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クリストファー・リー
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サー・クリストファー・フランク・カランディーニ・リー(Sir Christopher Frank Carandini Lee, CBE、1922年5月27日 - 2015年6月7日)は、イギリス出身の映画俳優。怪奇映画の大スターとして名を馳せ、90歳を超えても生涯現役で活躍した名優である。
出演作は250本以上にも上る(インターネット・ムービー・データベースによれば278本)。ギネス世界記録として、世界で最も多くの映画に出演した俳優、2007年に存命するクレジットタイトル最多登場俳優記録[1]、死亡したシーンを最も多く持つ俳優[2]を持っていた。『吸血鬼ドラキュラ』のドラキュラ伯爵役で有名となり、その後は『白夜の陰獣』のラスプーチン、『007 黄金銃を持つ男』のスカラマンガ、『三銃士』のロシュフォールなど、特に悪役でその魅力が際だっている。190cm以上の長身は老いてますます威容を誇り、2000年代以降、80歳を超えてからも、その威厳を『ロード・オブ・ザ・リング』や『スター・ウォーズ』などの大作で遺憾なく発揮した。
ピーター・カッシング、ヴィンセント・プライスと並ぶ銀幕スターとして、第二次世界大戦後のホラー映画黄金期を築いた。特にカッシングとは多くの作品で共演し、両者の組み合わせはホラー映画の名コンビとして知られている。
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来歴
要約
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生い立ち
ロンドン・ウェストミンスターのベルグレイヴィアにて、第60キングス・ロイヤル・ライフル軍団に所属する陸軍中佐の父ジェフリー・トロロープ・リー(Geoffrey Trollope Lee)とイタリアの名門貴族出身の母エステレ・マリー・リー(旧姓カランディーニ・ディ・サルサーノ)のもとに生まれる[3][4]。カランディーニ家はシャルルマーニュに遡る家系とされている[5]。
幼い時に両親が離婚したため、スイスで過ごすが、その後ロンドンに戻る。語学能力に長け、英語以外に7か国語(フランス語、イタリア語、スペイン語、ドイツ語、スウェーデン語、ロシア語及びギリシャ語)を自在に話すことができたとされ、実際に英語のほか、ドイツ語、フランス語で映画に出演することも多かった。
俳優活動

若い頃は193cm(196cmとも)という長身のためスタントマンや脇役が中心だった。ハマー・フィルムの怪奇映画『フランケンシュタインの逆襲』では、フランケンシュタイン男爵に創造される怪物を演じたが、この時は奇怪なメイクで素顔は見せず、また台詞も無かった。そのグロテスクなメーキャップに当時のマスコミには「リーは事故をして整形手術に失敗したらしい」などと揶揄される始末だった。
『フランケンシュタインの逆襲』が大ヒットすると、ハマー・フィルムは続いて『吸血鬼ドラキュラ』を制作する。ここでリーはドラキュラ伯爵役を得、『吸血鬼ドラキュラ』もまた大ヒットしたことから、一躍スターとなった。この時、『フランケンシュタインの逆襲』でフランケンシュタイン男爵を、『吸血鬼ドラキュラ』でヴァン・ヘルシングを演じたのが、ハマー・フィルムのもうひとりの看板名優ピーター・カッシングである。リーはさらに翌年『ミイラの幽霊』でもミイラ男を演じ、3年連続で西洋怪談のメジャーな怪物を演じわけたが、フランケンの怪物とミイラは1本ずつで終わった。リーの最大の当たり役はドラキュラであり、ハマー・フィルムでは合計7本の作品にドラキュラ役として出演した。 しかしホラー映画やドラキュラのイメージのみになることを避けるため、1977年より活躍の場をアメリカに移し[6]、数多くの映画に出演した(のち、1985年にイギリスに帰国)。
カッシングとは22本の映画で共演したが、『吸血鬼ドラキュラ』を含め、リーがドラキュラを、カッシングがヴァン・ヘルシングを演じた共演作は3本しかない。今もなお、このリーのドラキュラ、カッシングのヴァン・ヘルシングを超える組合せはないとするホラーファンも多い。また二人は親友でもあり、その友情は変わることがなかった(カッシングは1994年に没した。なお共演こそしていないが、カッシングはリーが出演する以前、『スター・ウォーズ エピソード4』にターキン総督役で出演している)。
