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ダスティン・ホフマン

アメリカ合衆国の俳優(1937−) ウィキペディアから

ダスティン・ホフマン
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ダスティン・ホフマン(Dustin Hoffman、1937年8月8日 - )は、アメリカ合衆国俳優。身長165cm。『クレイマー、クレイマー』(1979年)と『レインマン』(1988年)でアカデミー主演男優賞を受賞した。

概要 ダスティン・ホフマン Dustin Hoffman, 本名 ...
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1989年)
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2007年)
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2008年
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2013年
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2017年
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来歴

要約
視点

カリフォルニア州ロサンゼルスにてセールスマンの父の元に生まれる。ウクライナからのユダヤ系の血と[1]ルーマニアからのユダヤ系の[2][3]血を引いている。ロサンゼルス高校卒業。ジャズピアニストになる希望を持っており、ロサンゼルス音楽学校に入学したが、その後医学に関心を持った彼は音楽学校を落第する前にサンタモニカ市立大学に入学し一年間学んだ。その間に「演劇科は誰も落第しない」と聞き、落第を避けるため最終的に演劇科を選択した。ジーン・ハックマンと共にパサデナ劇場で二年間演じた[4]。また彼らはしばらくの間ルームメイトだった。

ニューヨークに移り、小さなテレビ番組の役を含む一連の仕事を引き受けたが、自活するために演劇を一時離れ、教員の仕事に就いた。1960年にはオフ・ブロードウェイで初舞台を踏み、1961年にブロードウェイで初舞台を踏んだ。その後リー・ストラスバーグアクターズ・スタジオで学び、『The Tiger Makes Out』(1967年)で映画デビューを果たした。

同年、マイク・ニコルズ監督の『卒業』(1967年)で主演デビューを果たす。本作では、年上の女性と、その女性の娘である同年代の女性との間で揺れ動く繊細な大学生を演じ、名声を獲得[5]アカデミー主演男優賞ノミネートも受けた。また、2年後の『真夜中のカーボーイ』(1969年)では前作とは正反対のホームレス役に挑んだことで再びアカデミー賞にノミネートされ、更なる人気を獲得。その後も『小さな巨人』(1970年)や『わらの犬』(1971年)、『パピヨン』(1973年)、『大統領の陰謀』(1976年)などの名作に出演し、俳優としての地位をゆるぎないものにした。そして、1979年の『クレイマー、クレイマー』で遂にアカデミー主演男優賞に輝いた。

80年代に入るとブロードウェイに復帰したこともあって寡作になるが、『トッツィー』(1982年)で披露した女装や、2度目のアカデミー主演男優賞に輝いた『レインマン』(1988年)で見せた発達障害の演技など、常に挑戦的な役に取り組み続けた。しかし、同時に完璧主義者でもあったためにスタッフ間との確執を生み、制作困難を引き起こすこともあった。それでも90年代に入っても精力的に活動を続け、『フック』(1991年)や『アウトブレイク』(1995年)といった話題作に出演。『ウワサの真相/ワグ・ザ・ドッグ』(1997年)では再びアカデミー賞にノミネートされた。

21世紀以降も『ミート・ザ・ペアレンツ』シリーズといった話題作に出演し、2012年には『カルテット! 人生のオペラハウス』で監督デビューを果たした。本作はトロント国際映画祭で上映され[6]、高い評価を獲得した。

2017年には、『セールスマンの死』に、当時17歳でプロダクション・アシスタントとして参加したアナ・グラハム・ハンターへのセクシャルハラスメント行為について、ハンター本人の手記により告発された。ホフマン本人は「私は女性に最大の敬意を抱いており、自分の行動が彼女を不愉快な状況に追い込んだとしたら誠に遺憾です。申し訳ありません。本来の自分を反映した行動ではありません」との声明を発表した[7]

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人物

1969年5月に結婚した最初の妻アン・バーン[8]との間に2人の娘カレンとジェンナがおり(カレンはアンの連れ子)、アンとの離婚後、1980年10月にリサ・ゴットセーゲンと再婚した。4人の子供、ヤコブ、マックス、レベッカ、アレクサンドラとコネティカットに住む。

熱心な民主党支持者[9]であり、1950年代のジョセフ・マッカーシー赤狩り下院非米活動委員会への激しい批判など、しばしば政治的発言でも注目された。

ロンドン中心部に位置するハイドパーク近くに約1000万ポンド(13億円/1ポンド130円計算)の家を所有している[10]

黒柳徹子が大ファンで、『徹子の部屋』(2013年4月16日・17日放送分)にはホフマンが初出演した[11]

主な出演作品

さらに見る 公開年, 邦題 原題 ...
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主な受賞

来日時のテレビ出演

ポップ・カルチャー

『卒業』における若者が年上の女性に恋をするロマンティックでセクシャルな恋愛は、ネットサイト、USCエデュケーションでも話題として取り上げられている。 日本の音楽界でもホフマンを題材とした楽曲が存在する。一部のみ掲載する。

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日本語吹き替え

主に担当したのは、以下の二人である。

野沢那智
卒業』(機内上映版)で初担当。最も多く吹き替えている。
当初ホフマンの吹き替えは作品毎に異なる声優が務めていたが、『マラソンマン』などの作品を境に野沢が声を当てる機会が増えた[13][14]
野沢はホフマンを吹替える際、「周りを見ながら演じられる位置」に立って収録すると野沢は語っており、「疲れるけど、大声を出しても大丈夫」もしくは「声がどんなところから出ようが平気な感じがある」とも話して、ホフマンのような演技派俳優として名高い俳優の芝居に寄り添うには思い切った表現も効果的だと考えていることを明かしている[15][16]
小川真司
アメリカン・バッファロー』で初担当。野沢の次に多く吹き替えている。
ホフマンについて小川は、「喋りに不思議なタイミングがある」としており、芝居が読めず苦労したと語り、呼吸を合わせる際に注意しないと遅れる場合があると回想した[17]

このほかにも、谷口節東野英心青野武佐古正人納谷六朗佐々木勝彦山寺宏一なども複数回、声を当てている。

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関連項目

出典

外部リンク

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