トップQs
タイムライン
チャット
視点

タケノベルベット

ウィキペディアから

Remove ads

タケノベルベット日本競走馬1992年エリザベス女王杯優勝馬である。そのほかのおもな勝鞍に鳴尾記念などがある。半姉に桜花賞リーゼングロス(父アローエクスプレス)やマーサレッド(1983年優駿賞最優秀3歳牝馬、父ボールドリック)がいる[1]

概要 タケノベルベット, 品種 ...

馬齢は旧表記にて統一する。

戦績

デビューは1992年2月のダート1800m新馬戦であり、2馬身半差で快勝。エリザベス女王杯出走まで6戦3勝という成績を残している[1]。その間にはクラシックトライアルチューリップ賞アドラーブルニシノフラワーの3着[2]、ただし当時は重賞ではなく優先出走枠は2着馬までだった)やスイートピーステークス(8着)にも出走しているが、優先出走権を得ることは出来ず春にはGIとは無縁な馬だった。準オープンの身で出走したエリザベス女王杯では18頭立てでブービーの17番人気とまったく注目されていなかったが、同じくパドスール産駒の2着メジロカンムリを3馬身半突き放して快勝、馬番連勝の配当が7万470円という番狂わせであった[3]。なおこの勝利は鞍上を託された藤田伸二にとっては初のG1制覇であった[2]。続く鳴尾記念では古馬牡馬相手に掛かるところがありながら勝利し、エリザベス女王杯がフロックではなかったことを証明して見せた[4]

1993年日経新春杯3着、阪神大賞典ではレコードをマークしたメジロパーマーと半馬身差の2着[5]と好成績を残しており、天皇賞(春)では5番人気と穴馬的な評価を受けていたが、フケ(発情)の影響もあり10着と大敗。同レースを最後に引退した[6]

Remove ads

競走成績

さらに見る 競走日, 競馬場 ...
Remove ads

引退後

繁殖牝馬となったが、8頭の産駒が中央でデビューして計1勝にとどまり、目立った産駒の活躍はなかった。また、産駒のほとんどが牝馬である。2007年までに10頭目の産駒を送り出し、2011年に繁殖から引退。その後はイーハトーヴ・オーシァンファームで余生を送る。所有権は土佐黒潮牧場にあるが、当地は繋養馬が牡馬ばかりであること、北海道から高知県への長距離輸送やそれにともなう環境の変化の大きさを考慮し、同じ養老牧場であるイーハトーヴ・オーシァンファームに預託する形式をとっている。2014年2月28日に同ファームで息を引き取った[7]

血統表

タケノベルベット血統(血統表の出典)[§ 1]
父系ミルリーフ系
[§ 2]

* パドスール
Pas de Seul
1979 鹿毛
父の父
Mill Reef
1968 鹿毛
Never Bend Nasrullah
Lalun
Milan Mill Princequillo
Virginia Water
父の母
Thereby
1965 黒鹿毛
Star Moss Mossborough
Star of France
Besides Naucide
Bees Knees

タケノダンサー
1971 栗毛
* チャイナロック
China Rock
1953 栃栗毛
Rockefella Hyperion
Rockfel
May Wong Rustom Pasha
Wezzan
母の母
* ラダンスーズ
La Danseuse
1964 鹿毛
Le Levanstell Le Lavandou
Stella's Sister
Star Dancer Arctic Star
Dancing Time
母系(F-No.) ラダンスーズ系(FN:2-f) [§ 3]
5代内の近親交配 Nearco 5・5×5 [§ 4]
出典
Remove ads

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads