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サーティース・TS9

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サーティース・TS9
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サーティース・TS9 (Surtees TS9) は、サーティース1971年および1972年1973年F1世界選手権に投入したフォーミュラ1カージョン・サーティースピーター・コンニューによって設計された[1][2][3][4]

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レース戦績

要約
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1971-1973: サーティース

TS9は1971年南アフリカグランプリでデビューした。チームオーナーでもあるジョン・サーティース用に1台が準備されたが、ギアボックストラブルのためリタイアに終わっている[5]。第2戦スペイングランプリでは2台目のシャシーがロルフ・シュトメレンにも提供されたが、シュトメレンは燃料圧トラブルでリタイアした。サーティースは11位となった[6]。第3戦のモナコではシュトメレンが6位、サーティースが7位となっている[7]。オランダグランプリではサーティースが5位に入ったものの、シュトメレンはスピンの後マーシャルの手を借りて押しがけしたことで失格となっている[8]。フランスグランプリではサーティースが8位、シュトメレンは11位となった[9]。第6戦イギリスグランプリでは2人に加えてデレック・ベルが起用され、ベルはリタイアしたがシュトメレンが5位、サーティースが6位となった[10]。ドイツグランプリではサーティースが7位、シュトメレンが10位となった[11]。オーストリアではサーティースがリタイアし、シュトメレンは7位となった[12]。第9戦イタリアグランプリではマイク・ヘイルウッドがサードドライバーとして起用され、4位となった。シュトメレンはスタート直後のアクシデントでリタイア、サーティースもエンジントラブルでリタイアした[13]。カナダグランプリではサーティースが11位、シュトメレンはオーバーヒートでリタイアしている[14]。最終戦ではシュトメレンに代えてサム・ポージーが起用され、ヘイルウッドも再び起用された。ヘイルウッドは15位、サーティースは17位、ポージーはピストントラブルでリタイアした[15]

1972年に入るとチームはTS9をTS9Bにアップデートしたが、ドライバーのラインナップは変更された。ジョン・サーティースはチームの運営に専念するためドライバーを辞め、オーストラリア人ドライバーのティム・シェンケンとイタリア人ドライバーのアンドレア・デ・アダミッチを起用した。開幕戦のアルゼンチングランプリではシェンケンが5位、アダミッチは燃料システムのトラブルでリタイアしている[16]。第2戦南アフリカグランプリからはマイク・ヘイルウッドも加わった。アダミッチは周回数が10周足らず非完走扱いとなり、ヘイルウッドはサスペンションを破損しリタイア、シェンケンもエンジントラブルでリタイアした[17]。スペイングランプリではアダミッチが4位、シェンケンが8位、ヘイルウッドは電気系トラブルでリタイアした[18]。モナコではアダミッチが7位となったものの、ヘイルウッドとシェンケンは雨の中の事故でリタイアした[19]。ベルギーグランプリではヘイルウッドが4位に入ったが、シェンケンはオーバーヒート、アダミッチもエンジントラブルでリタイアした[20]。フランスグランプリではヘイルウッドが6位、アダミッチが14位、シェンケンが17位となった[21]。イギリスグランプリでは3人揃ってリタイアとなった。シェンケンはサスペンション破損、ヘイルウッドはギアボックストラブル、アダミッチはアクシデントであった[22]。ドイツグランプリではアダミッチが13位、シェンケンは14位、ヘイルウッドはサスペンショントラブルでリタイアした[23]。オーストリアグランプリではヘイルウッドが4位、シェンケンが11位、アダミッチが14位となり[24]、イタリアグランプリではヘイルウッドが2位に入り、アダミッチはブレーキトラブル、シェンケンはスピンオフでリタイアとなった[25]。カナダグランプリではサーティースがヘイルウッドに代わってTS14で出走、TS9をドライブしたシェンケンとアダミッチはシェンケンが7位、アダミッチはギアボックストラブルでリタイアした[26]。最終戦アメリカグランプリではシェンケンがTS14をドライブ、復帰したヘイルウッドはアクシデントの後17位となり、アダミッチはアクシデントでリタイアした[27]

TS9Bは1973年、ブラジルと南アフリカの2戦で出走した。ブラジルではブラジル人ドライバーのルイス・ブエノがドライブし12位となった[28]。南アフリカではアダミッチがドライブし、TS9B最後のレースで8位となった[29]

1972:チーム・ガンストン

チーム・ガンストンはTS9を購入し、ジョン・ラヴ南アフリカグランプリに出走させた。ラヴはアクシデントでパンクしたものの16位に入

1972:チャンプカー・インク

チャンプカー・インクはTS9Bを購入し、サム・ポージーアメリカグランプリに出走させた。ポージーは12位で完走した。

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F1における全成績

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ノンタイトル戦における全成績

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参照

外部リンク

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