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スーパーシンザン
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スーパーシンザン(欧字名:Super Shinzan、1987年6月6日 - 不明)は、日本の競走馬、種牡馬[1]。
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![]() | この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
オープンクラスでの勝利とは縁がなかったものの、三冠馬シンザンの最終世代産駒のうち最後に生まれ、かつ最後にJRAでの勝利を挙げた産駒として記録されている。
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競走馬時代
要約
視点
デビューまで
1987年6月6日に、浦河町の幌別牧場で生まれる[1]。父・シンザンは前年1986年は20頭に種付して8頭の産駒が産まれており、1987年は5頭に種付したものの受胎させることはできず種牡馬引退となり、1987年生まれの産駒が最終世代となった[3]。1987年生まれの8頭のうちシバツルの仔、すなわち後のスーパーシンザンが最も遅生まれであり、まずこの点で文字通りの「シンザン最後の産駒」であった[2]。シバツルとの交配も、1986年7月に行われた4度目の交配でようやく受胎させたものであった[4]。
戦績
1990年4月1日、阪神競馬場での4歳未出走戦で音無秀孝の騎乗でデビューするが、阪神と京都競馬場での未出走戦、未勝利戦では勝ちあぐね、札幌競馬場に転戦し山田泰誠が騎乗して2戦目で初勝利を挙げる[5]。札幌と函館競馬場での北海道開催で7着が一度あった以外は500万下勝ちを含め馬券圏内、掲示板に載る成績の残したのち京都新聞杯に出走するもメジロライアンの12着に終わり、放牧に出される[5]。5歳夏、500万下に降級し横山典弘を鞍上に迎え札幌でのニセコ特別でのちの有馬記念・宝塚記念馬メジロパーマーを4分の3馬身下し、続く900万下のHBC杯もサクラスズカオーを3馬身2分の1差離してレコード勝ちを収めて2連勝とする[5]。オープン特別の道新杯、重賞の函館記念を連続4着としたのち骨膜炎により放牧に出された[5]。
6歳を迎えた1992年は1月の日経新春杯から始動し8着、続くオープン特別のすばるステークス8着、間をあけて出走の1500万下の垂水ステークス5着を経て福島競馬場に転戦し、福島テレビ杯を2番手からの競馬で押し切って5勝目とする[5]。続く七夕賞では1番人気に支持されるもリーゼンシュラークの7着に終わり、函館に転戦しての2戦、秋競馬を迎えての3戦も振るわず、7歳時前半は6戦して二度3着を記録したが、球節の骨膜炎にによる休養を余儀なくされる[5]。休み明けのフェアウェルステークスも11着、8歳を迎えての初戦である寿ステークスの13着と低迷を続けたが、1994年を迎え休み明け3戦目の妙見山ステークスで10頭立ての最低人気ながら3着に追い込む[6]。その後5戦は5着が1回あった以外は掲示板に載らないレースが続いたが、5月22日阪神での1500万下のストークステークスでは先行し、アロートゥスズカをハナ差競り負かして久しぶりの勝利を挙げた[7][8]。ストークステークスでの勝利は、シンザン産駒のJRAでの通算勝利数を627勝目とするものであった[8]。ストークステークスののち札幌に転戦するも大敗が続き、その間の11月10日に管理する田中良平調教師が死去、息子の田中章博厩舎所属となって2週間あまりのち、オープン特別であるトパーズステークスに出走して8着とし、これが最後のレースとなった[8]。12月4日にJRAの登録を抹消され、当初は地方競馬への移籍が報じられたが実際には移籍せず、この時点をもって現役馬血統表の父馬欄に「シンザン」と記された競走馬はJRAからは全て姿を消した[2]。この時点での他のシンザン直仔の競走馬は、中津競馬場在籍のシンテイザンがいた[9]。
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競走成績
要約
視点
以下の内容は、netkeiba.com[10]およびJBISサーチ[11]に基づく。
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引退後
引退後は種牡馬入りした[2]。生涯で9頭の繁殖牝馬と交配して、3世代で5頭の産駒を得た[12]。用途変更となったのちの消息は不明。5頭の産駒は全てデビューして、そのうち3頭が地方競馬で勝ち上がった。2007年9月17日、最後まで走っていたタカシマシンザンが抹消となり現役産駒はいなくなった。繁殖にあがった産駒は、牡牝ともいなかった。
全産駒
血統表
スーパーシンザンの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ボワルセル系 |
[§ 2] | ||
父 シンザン 1961 鹿毛 |
父の父 *ヒンドスタンHindostan 1946 黒鹿毛 |
Bois Roussel | Vatout | |
Plucky Liege | ||||
Sonibai | Solario | |||
Udaipur | ||||
父の母 ハヤノボリ1949 栗毛 |
ハヤタケ | *セフト | ||
飛竜 | ||||
第五バツカナムビユーチー | *トウルヌソル | |||
バツカナムビユーチー | ||||
母 シバツル 1965 黒鹿毛 |
*キノー Quinault 1958 栗毛 |
Helioscope | Heliopolis | |
War Flower | ||||
Rivaz | Nearco | |||
Mumtaz Begum | ||||
母の母 シバクロバー1967 栗毛 |
*ソロナウェー | Solferino | ||
Anyway | ||||
レツドクロバー | Golestan | |||
*レツドグロー | ||||
母系(F-No.) | レツドグロー(IRE)系(FN:9) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Gainsborough5×5=6.25%、Nasrullah, Rivaz3×5=15.63%、Pharos、Fairway5×5=6.25% | [§ 4] | ||
出典 |
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脚注
参考文献
外部リンク
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