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初打席本塁打
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初打席本塁打(はつだせきほんるいだ)とは、野球において、打者が公式戦初打席で初本塁打を記録したケースを示す。
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以下の記録はNPBは2024年シーズン、MLBは2021年シーズン終了現在。太字は現役選手。
NPB
要約
視点
概要
日本プロ野球(NPB)では66人の選手(うち25人は外国人選手)によって達成されている。この中で通算最多本塁打は稲葉篤紀の261本である。高木守道が日本野球殿堂を唯一果たしており、高木、駒田徳広、稲葉の3人が名球会入りを果たしている。
投手の塩瀬盛道とドン・シュルジーはこの1打席のみで終わったため、通算打率10割・通算長打率40割という歴代のNPBでも2人だけの記録を保持している[1]。
- 塩瀬は1950年5月11日の試合で、5回裏二死までに0-18と大量リードされた試合で敗戦処理という形ながらプロ初登板を果たした。初めて対戦した姫野好治(投手)を三振させ、6回表二死一塁で今度は初の打席に立った。姫野の初球を打ち、右翼席に入る2点本塁打を放った。投打で最高のスタートを切ったが、良かったのはここまで。6回裏に3四球に安打、ボークに重盗でたちまち2点を失い、7回裏は安打と2四球で無死満塁と傷を深めたところで降板。結局11人の打者に対して2安打と5四球と本職では全く機能できず、この試合を最後にその後は登板の機会を与えられぬまま引退した[2][3]。
- シュルジーは1991年5月29日の試合で、2-4とリードされた9回表に出塁したブーマー・ウェルズ(一塁手)の代走に山森雅文、同じく出塁した石嶺和彦(指名打者)の代走に飯塚富司を送ったところ、3点を取って逆転した。5-3で迎えた9回裏は、代走に送った山森を左翼手、飯塚を指名打者解除で一塁手とし、もともと左翼に入っていた佐藤和弘のところに先発長谷川滋利に替えてシュルジーを投手として入れて逃げ切りを図った。しかし、シュルジーは2点を取られて追い付かれてしまい、試合は延長戦に突入した。そのままシュルジーは投げ続け、同点のまま11回表の二死無走者で打席に入ると、赤堀元之の初球スライダーを打つとこれがよもやの決勝本塁打を放った。この本塁打はパシフィック・リーグが指名打者制度を導入して初の投手による本塁打でもあった。その裏は投手として三者凡退に抑えて勝利投手に収まった[2]。その後、再び打席に立つ機会は無かった。
この2人を含め、打った66人のうち14人は通算本塁打はその1本で引退している。後藤忠弘と小室光男はその後、安打も各2本ずつしか追加できずに引退した[4]。
ちなみに、長距離打者よりも安打数の割には本塁打が少ない中距離打者の方が初打席初本塁打を打っているというデータがある[5]。
達成者一覧
= NPBオールスターゲーム選出 | = 日本野球殿堂、または名球会選出 |


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MLB
要約
視点
概要
メジャーリーグベースボール (MLB) では以下の119人の選手によって達成されている[8]。投手でアメリカ野球殿堂入りを果たしたホイト・ウィルヘルムや[8]、後年にNFLで活躍してプロフットボール殿堂入りを果たしたエース・パーカーも含まれている[9]。野手でアメリカ野球殿堂入りを果たしているのはアール・アベリルのみである[10]。
また、ブルックリン・ドジャースのアーニー・コーイとフィラデルフィア・フィリーズのヘイニー・ミューラーは1938年4月19日の同じ試合でこの記録を達成している[8]。ジョン・ミラーは通算2本塁打であるが、その2本は初打席と最終打席で記録している[11]。
達成者一覧
= MLBオールスターゲーム選出 | = アメリカ野球殿堂選出 |






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脚注
関連項目
参考文献
外部リンク
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