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シルクフェニックス

日本の競走馬 ウィキペディアから

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シルクフェニックス(欧字名:Silk Phoenix1993年5月11日 - 2007年4月14日)は、日本競走馬繁殖牝馬[1]。主な勝ち鞍に1997年1998年エンプレス杯

概要 シルクフェニックス, 欧字表記 ...
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経歴

1995年12月2日の3歳新馬(阪神芝1200m)でデビュー。初戦は2着に入る。折り返しの新馬戦は1番人気に推されたが7着に敗れる。年明け、3戦目の4歳未勝利でダート1200mを使われ1.8倍の人気に応え逃げ切り勝ち。初勝利を飾る。次走、4歳500万下は5着。600m距離延長で挑んだ4歳500万下で2着と好走した。4戦ぶりの芝となった初重賞、報知杯4歳牝馬特別は11着と惨敗。次走は忘れな草賞を使われブービーの12着に終わった。3か月半ぶり、ダートに戻り古馬との初対決となった4歳上500万下を10番人気ながら逃げて上がり最速、後続に6馬身差をつける圧勝で2勝目を挙げる。さらに、平尾台特別も最軽量ハンデ51㎏で逃げ切り連勝となった。昇級戦、再びハンデ51㎏での出走となった阿蘇ステークスは後の重賞4勝馬エムアイブランにアタマ差交わされ2着と惜敗。その後、第1回ユニコーンステークスは3位で入線したが、1位入線のバトルラインが10着に降着となり2着に繰り上がる。これにより、オープン昇級を果たした。次走はこの年に新設された第1回の秋華賞に挑戦。しかし、結果は17着と大敗。その後は引退までダートのみ使われることとなる。

秋華賞から8か月ぶりの実戦となった5歳初戦、灘ステークスは12着と惨敗。続くエンプレス杯は7頭立てと少頭数に一戦となり、スターセレッソをクビ差振り切り1着。初重賞制覇となった。また、騎乗した福永祐一にとってもこれが初重賞制覇となった。次走、関越ステークスは接戦のなか2着。エルムステークスはブービーの11着と惨敗する。その後、クイーン賞は5着に敗れた。

5か月半ぶり、6歳と初戦なったマリーンカップは13着と惨敗。しかし、連覇に挑んだエンプレス杯は好位から抜け出し2着のメジロランバダに1馬身差をつけ1着。1年ぶりの勝利で連覇を達成した。続くスパーキングレディーカップはホクトロビンを交わせず2着。クイーン賞は1番人気に推されたが、イシゲヒカリに5馬身離された2着に終わった。次走、霜月ステークスは7着。東海ウインターステークスは4着と踏ん張った。7歳になり、TCK女王盃は9着に終わる。これが最後のレースとなり、1999年1月27日に競走馬登録を抹消、繁殖入りとなった。

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競走成績

要約
視点

以下の内容は、JBISサーチ[2]およびnetkeiba[3]に基づく。

さらに見る 競走日, 競馬場 ...
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繁殖成績

生まれ故郷の早田牧場で繁殖生活を送る。その後、早田牧場が破産したため、ヤナガワ牧場へ移動となった。2007年4月14日に死亡。14歳没。

さらに見る 生年, 馬名 ...

血統表

シルクフェニックス血統(血統表の出典)[§ 1]
父系ダンジグ系

*アジュディケーティング
Adjudicating
1987 黒鹿毛
父の父
Danzig
1977 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Pas de Nom Admiral's Voyage
Petitioner
父の母
Resolver
1974 鹿毛
Reviewer Bold Ruler
Broadway
Lovely Morning Swaps
Misty Morn

*ジュエルドクラウン
Jeweled Crown
1988 黒鹿毛
Seattle Slew
1974 黒鹿毛
Bold Reasoning Boldnesian
Reason to Earn
My Charmer Poker
Fair Charmer
母の母
Six Crowns
1976 栗毛
Secretariat Bold Ruler
Somethingroyal
Chris Evert Swoon's Son
Miss Carmie
母系(F-No.) Miss Carmie系(FN:23-b) [§ 2]
5代内の近親交配 Bold Ruler 4×5・4、Princequillo 5×5 [§ 3]
出典
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脚注

外部リンク

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