小説『シャーロック・ホームズシリーズ』を基にした映画にも出演した。リーはマイクロフト・ホームズとシャーロック・ホームズの兄弟双方を演じた史上唯一の映画俳優でもある。また、ハマー・フィルム制作の『バスカヴィル家の犬』では、ヘンリー・バスカヴィル卿を演じている(この時ホームズを演じたのはピーター・カッシングである)。
若い頃から剣術、馬術に優れており、無名の頃にはスタントマンとしてその技量を発揮したが、1989年オリヴァー・リード主演の『新・三銃士/華麗なる勇者の冒険』にロシュフォール役で出演した際にも見事なアクションを披露した。
従兄弟に『007シリーズ』の原作者イアン・フレミング、姪にハリエット・ウォルターがいる。このフレミングとの親戚関係もあって、『007シリーズ』第1作『007 ドクター・ノオ』の映画化に際してフレミング自身がリーに敵方のノオ博士役を望んでいたが実現せず、結果としてジョセフ・ワイズマンがこの役を得た。リーは、『007シリーズ』第9作『007 黄金銃を持つ男』で演じた悪役スカラマンガについて、ボンドのダークサイドを演じた、と語った[7]。
ティム・バートン監督のお気に入りの俳優の一人となり、1999年の『スリーピー・ホロウ』から2012年の『ダーク・シャドウ』まで、5作品に出演した。
ロード・オブ・ザ・リングシリーズとホビットシリーズ
『ロード・オブ・ザ・リング』の出演者の中で、唯一原作者のJ・R・R・トールキンと面識があった[8][9]。『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』での出演シーンがエクステンション版以外でカットされたことについて、ピーター・ジャクソン監督に「裏切られたとは思わないが、ただ理解出来ず、理由の説明も筋が通るものではなかった。」と語っている [10]。 また自身はガンダルフを演じたかったが、「製作側がガンダルフ役には歳を取りすぎていると考えたようだ。」とも語った。その後、どうやってサルマンがサウロンによって暗黒サイドに引き込まれたのかを演じたいと語っており[11] 、『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズの前日譚、『ホビット 思いがけない冒険』、『ホビット 決戦のゆくえ』の二作品に出演したが、高齢でニュージーランドへの飛行機での渡航が困難であったため[12]、ロンドンでの撮影のみに参加、出演シーンも限定された。
スター・ウォーズシリーズ
2002年『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』、2005年『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』に出演、2008年のアニメ映画『スター・ウォーズ/クローン・ウォーズ 』でも声の出演をした。リーはスター・ウォーズについて、「新しい映画の時代を創った作品であり、映画に与えたインパクトはとても大きい」と語り、「出演するのがものすごく楽しみだ」と、出演に対しての喜びを語った[13]。 スター・ウォーズ・シリーズでは79歳を過ぎていたが、可能な限りのライトセーバーでの戦いのシーンは彼自身がこなしたが、激しいアクションシーンは代役(あるいはコンピュータ・グラフィックスや映像加工によって、頭の部分だけ代役と挿げ替えている)である[14]。また、ドゥークーという役の名前は、日本語の毒という言葉が由来であると自身の自伝に記した[15]。
ピーター・カッシングがスター・ウォーズシリーズの帝国軍のターキン総督役で出演することになった際に、リーは「グランドモフって何者?」という内容の手紙を送った。リーはカッシングから「僕もわからない」という返事を受け取ったという[16]。
リーは『ロード・オブ・ザ・リング』3部作ではサルマン・ザ・ホワイトを、『スター・ウォーズシリーズ』のエピソード2とエピソード3ではドゥークー伯爵を演じているが、リーはサルマンとドゥークーを比べて次のように語っている。「『ロード・オブ・ザ・リング』では、私が魔法使いだが、『スター・ウォーズ』では全てが不思議な力、魔法の世界であり、私はその一部にすぎない」[17]。
最期
90歳を迎えても出演オファーは途切れることはなく、ユマ・サーマンとの映画が準備中であるなど[18]、老いてなお多忙な日々を迎えていたが、2015年に呼吸器疾患と心不全のためロンドンの病院へ入院、同年6月7日に93歳で他界した[19]。俳優としての最後の仕事は、2016年に公開された独立系作品の映画「ノッティングヒルの天使たち」となった。
「生きる伝説」であるクリストファーの突然の訃報は関係者に大きな衝撃を与え、晩年に仕事をしたピーター・ジャクソンやイアン・マッケラン、盟友ロジャー・ムーアなどが追悼コメントを発表した[20][21]。
歌唱活動
