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エド・スプレイグ (内野手)
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エドワード・ネルソン・スプレイグ・ジュニア(Edward Nelson Sprague Jr., 1967年7月25日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州アラメダ郡カストロバレー出身の元プロ野球選手(三塁手)。右投右打。現在は、MLBのオークランド・アスレチックスの育成部長を務めている[1]。
同名の父もメジャーリーガー(投手)である。妻のクリステン・バブ=スプレイグはバルセロナオリンピックでシンクロナイズドスイミング金メダリストに輝いている[2]。
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経歴
プロ入り前
1985年のMLBドラフト26巡目(全体673位)でボストン・レッドソックスから指名されたが、この時は契約せずにスタンフォード大学へ進学した。大学時代の1987年にはアメリカ合衆国代表に選出されている[3]。翌1988年にはソウルオリンピックで公開競技として行われた野球競技にアメリカ合衆国代表として出場し、金メダルを獲得している[4]。
現役時代
1988年のMLBドラフト1巡目(全体25位)でトロント・ブルージェイズから指名され、プロ入り。
1991年にメジャーデビュー。ブルージェイズは1992年からワールドシリーズ連覇を成し遂げているが、スプレイグも1992年は右の代打、正三塁手だったケリー・グルーバーが去った1993年にはレギュラーとして貢献している。その後、1996年には共に自己最多となる36本塁打、101打点を記録したが、1997年からは2年連続で打率2割2分台と低調だった。
1999年のピッツバーグ・パイレーツ在籍時には22本塁打と復調し、生涯唯一のオールスター選出を果たしている[2]。2001年、この年シーズン116勝を挙げたシアトル・マリナーズでのプレーを最後に現役を引退した。
引退後
引退後はパシフィック大学の野球部監督を2004年から12年間務めた後、2016年よりオークランド・アスレチックスのGM補佐に就任した。2019年レギュラーシーズン終了後からは育成部長へと配置転換された[5]。
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詳細情報
年度別打撃成績
記録
- MLBオールスターゲーム選出:1回(1999年)
背番号
- 33(1991年 - 1998年途中)
- 8(1998年途中 - 同年終了)
- 5(1999年)
- 4(2000年 - 同年途中、2000年途中 - 同年終了)
- 44(2000年途中 - 同年途中)
- 10(2001年)
代表歴
- 第8回IBAFインターコンチネンタルカップ アメリカ合衆国代表(1987年)
- 第16回日米大学野球選手権大会 アメリカ合衆国代表(1987年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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