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ショーン・マーカム
アメリカの野球選手 (1981 - ) ウィキペディアから
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ショーン・ミカル・マーカム(Shaun Michal Marcum, 1981年12月14日 - )は、アメリカ合衆国・ミズーリ州カンザスシティ出身の元プロ野球選手。投手、右投右打。
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経歴
要約
視点
プロ入りとブルージェイズ時代
2003年にMLBドラフトでトロント・ブルージェイズから3巡目(全体80位)指名され、プロ入り。2005年9月6日のボルチモア・オリオールズ戦でメジャーデビュー。翌2006年は先発ローテーションの穴埋め的な存在ながら21試合に登板(14先発)。シーズン終盤に好投した。
2007年シーズン当初はリリーフだったが、先発投手陣の相次ぐ故障や不調から先発に回り、12勝を挙げる活躍を見せた。2008年も開幕からローテーションの一員として活躍していたが、8月に不振に陥りマイナー降格。9月に復帰するが、シーズン終了後に左肘のトミー・ジョン手術を受けた。
2009年は開幕からリハビリに専念していたが、7月にA+級ダニーデン・ブルージェイズで実戦復帰を果たした。当初は8月以降のメジャー復帰を目指しているとされたが、チームが地区4位と低迷したこともあり、球団GMのJ・P・リッチアーディはマーカムに無理をさせず、2010年の復帰に向けてじっくり調整させる方針を固めたため、マイナー5試合に調整登板した時点でシーズンを終えた[1]。
2010年はそれまでブルージェイズのエースを担ってきたロイ・ハラデイが移籍したため、彼に代わる開幕投手に指名される。好投するもなかなか勝ち星に恵まれない状況にあったが、5月2日のオークランド・アスレチックス戦で7回1失点の好投で勝ち投手となり、2008年9月以来となる公式戦での勝利投手となった。最終的に自己最多の13勝を挙げ、先発登板数・投球回数・奪三振・WHIPでも自己最高を更新した。
ブルワーズ時代

(2011年6月12日)
2010年シーズン終了後の12月6日、ブレット・ロウリーとのトレードでミルウォーキー・ブルワーズに移籍[2]。ブルワーズは主砲プリンス・フィルダーがFAまであと1年という状況で、契約延長は予算的にほぼ不可能だったため、彼をトレードで放出するかどうか注目を集めていた。しかしブルワーズはフィルダーを放出せず、若手有望株のロウリーを放出して弱点の先発投手陣を強化したことで、2011年シーズンを勝ちにいく姿勢を明確にした。さらに同月19日には、ザック・グレインキーもトレードでブルワーズへ。優勝争いできるチームへの移籍を望んでいたグレインキーは当初、2010年に77勝85敗と負け越したブルワーズを移籍拒否リストに入れていたが、フィルダーを残留させマーカムを獲得したブルワーズの姿勢に考えを改め、移籍を承諾したという[3]。 2011年はレギュラーシーズン33試合に登板、自身最多投球回数となる200回1/3を投げ、13勝7敗、防御率3.54で、ブルワーズ地区優勝に貢献。しかし、ポストシーズンでは先発した3試合(ディヴィジョンシリーズ1試合、リーグチャンピオンシップシリーズ2試合)でいずれも打ち込まれ、0勝3敗・防御率14.90といいところが無く[4]、チームもセントルイス・カージナルスに敗れワールドシリーズ出場を逃した。
メッツ時代
2013年1月30日にニューヨーク・メッツと1年400万ドルで契約[5]。シーズンでは14試合に登板して1勝10敗・防御率5.29で、7月23日に放出された。
インディアンス時代
2013年12月16日にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結んだ[6]。
2014年はメジャーでの登板は無く、傘下のAAA級コロンバス・クリッパーズで8試合に登板して1勝0敗・防御率2.35だった。11月18日にマイナー契約で再契約した。
2015年は4月12日にメジャー昇格した[7]が、14日にDFAとなった[8]。その後、5月20日に再昇格した[9]。6月18日に再びDFAとなり、20日にAAA級コロンバスに配属された。
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投球スタイル
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直球は最速で90マイル(約145km/h)に届く程度だが、チェンジアップ、カーブ、スライダー、カッターを駆使する技巧派。決め球はチェンジアップ[10]。 球速の割に三振がとれ、四球も少ないためK/BBの値は高水準で、2010年のK/BBはアリーグの先発投手の中で3番目に良い値と記録している。その一方でフライボーラーであるため被本塁打が多くなる傾向にあるのが課題である。
詳細情報
年度別投手成績
- 「-」は記録なし
背番号
- 28 (2005年 - 2010年)
- 18 (2011年 - 2012年)
- 38 (2013年、2015年)
脚注
関連項目
外部リンク
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