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ラグビー南アフリカ共和国代表
ラグビーユニオン競技の南アフリカ共和国代表チーム ウィキペディアから
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ラグビー南アフリカ共和国代表(ラグビーみなみアフリカきょうわこくだいひょう)は、南アフリカ共和国におけるラグビーユニオンのナショナルチーム。ユニフォームの胸にある、南アフリカに生息するガゼル属の仲間スプリングボックのマークがある通り、愛称は「スプリングボクス」(Springboks)である。
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歴史
要約
視点
南アフリカは、17世紀半ばからオランダの植民地であったほか、1875年から1961年に独立するまでイギリスによっても植民地化され、その間、イギリスの宣教師・兵士・入植者によってラグビーが伝えられた[1][2]。
イギリスの植民地であるケープ植民地(現在の西ケープ州・東ケープ州・北ケープ州に相当)とナタール共和国(現在のクワズールー・ナタール州)のほか、隣接するオランダの植民地でボーア人(アフリカーナー)が住むトランスヴァール共和国(現在のムプマランガ州・リンポポ州・ハウテン州に相当)やオレンジ自由国(現在のフリーステイト州)、さらに先住民族にも、ラグビーが広まった[1]。
1891年にケープ植民地で最初のラグビー協会を設立[1]。イングランドおよびスコットランドの選手で構成されたブリティッシュ・ライオンズが南アフリカに遠征で訪れ、1891年7月30日に初の国際試合を行った[3]。1903年にはニュージーランド代表と初のテストマッチを行った[2]。
伝統的にラグビー強豪国であったが、かねてから数々の人種差別的立法のあった南アフリカにおいて1948年に法制としてアパルトヘイト(人種隔離政策)が確立された。これにより、国際社会から制裁を受けた。そのため、ラグビーワールドカップの第1回(1987年)・第2回(1991年)には出場することができなかった[4]。
当時、白人選手で構成されたスプリングボクスは富裕層の白人に人気があり、アパルトヘイトの象徴として見られた。貧困層とされるほとんどの黒人には不人気であり、ラグビーよりもサッカーの方が人気があった[4][5]。
アパルトヘイト時代には白人と非白人が交わることはなく、人種を超えて集まるには政府の許可証が必要だった[4][6]。このため、ケープタウンのある西ケープ州では人種などの違いにより5つも6つもラグビー協会が乱立していた[4]。
1994年にアパルトヘイトが終わり、国際舞台に復帰。ワールドカップ1995を自国で開催し、初出場、そして初優勝を果たした[7][8]。ラグビーワールドカップ初出場初優勝は、初回大会を除き史上唯一である。また、ワールドカップ2007で2度目の優勝を得る[5]。
ニュージーランド代表(オールブラックス)、オーストラリア代表(ワラビーズ)と開催しているトライネイションズでは1998年、2004年と2009年に優勝。2012年からアルゼンチン代表(ロス・プーマス)が加わりザ・ラグビーチャンピオンシップと改称している[9]。
2015年のザ・ラグビーチャンピオンシップでは、アルゼンチン代表に史上初めて敗れるなど3戦3敗の最下位に終わった[10]。
ワールドカップ2015(イングランド大会)では、1次リーグで格下の日本代表に32-34で敗れ、「スポーツ史上最大の番狂わせ」「ブライトンの奇跡」と呼ばれた[11][12](詳細は「ラグビーワールドカップ2015日本対南アフリカ」を参照)。決勝トーナメントの準決勝でオールブラックスに敗れ、3位に終わった。
2017年のザ・ラグビーチャンピオンシップでは、ニュージーランド代表に0-57で完敗。最大得点差での記録的敗戦となる[13][14]。
ワールドカップ2019(日本大会)では、決勝戦でイングランド代表を32-12で倒し、ニュージーランド代表の優勝回数に並ぶ最多優勝タイとなる3度目の優勝を果たした[5]。同大会の1次リーグではニュージーランド代表に敗れたが、1次リーグで黒星を喫したチームの優勝は史上初である。これを受け、世界ランキングは3位から1位へと浮上した。世界ランク1位となるのは2009年11月16日以来10年ぶりのことである。
ワールドカップ2023の決勝戦では、12-11でニュージーランド代表を破り、2大会連続4回目、大会最多の優勝を果たした[15][16][17]。
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成績
要約
視点
ラグビーワールドカップ
トライネーションズとザ・ラグビーチャンピオンシップ
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選手
要約
視点
現在の代表
スプリングボクススコッド[19]
※所属、キャップ数(Cap)は2025年7月25日現在
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歴代代表選手
- フランソワ・ピナール
- ユースト・ファン・デル・ヴェストハイゼン
- ヤコ・ファン・デル・ヴェストハイゼン
- AJ・フェンター
- ブッチ・ジェームス
- パーシー・モンゴメリ
- JP・ピーターセン
- ジュアン・スミス
- チェスター・ウィリアムズ
- ジェームス・スモール
- コーバス・ヴィーゼ
- アンドレ・ユベール
- ブライアン・ハバナ
- スカルク・バーガー
- フランソワ・スタイン
- ジョン・スミット
- フーリー・デュプレア
- ジャン・デヴィリアス
- アンドレ・フェンター
- ヴィクター・マットフィールド
キャプテン
- ナース・ボタ 1986-1992 9/28試合
- フランソワ・ピナール 1993-1996 29/29試合
- ゲーリー・タイヒマン 1996-1999 36/42試合
- ユースト・ファン・デル・ヴェストハイゼン 1999,2003 10/89試合
- アンドレ・ヴォス 1999-2001 16/33試合
- ボビー・スキンスタッド 2001-2002,2007 12/42試合
- コーン・クリッカ 1999,2002-2003 18/39試合
- ジョン・スミット 2003-2011 83/111試合
- ヴィクター・マットフィールド 2007,08,10,11,14,15 23/127試合
- ジャン・デヴィリアス 2012-2015 37/109試合
- フーリー・デュプレア 2015 4/76試合
- アドリアーン・ストラウス 2016 9/63試合
人種別の割り当て比率について
2014年4月、南アフリカのスポーツ省はスプリングボクスを含む南アフリカのスポーツの代表チームについて黒人選手の割り当てを従来までの50%から60%に引き上げることを決定し、これに従わない競技団体は強化費用の提供停止や国際大会への出場を禁止すると発表した。なお、南アフリカ共和国のラグビー協会は詳しい説明を求めると報じられている[20]。
脚注
関連項目
外部リンク
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