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ごちそうさま (テレビ番組)
日本テレビで放送されていた料理番組 ウィキペディアから
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『ごちそうさま』は、日本テレビ系列で1971年1月11日から1998年3月31日[1]まで平日の午後に放送されていた料理番組である。味の素の一社提供[注 1]。
概要
要約
視点
放送開始当初から25年3か月に亘り、俳優・司会者・タレントとしての活動が多かった高島忠夫・寿美花代夫妻が司会を務めた。
1987年秋の改編以降は、制作局の日本テレビ及び同時ネット局の場合では『午後は○○おもいッきりテレビ』の13時台前半頃に内包された(後述)。
1996年1月に放送開始から25周年を迎えたことから、同年3月29日の放送をもって放送開始から長年司会を務めた高島夫妻が勇退、同年4月1日の放送からは俳優の辰巳琢郎とタレントの大東めぐみに司会が交代され放送終了までの2年間務めた。
番組内容
番組の内容は、ゲストが自慢料理を自ら作って紹介したり、金曜日はレポーターがおいしい店を紹介するものだった[2][3]。高島夫妻時代は年に何回か地方で公開録画を実施、この時はレポーターも出演した[注 2]。さらに毎週水曜日は高島夫妻だけが受け持つ「ふたりのキッチンルーム」というコーナーがあった。
番組エンディング(正確には2回目のCMに入る前)では原則として、高島忠夫が「ごちそうさまでした」のセリフで締める(公開録画の放送日で、かつそれが水曜日に該当する場合は「明日は東京のスタジオからお送りします」も加わる)のが基本であったが、1987年5月21日放送分でゲストを招いた際における「(ゲスト)、頑張ってください」や、「ふたりのキッチンルーム」における「お試しください」「失礼いたします」のセリフで締めるなど多少の例外はあった。
ゲストが歌手だった場合、試食タイムの前にゲストの歌のコーナーを別途に設けていた[注 3]。通常は番組中程で披露するのが基本だった(そのためこの場合に限り、試食タイム時にピアノ演奏のBGMはない)が、1985年6・7月にTHE GOOD-BYEがゲスト出演した際に最初のCM明けにいきなり披露されるなど例外もあった[4]。
味の素の一社提供につき、原則として調味料にはうま味調味料の『味の素』と味の素製品[注 4]が必ず用いられた。そのため、バターは味の素が販売していたマーガリン『マリーナ』で代用していた。
番組内CMでは親会社のみならず子会社のAGFのCMが流れることも少なくなかったことから、ゲストが菓子類を披露した際には試食タイム(おおよその目安としては13:10頃)になると、AGF製品の姿がチラリと映えることが稀にあった。
番組の終焉
1997年に一社提供スポンサーである味の素が総会屋へ利益供与を行った事件が発覚[注 5]。これに伴い味の素は一社提供スポンサーを降板し、1998年3月31日[1]をもって番組は終了。27年3か月の歴史に幕を下ろした。
テーマ曲
開始当初は高島夫妻による主題歌が存在(曲名不明)。スカンク人形の登場からは、坂田晃一作曲による番組独自のテーマ曲(曲名不詳)が長らく使われることになる[5][注 6]。辰巳・大東時代の2年間は、服部克久作曲の「収穫祭」が使われた。
高島夫妻時代におけるオープニング映像
オープニングはスカンクをモチーフにした着ぐるみである「スカンクタロー」がフライパンを柄の長いハンマーでたたいてフライパンを模した銅鑼を鳴らすが、次第に様々なコント形式のものになっていき、地方都市での公開生放送や収録のときも、スカンクタローがその公開先の地元にちなんだオチを披露していた[注 7]。その際に大体ひどい目に合う[注 8]のも特徴。
味の素の「お知らせコーナー」
高島夫妻時代の1977年11月2日から、毎週水曜日と金曜日に番組内で味の素の「お知らせコーナー」が開始された。1976年から1977年にかけて放送された日本テレビのドラマ『喜びも悲しみも幾年月』のオーディションに合格し、芸能界入りをした女優・タレントのミッちゃんこと有沢光恵(ありさわ みつえ)が「お知らせコーナー」を担当した。
派生番組
1987年6月20日から1988年9月には『味の素・世界ごちそうさま!!』、同年10月から1989年9月には『味の素ごちそうさまワールド・地球おいしいぞ!!』という派生番組が土曜日の22:00 - 22:30に放送された。
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出演者
司会
レポーター
初期は金曜日のみ『さすらいのくいしん坊』
『さすらいの料理人、解決料理王・進』
放送時間の変遷
ネット局
要約
視点
系列は本番組終了時(1998年3月)のもの。
ネット局に関する備考
- 13:30開始時代(1971年)までは、日本テレビ系列局でも、編成の都合で非ネットの系列局があった[15]。
- 本番組は単独番組時代を中心に、日本テレビ系列以外の局も含め、後続の『おしゃれ』(→『三枝成章の気まぐれ』)とともに、全国31局ネットとほぼ全国完全ネットに近い状態で放送されていた[注 27]。放送されていなかったのは佐賀県のみだった(とはいえど、ほとんどの地域で福岡放送・熊本県民テレビ・長崎国際テレビを通して視聴可能だった)。
- 日本テレビ系列外の局では、単独番組時代は14:00から『おしゃれ』を先に放送し、その後の14:15からは本番組を放送する編成が組まれていた[注 28]。
- 長崎放送は放送時間縮小に伴う本番組の打ち切りにより、1988年9月30日の放送をもって日本テレビ系列の帯番組枠を完全に撤廃した[注 29]。
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放送の休止について
脚注
外部リンク
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