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サム・フリーマン
アメリカの野球選手 (1987 - ) ウィキペディアから
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サミュエル・ダグラス・フリーマン(Samuel Douglas Freeman, 1987年6月24日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州ヒューストン出身のプロ野球選手(投手)。左投右打。MLBのカンザスシティ・ロイヤルズ傘下に所属。愛称はフリージー(Freezy)[1]。
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経歴
要約
視点
プロ入りとカージナルス時代
2008年のMLBドラフト32巡目(全体965位)でセントルイス・カージナルスから指名を受け、プロ入り。同年は傘下のマイナー2球団(ルーキー級ジョンソンシティ・カージナルス、A+級パームビーチ・カージナルス)でプレーした。
2009年は、開幕をA+級パームビーチで迎えた後、AA級スプリングフィールド・カージナルスに昇格して計41試合に登板した。
2010年は、トミー・ジョン手術及びそのリハビリのため、シーズンを棒に振った。
2011年は、A+級パームビーチとAA級スプリングフィールドで計59試合に登板した。
2012年は、AA級スプリングフィールドとAAA級メンフィス・レッドバーズでプレーした後、メジャー初昇格。6月1日のニューヨーク・メッツ戦[2]で初登板を果たし、同年はメジャーで24試合に登板、0勝2敗、防御率5.40の成績を残した。

(2013年9月14日)
2013年は、AAA級メンフィスでシーズンの大半を過ごした。メジャーでは初勝利をマークするも、13試合の登板に留まった。
2014年は、途中からメジャーに定着。主に左のワンポイントとして起用され、44試合に登板、2勝0敗、防御率2.61、35奪三振を記録した。
レンジャーズ時代
2015年3月28日に後日発表選手とのトレード で、テキサス・レンジャーズへ移籍した[3]。4月5日にDFAとなり[4]、15日に40人枠を外れる形で傘下のAAA級ラウンドロック・エクスプレスへ配属された[5]。その後、5月13日にメジャー昇格した。この年は、メジャーデビューイヤー以来となる無勝に終わったが、リリーフ陣の一角に定着して自己最多の54試合に登板。12ホールド、防御率3.05、奪三振率9.4を記録した。
ブルワーズ時代
2016年4月5日にトレードで、ミルウォーキー・ブルワーズへ移籍した。5月3日にDFAとなり、マイナー契約で傘下のAAA級コロラドスプリングス・スカイソックスへ配属された。10月3日にFAとなった[6]。
ブレーブス時代
2016年10月14日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結び、2017年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[6]。
2017年の開幕は傘下のAAA級グウィネット・ブレーブスで迎え、5月4日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[7]。この年は58試合に登板して2勝0敗、防御率2.55、59奪三振を記録した。

(2018年9月18日)
2018年は63試合に登板して3勝5敗、防御率4.29、58奪三振を記録した。
エンゼルス時代
2019年3月27日にロサンゼルス・エンゼルスとマイナー契約を結んだ[9]。開幕を傘下のAAA級ソルトレイク・ビーズで迎え、4月23日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[10]。4月24日にDFAとなり[11]、27日にマイナー契約でAAA級ソルトレイクへ配属された。8月19日に自由契約となった[6]。
ナショナルズ時代
2019年8月21日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結び、傘下のAAA級フレズノ・グリズリーズへ配属された。オフの11月4日にFAとなった[6]。
2020年2月12日にマイナー契約で再契約した[12]。7月22日にメジャー契約を結んで40人枠入りした[13]。8月13日に60日間の故障者リストに登録され、2010年以来2回目となるトミー・ジョン手術を受けた[14]。レギュラーシーズン終了後の10月13日にFAとなった[15]。
2021年はどの球団にも所属せず、手術後のリハビリに専念した。
ロイヤルズ傘下時代
2022年3月23日にカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結んだ[6]。
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詳細情報
年度別投手成績
- 2020年度シーズン終了時
背番号
- 61(2012年、2019年)
- 71(2013年 - 2015年)
- 51(2016年)
- 39(2017年 - 2018年、2020年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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