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サーティース・TS14

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サーティース・TS14
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サーティース・TS14 (Surtees TS14) は、サーティース1972年および1973年F1世界選手権に投入したフォーミュラ1カージョン・サーティースによって設計された[1][2]

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レース戦績

要約
視点

1972

TS14は1972年イタリアグランプリでデビューした。チームオーナー兼ドライバーのジョン・サーティースにのみ用意されたが、燃料システムのトラブルでリタイアとなっている[3]。カナダグランプリではTS14は使用されず、最終戦のアメリカグランプリでは2台準備され、サーティースに加えてティム・シェンケンもドライブした。決勝はサーティースがエンジンが不足したためスタートできず、シェンケンもサスペンショントラブルでリタイアとなった[4]

1973

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1973年型TS14 マロリー・パークで、2009年

1973年、チームはTS14をTS14Aにアップデートし、ドライバーラインナップも元オートバイ世界チャンピオンのマイク・ヘイルウッドブラジル人ドライバーのホセ・カルロス・パーチェが起用された。開幕戦のアルゼンチングランプリでは両者とも同じ周回数でリタイアしている。ヘイルウッドはサスペンショントラブル、パーチェはハーフシャフト破損が原因であった[5]。ブラジルグランプリではヘイルウッドはギアボックストラブル、パーチェはサスペンショントラブルでリタイアした[6]。南アフリカグランプリでは両名ともアクシデントでリタイアしている。パーチェはタイヤがパンクし、ヘイルウッドはクレイ・レガツォーニBRMと衝突した。レガツォーニ車は炎上し、レガツォーニは意識不明のまま車に取り残された。ヘイルウッドは炎の中に飛び込み、レガツォーニのベルトを外して彼を車から引きずり出した。ヘイルウッドはこの勇敢な行動で後にジョージ・メダル英語版を授与された。レガツォーニは病院に搬送されたが、軽度の火傷で済んでいる[7]。スペイングランプリでもヘイルウッドはオイル漏れ、パーチェはハーフシャフト破損と両者共にリタイアとなっている[8]。ベルギーグランプリではパーチェが8位で完走したが、ヘイルウッドはアクシデントのためリタイアした[9]。モナコでは逆にヘイルウッドが8位で完走、パーチェはハーフシャフトが破損しリタイアした[10]。スウェーデングランプリではヘイルウッドがタイヤトラブルでリタイアし、パーチェは10位で完走した[11]。フランスグランプリではヘイルウッドがオイル漏れでリタイアし、パーチェは13位で終わった[12]。イギリスグランプリではヨッヘン・マスがサードドライバーとして加わったが、3名ともスタート直後の多重事故のためリタイアした。この事故に巻き込まれながら逃れることができたのはシャドウグラハム・ヒルのみであった[13]。オランダグランプリではヘイルウッドは電気系統のトラブルでリタイア、パーチェは7位で完走した[14]。第11戦ドイツグランプリでは再びマスが加わり3台体制となった。このレースでは3名とも完走、パーチェが4位、マスが7位、ヘイルウッドが14位となる[15]。オーストリアグランプリは2台体制に戻り、パーチェが3位に入りヘイルウッドは10位となった[16]。イタリアグランプリはヘイルウッドが7位、パーチェはタイヤトラブルでリタイア[17]、カナダグランプリではヘイルウッドが9位、パーチェはホイールのトラブルでリタイアとなった[18]。最終戦アメリカグランプリも3台体制となったが、パーチェとヘイルウッドはサスペンショントラブル、マスはエンジントラブルでリタイアした。

チームは1974年シーズン、TS14に代えてTS16を投入した。

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F1における全成績

要約
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(key) (斜体ファステストラップ

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^1 すべてのポイントをサーティース・TS9Bが獲得した。

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ノンタイトル戦における全成績

(key) (太字ポールポジション) (斜体ファステストラップ

さらに見る 年, チーム ...

参照

外部リンク

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