマン運転を行っていた。沿線には高校が数校あり、学生が利用するため朝の1往復をKD10の2両編成で運行していたこともある。車両の夜間滞泊若柳駅細倉マインパーク前駅で行っていた。

栗原電鉄時代の最盛期には、「栗駒フラワー」「栗駒もみじ」といった日本国有鉄道(国鉄)仙台駅から東北本線を経由して、石越駅から当線に乗り入れて細倉駅まで直通する臨時旅客列車も設定されていた[15]

車両

利用状況

要約
視点

輸送実績

くりはら田園鉄道線の輸送実績を下表に記す。輸送量は、ほぼ一貫して減少し、回復をみないまま廃線となった。 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

さらに見る 年 度, 輸送実績(乗車人員):万人 ...

鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋

営業成績

くりはら田園鉄道線の営業成績を下表に記す。

表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で、その他の極値を黄色で表記している。

さらに見る 年 度, 旅客運賃収入:千円 ...

鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋

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駅一覧

  • 全駅宮城県に所在。
  • 駅員のいる駅は、若柳駅沢辺駅栗駒駅となっていた。ただし3月18日から3月31日の廃止までは石越駅にも駅員が配置されていた。
さらに見る 駅名, 営業キロ ...
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未成線

栗原軌道は若柳から一迫村への支線や沢辺から金成への支線、築館から金田への支線、栗駒駅から鶯沢町内への支線の特許を取得していたが、その全てが1924年に失効している[16]

廃線跡の状況

清算法人に移行したくりはら田園鉄道は、順次関連施設の撤去、取り壊しを進めた。当時は金属価格(特に銅)の価格が高騰しており撤去費用の捻出が可能だったことから、道路交通法に関係する踏切を構成する設備、栗原電鉄時代の名残だった架線および架線柱は廃止から比較的早い段階で撤去された。また、津久毛駅と栗原田町駅周辺にあった津久毛変電所・田町変電所は2009年に解体された。有人駅だった沢辺、栗駒を含む大半の駅も2010年までに解体されている。

線路に関しては多くが存置されており、鉄橋等もバリケードが築かれた程度で撤去は進んでいない。これには栗原電鉄が重金属を輸送していたため、路盤が汚染されていることも影響しているとされる[17]

動態保存

廃止となった2007年には、「くりでん自作トロッコ全国交流フォーラム」のほか、11月10 - 11日にかけて栗駒駅を会場に「くりでん体験乗車会」が開かれた。体験乗車会には、かつての営業車両を使用するため、11月8日に若柳 - 栗駒間をDB10形 (DB101) 機関車に牽引されたKD95形 (KD953) 気動車を回送。同月12日に返却回送が行われている。

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旧くりはら田園鉄道若柳駅構内で一般乗車用に使われる4人乗り軌道自転車「くりでんレールバイク」。宮田工業栗原工場製。

栗原市は2010年に若柳駅跡に「くりはら田園鉄道公園」を整備し[18]、若柳駅から石越駅側へ約500mの区間を往復運転する動態保存を開始した。原則、毎月第2日曜日を運転日としている。石越駅側の折り返し地点には、動態保存事業に際して新設した「片町裏信号所」がある。行き違い施設はないものの信号扱所があり、若柳駅との間でタブレット閉塞や電話連絡、腕木式信号機の操作を再現している。 2014年4月から列車の運行がない週の日曜日等に同じ区間で4人乗り軌道自転車宮田工業栗原工場製)による「くりでんレールバイク乗車会」が行なわれている。いずれも運営は、市のほかOB社員や鉄道ファンらで組織する「くりでん保存愛好会」が行っている。

くりはら田園鉄道線に関する楽曲

  • 「windy train」(樋口了一、いずれも2006年発売のマキシシングル「windy train」、「風の呼び声/windy train」に収録)
  • 「鉄路にさよならを」(SUPER BELL"Z、2007年発売のアルバム「MOTO(e)R MAN 鉄子の旅」に収録)
  • 「風のうた」(姫神、くりはら田園鉄道のイメージ曲で、この曲のみ収録したオリジナルのシングルCD「風のうた くりはら田園鉄道に想いを寄せて」がグッズとして販売されていた。アルバム「マヨヒガ」に収録)

脚注

参考文献

関連項目

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