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エディ・グアダード
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エドワード・エイドリアン・グアダード(Edward Adrian Guardado, 1970年10月2日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンホアキン郡ストックトン出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。左投右打。
1度目の在籍となったミネソタ・ツインズでの中継ぎ時代に登板数が多かったことから、エブリディ・エディ(Everyday Eddie)の愛称を持つ。
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経歴
プロ入りとツインズ時代
1990年のMLBドラフト21巡目(全体570位)でミネソタ・ツインズから指名され、プロ入り。
1993年には16試合に先発登板し、翌1994年にも4試合に先発登板するが良い結果は残せなかった。
2001年にはクローザーを務めていたラトロイ・ホーキンスの不安定さもあり、抑えとしての登板が増え12セーブを記録する。
2002年にはシーズン当初からクローザーとして起用され、45セーブを記録し、オールスターにも選出される。なお、45セーブという数字はリック・アギレラの持っていたチーム記録の42セーブを11年ぶりに更新するものであった。オールスター出場が決まった際、彼は代理人であるケビン・コーラーに電話をかけ、出場ボーナスはいくらになっているか尋ねた。少しの間の後コーラーは出ないと答えた。ずっと中継ぎでやってきた彼は、オールスターに選出されるなど思ったこともなかったため、契約時にボーナス条項を加えていなかったのだった[1]。
マリナーズ時代
2004年にはシアトル・マリナーズにFA移籍した。故障者リスト入りしたこともあり、わずか18セーブに終わる。
2005年は当時のチーム記録となる27連続セーブ成功を含む36セーブを記録した。
2006年は序盤にセーブ失敗が続いた。
レッズ時代
2006年7月6日にはシンシナティ・レッズにトレードされた。
移籍後は防御率1.29と復調したが、シーズンオフに左肘のトミー・ジョン手術を行ったため、2007年は15試合の登板に留まった。
レンジャーズ時代
2008年1月11日にテキサス・レンジャーズと契約し、C.J.ウィルソンらとクローザーの座を争った [1]。
ツインズ復帰
2008年シーズン途中にマーク・ハンバーガーとのトレードで古巣のツインズに移籍した。
レンジャーズ復帰
2009年2月3日、再びレンジャーズとマイナー契約し、開幕ロースター入り。同年限りで現役を引退した。
引退後
2015年から2018年までツインズでブルペンコーチを務めた。また、2015年にはツインズの球団殿堂入りを果たしている[2]。
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選手としての特徴
90mph(約145km/h)前後の直球にスライダー、カーブ、スプリッターを投げるがどれも平均的である。腕のアングルを変えるなど投球術で打者を翻弄する[1]。
人物
ツインズ時代は入場曲にAC/DCの"Thunderstruck"を使用していたが、マリナーズ時代はトレバー・ホフマンと同じAC/DCの"Hells Bells"にしていた [3]。"Thunderstruck"は、J.J.プッツも入場曲として使用した [4]。
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
タイトル
- 最多セーブ投手(2002年)
記録
- MLBオールスターゲーム選出:2回(2002年、2003年)
背番号
- 18(1993年 - 2006年途中、2008年 - 2009年、2015年 - 2018年)
- 81(2006年途中 - 2007年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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