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ウィル・フェレル
アメリカの俳優 ウィキペディアから
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ウィル・フェレル(Will Ferrell, 本名: John William Ferrell, 1967年7月16日 - )は、アメリカ合衆国の俳優・コメディアン・プロデューサー。
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生い立ち
コメディアン・俳優として知られ、190センチを超える長身の持ち主であるフェレルはカリフォルニア州アーバインに生まれた。母親は教師で[1]、父親はロックバンドライチャス・ブラザースのキーボード奏者、リー・フェレル[2]でアイルランド系の家系であった[3][4]。地元の学校へ進学し、高校時代はフットボールに励んでおり、キッカーであった。
キャリア
高校卒業後は南カリフォルニア大学へ進学。そこではスポーツ放送について学び、スポーツ情報の学位も取得。しかし大学卒業後はその分野へは進まず、即興コメディ劇団の「The Groundlings」へ参加[5]してコメディアンとしての才能を発揮する。1995年より2002年までは『サタデー・ナイト・ライブ』にレギュラー出演し、ジョージ・W・ブッシュを始めとして20種類以上のキャラクターを演じ分けた。同番組を卒業してからも、ホストとして数回登場する。
映画にも進出し、マイク・マイヤーズ主演の『オースティン・パワーズ』シリーズに登場するトルコ人暗殺者のムスタファ役や、数本の低予算コメディ映画を経て、主演作の『エルフ 〜サンタの国からやってきた〜』(2003年)『俺たちニュースキャスター』(2004年)が同国内で大ヒット。アメリカでもっとも人気のあるコメディアンとなる。
日本では劇場未公開となることが多く、なかなか知名度が上がらなかった。しかし2005年には6本もの作品に出演し、メル・ブルックスの『プロデューサーズ』にも、「春の日のヒトラー」を書いたナチス狂のドイツ人脚本家フランツの役で出演。『奥さまは魔女』ではニコール・キッドマンと共にゴールデンラズベリー賞の最低スクリーンカップル賞を受賞している。2007年に出演した『ナポレオン・ダイナマイト』のジョン・ヘダーとの共演作品『俺たちフィギュアスケーター』はビデオスルーの予定だったが、アメリカでの人気が飛び火して渋谷のシネマGAGAでの公開にこぎつけ、一日の総動員観客数の新記録を樹立するまでの成績を残した[6]。その勢いによりようやく日本でも、人気コメディアンとして広く認知された。ちなみに『俺たちフィギュアスケーター』はみうらじゅんにより「みうらじゅん賞」を受賞。
これまで、『プロデューサーズ』と『主人公は僕だった』でゴールデングローブ賞にノミネートされた。また2009年にブロードウェイ舞台にてジョージ・W・ブッシュを演じた『You're Welcome America』がトニー賞へもノミネートされた。サシャ・バロン・コーエンやジョン・C・ライリーとの共演作『タラデガ・ナイト オーバルの狼』ではMTVムービー・アワードの“ベスト・キス賞”を受賞した。
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人物像
出演作品では型破りなキャラクターを演じているが、『主人公は僕だった』で共演したダスティン・ホフマンはインタビューで「普段のフェレルは寡黙で大人しく、たまにジョークを言うような真面目な性格というギャップがある」と語った。
2007年にハリウッドで調査された「サインをくれる人、くれない人」ランキングでは、ワースト部門1位に選出されている[7]。
2009年に『フォーブス』誌が行った「最もギャラをもらいすぎの俳優」で一位に選出された[8][9]。
レッド・ホット・チリ・ペッパーズのチャド・スミスと似ていると、よくネタにされている[10]。これをきっかけに、ジミー・ファロン司会の『ザ・トゥナイト・ショー』で共演を果たす。さらに、番組の後半にはドラム・プレイ対決も繰り広げ、終盤には他のチリ・ペッパーズのメンバー3人がサプライズで登場して演奏が始まるなど、スタジオを大いに盛り上げた。
私生活
2000年8月、かつて演劇クラスで同級だったスウェーデン人女優のヴィヴィカ・ポーリンと結婚。3人の息子をもうける[11]。
フィルモグラフィー
映画
テレビシリーズ
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脚注
外部リンク
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