俳優としての活動のほか、その深く重々しい美声を生かした朗読、歌唱も多かった。トールキン・アンサンブルとのコラボレーションCDや、エドガー・アラン・ポー作品の朗読が有名。また、コメディ映画『キャプテン・ザ・ヒーロー』では、悪の首魁ミスター・ミッドナイトを演じるに際し、その歌声と妙にノリノリのダンスを披露している。
晩年は、イタリアのメタル・バンドラプソディー・オブ・ファイアの要請を受け、アルバム『Symphony Of Enchanted Lands II-The Dark Secret』にナレーションで参加。また『The Magic Of The Wizard's Dream』では歌唱で参加している。
さらにアメリカのメタル・バンドマノウォーのアルバム『Battle Hymns MMXI』に曲中の語りとして参加。これは同バンドのデビューアルバムのセルフ・カヴァーアルバムであり、クリストファー・リーは、かつてオーソン・ウェルズが行った部分を担当している。
ヘヴィメタルシンガーとしても活動しており、2010年に『Charlemagne: By the Sword and the Cross』、2013年に『Charlemagne: The Omens Of Death』と2枚のアルバムを、2012年に『A Heavy Metal Christmas』と『Let Legend Mark Me As the King』というシングルをリリースした。
声優活動
声優としての仕事もこなし、ストップ・モーション映画『コープスブライド』、ゲームソフト『キングダム ハーツII』(英語版)『World of Warcraft』などに出演した。
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戦争

1939年にソ連がフィンランドに侵攻し冬戦争が勃発した時、リーは学友と共に義勇兵としてフィンランドに渡った[22]。彼らはロシア人からフィンランドを救うのだと意気込んでいたものの、実際には戦線を遠く離れた安全な場所の警備を命じられただけで、2週間後に帰国を命じられるまで1度もロシア人を見ないままだったという。
その後、リーは市役所職員とホーム・ガードを経てイギリス空軍に入隊した[23]。リー自身はパイロットを志願したが、視力不足で断念せざるを得なかった。地上勤務要員となったリーはローデシア警察隊にしばらく勤務した後、第260飛行隊付の情報将校としてエジプト方面へと派遣された。以後、シチリアやイタリアで転戦し、北アフリカで終戦を迎えた。除隊時の階級は大尉であった。
伝えられるところでは、彼は1941年より長距離砂漠挺身隊(LRDG)に出向してドイツ空軍の飛行場への攻撃に関与したとも、多言語に堪能であったことから特殊作戦執行部(SOE)による終戦後の戦犯容疑者の捜索にも参加したとも言われている。そうした特殊部隊に参加したことはリー自身も認めていたが、任務の詳細については「話すことを禁じられている」としてほとんど語らなかった[24]。
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私生活

従兄弟に『007シリーズ』の原作者イアン・フレミング、姪にハリエット・ウォルターがいた。
妻はデンマーク人のモデル、画家のギッテ・クロエンケ(Gitte Kroencke)。『ゴーメンガースト』の原作者マーヴィン・ピークとも面識があった。
主な出演作
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日本語吹き替え
主に担当したのは、以下の三人である[26][27][28]。
- 千葉耕市
- リーの専属(フィックス)として知られ[26]、『007 黄金銃を持つ男』『帰ってきたドラキュラ』などの代表作を担当。[27]最も多く吹き替えている。
- 家弓家正
- 上述の千葉の次に多く吹き替えており、千葉の死後および『ロード・オブ・ザ・リング』のサルマンを吹き替えてからは専属に近い形で担当した。
- 『ウィッカーマン』はallcinemaでのリリース時にはリーの吹替声優として知られている家弓を起用し、新たに日本語吹替版を製作する企画があったが、予算の都合により実現しなかった[29]。
- 大木民夫
- 上記二名に次いで多く担当。家弓の死後は『ホビット 決戦のゆくえ』でサルマンを引き継いだ。
なお、『スター・ウォーズ』シリーズのドゥークー伯爵は羽佐間道夫が吹き替えを担当した。このほかにも、小林清志、長克巳、北村弘一、寺島幹夫、西沢利明なども複数回、声を当てている。
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出典
外部リンク
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