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カルメロ・マルティネス

プエルトリコ野球選手 (1960 - ) ウィキペディアから

カルメロ・マルティネス
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カルメロ・マルティネス・サルガド(Carmelo Martínez Salgado、1960年7月28日 - )は、プエルトリコドラド英語版出身の元プロ野球選手外野手内野手)。右投右打。

概要 基本情報, 国籍 ...

1992年NPBオリックス・ブルーウェーブに在籍した。オリックス時代の登録名は「マルチネス」。

シアトル・マリナーズエドガー・マルティネスは従弟。

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経歴

1978年にアマチュア・フリーエージェントでシカゴ・カブスと契約してプロ入り。1983年メジャー初昇格し、初打席本塁打を放つも翌1984年サンディエゴ・パドレスに移籍。パドレスでは移籍1年目に左翼手の定位置を確保し、チーム初のポストシーズンそしてワールドシリーズ進出に貢献、以後1989年まで主力選手として活躍する。同年オフにはNPB中日ドラゴンズが獲得を検討しており[1]、11月末からの中日の接触に対しては当初、入団に前向きな態度を見せていたが、フィラデルフィア・フィリーズと175万ドル(当時の為替レートで約2億5000万)の2年契約を結び、中日には12月2日になって代理人を通じ、正式に断りの返事をした[2]

1990年および1991年の2シーズンで4球団(フィリーズ、ピッツバーグ・パイレーツカンザスシティ・ロイヤルズシンシナティ・レッズ)を渡り歩く。

1992年3月、オリックス・ブルーウェーブの入団テストを受けて合格し、入団。背番号はオリックス球団として初の00。しかし、故障がちで前半戦のみの出場にとどまった上に平凡な成績に終わり、同年限りで退団した。

引退後はレッズ傘下やカブス傘下のマイナーで監督を務めた。2021年シーズンよりCPBL統一ライオンズで打撃コーチを務める。

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詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球 団 ...
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

NPB

背番号

  • 12(1983年)
  • 14(1984年 - 1989年)
  • 24(1990年 - 同年途中)
  • 35(1990年途中 - 同年終了)
  • 28(1991年 - 同年途中)
  • 13(1991年途中 - 同年途中)
  • 25(1991年途中 - 同年終了)
  • 00(1992年)
  • 84(2021年 - )
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脚注

関連項目

外部リンク

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