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ジム・テータム
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ジェームズ・レイ・テータム・ジュニア(James Ray "Jim" Tatum, 1967年10月9日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)[1]。右投右打[1]。
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経歴
1985年のMLBドラフト3巡目(全体76位)でサンディエゴ・パドレスから指名され、プロ入りした。
MLB時代
1992年にミルウォーキー・ブルワーズでメジャー (MLB) デビューする。
1993年に新創設球団のコロラド・ロッキーズに移籍。同年5月4日の対シカゴ・カブス戦で、ダン・プリーサックからロッキーズ球団創設後初の満塁本塁打を放った。
1994年から1996年にかけ、マイナーリーグのAAA級で3年連続打率3割を記録した[1]。1996年はボストン・レッドソックス、パドレスに所属した。同年はMLBでは5試合に出場して3試合無安打で、同年までのMLB通算4年間では136試合出場、143打数、29安打、打率.203、1本塁打、16打点の成績だった[1]。一方、パドレス傘下のAAA級ラスベガスでは本職は三塁手ながら主に外野手として出場し、打率.343、12本塁打を記録した[1]。同年オフにはNPBの中日ドラゴンズが新外国人候補の一人として、ラスベガスでプレーしていたテータムをリストアップしており、本命としていたレオ・ゴメス(シカゴ・カブス)の獲得交渉が不調に終わった場合はテータムら数人の選手を身分照会することも検討していたが[1]、結局はゴメスの獲得に成功し[2]、テータムが中日に入団することはなかった。
ヤクルト時代
AAA級ラスベガスでプレーしていた1997年6月、NPBのヤクルトスワローズに入団した。来日後は小早川毅彦と一塁手のポジション争いを演じながら、主に左投手が先発する際に先発出場し、51試合で打率.309、13本塁打と結果を残し、同年のヤクルトのセントラル・リーグ優勝に貢献した。また規定打席未到達ながら、OPSは1.030を記録していた。もっとも、13本塁打のうち11本が、スタメンを外されることの多い右投手相手だった。
同年の西武ライオンズとの日本シリーズ第1戦(西武ライオンズ球場)でも、0対0で迎えた8回表に西武先発の西口文也から先制1点本塁打を放ち、これが決勝点となり、チームは1対0で勝利。最終的に初戦を制したヤクルトが日本一に輝いた。一定の活躍を見せたテータムだったが、ヤクルト球団はシーズン終了後に新外国人としてライル・ムートンの獲得を決定、これに伴ってテータムは同年限りで自由契約となり、ヤクルトを退団した[3]。
ヤクルト退団後
帰国後の1998年にニューヨーク・メッツでメジャー復帰を果たした。同年は4試合で捕手を務め、前年にヤクルトでチームメイトだった吉井理人ともバッテリーを組んだ。1999年および2000年はメジャーでの出場は無く、2000年は韓国プロ野球のLGツインズとメキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズでプレーし、この年限りで現役引退。
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選手としての特徴・人物
1971年にヤクルトに在籍した外野手であるジャービス・テータムとは無関係である。
詳細情報
年度別打撃成績
記録
- NPB
背番号
- 39 (1992年)
- 20 (1993年)
- 19 (1995年、1998年)
- 48 (1996年 - 同年途中)
- 2 (1996年 - 同年終了)
- 49 (1997年)
- 23 (2000年)
脚注
関連項目
外部リンク
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