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エマニュエル・ナスペッティ
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エマニュエル・ナスペッティ(Emmanuele Naspetti, 1968年2月24日-)は、イタリアアンコナ出身のレーシングドライバーである。エマニュエーレ、エマヌエーレ、エマヌエル、エマニエル、ナスベッティ等とも表記される。1988年イタリアF3チャンピオン。
略歴
1991年以前
1987年より、フォルティからイタリアF3に参戦。2年目の1988年には、3勝でチャンピオンを獲得する。
翌1989年より、国際F3000にステップアップ。2年間は表彰台にも手が届かなかったが、フォルティに舞い戻り参戦した1991年には、チャンピオンに輝いたクリスチャン・フィッティパルディの2勝を上回る4勝を挙げ、シリーズ3位となった。1PP・2FLも記録している。
1992年
1992年も引き続き国際F3000に参戦し、1勝・1PP・2FLをマーク。中盤において、シリーズ4位につけていた。しかし、ポール・ベルモンド解雇に伴いマーチから誘いが掛かり、小口スポンサー持ち込みながらF1シートを獲得。これによりF3000の参戦を切り上げた為、最終的にシリーズ7位となった。
F1には、第12戦ベルギーGPにてデビューし12位で完走。以後も最終戦オーストラリアGPまで、計5戦に参戦した。しかしチームは資金難から離散寸前の状態であり、そのマシン戦闘力は低いものであった為、存在をアピールする機会は無かった。ナスペッティは予選落ちこそ無かったものの、最高位は第14戦ポルトガルGPの11位に留まっている。
チームメイトとの予選成績は、カール・ヴェンドリンガーに3戦全敗、ヤン・ラマースに1勝1敗だった。
1993年
1993年は、童夢から全日本F3000に参戦、前年度のF1ドライバーとして一定の注目を浴びていた。しかしシーズンが始まってみると、チームメイトのマルコ・アピチェラが活躍する一方で、予選・決勝共に下位に沈み、結局第4戦の鈴鹿をもって離脱。
F1では、国際F3000時代に在籍したジョーダンのテストドライバーを務め、第14戦ポルトガルGPではスポット参戦。しかし結果はリタイヤであり、これ以後F1に参戦することは無かった。
1994年 - 1999年
1994年以降は、イタリア・ツーリングカー選手権に参戦。6年間で計27勝を挙げ、このうち1997年には10勝でチャンピオンに輝いている。翌1998年・1999年にはシリーズ2位と、安定して好成績を残した。
2000年以後
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レース戦績
国際F3000選手権
F1
カーナンバー
- 17(1992年)
- 15(1993年)
全日本F3000選手権
ル・マン24時間レース
イタリア・スーパーツーリング選手権
フランス・スーパーツーリング選手権
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関連項目
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