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タマヨリビメ (日向神話)

神武天皇の母 ウィキペディアから

タマヨリビメ (日向神話)
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タマヨリビメ玉依毘売)、タマヨリヒメ玉依姫)は、「神霊が依り憑く女性」「神と婚姻する憑依型の巫女」を意味する普通名詞、普遍的名称であり、古代の神話・伝承で神との間に子をもうけた多数の女性がそう呼ばれる[1][2]。本項では、日本神話に登場する神武天皇の母として知られるタマヨリビメ玉依毘売、『古事記』)またはタマヨリヒメ玉依姫、『日本書紀』)について述べる。

概要 玉依毘売 / 玉依姫, 神祇 ...
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概要

タマヨリビメの名は、本項のタマヨリビメ以外にも、記紀神話や風土記で別存在の名として見られる[1]倉塚曄子によると、タマヨリビメとは「神霊が依り憑く女性」を意味し、「祭儀の際、神降臨の秘儀に立ち会う巫女が、神話的には神に感精してその子を生む母として形象化されたもの」であり、物語の中では固有名詞、特定の女神・女性の名前のように扱われているが、普通名詞、普遍的名称と考える方が正しい[1][2]

本項のタマヨリビメは、『古事記』では玉依毘売玉依毘売命、『日本書紀』では玉依姫と表記される。海神の娘であり、天孫彦火火出見尊との間に彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊を生んだ豊玉毘売(トヨタマビメ)の妹で、養育した甥の彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊と結婚し若御毛沼命(神武天皇)をもうけた[1]

皇統が穀霊で続き、玉依毘売の御子も「五瀬命」(厳稲の命)、「稲氷命」(稲霊の命)、「御毛沼命」(御食主の命)、「若御毛沼命」(若御食主の命)であることから、本項のタマヨリビメは、特に穀霊を依り憑かせる巫女であったと考えられる[3]

中世の社記には、八幡宮の祭神の一柱である比咩神(女神、配偶神)が、海神の娘で神武天皇の母であるタマヨリビメであると書かれており、これを論拠に比咩神を本項のタマヨリビメと比定する主張も多いが、他にも諸説あり、別のタマヨリビメだとする説もある[2]

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系譜

要約
視点

記紀』によれば、父は綿津見神で母に関する記載はないが、姉に豊玉毘売命がいる。

  • 夫:彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあわせず の みこと/-ふきあえず の みこと、『古事記』では日子波限建鵜葺草葺不合命) - 『日本書紀』
    火折尊の子。
    • 子:彦五瀬命(ひこいつせ の みこと、『古事記』では五瀬命) - 『日本書紀』
      神武東征の際に賊の矢にあたって薨じた。
    • 子:稲飯命(いない の みこと、『古事記』では稲氷命) - 『日本書紀』
      韓地に渡ったが、神武東征の際に鋤持神となったとも。
    • 子:三毛入野命(みけいりぬ の みこと、三毛野命、『古事記』では御毛沼命) - 『日本書紀』、『先代旧事本紀』
      神武東征の際に常世郷へ行った。
    • 子:神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこ の みこと、『古事記』では和風諱号を神倭伊波礼毘古、名を若御毛沼命) - 『日本書紀』
      のちの神武天皇(初代天皇

系図

天照大御神
 
 
 
天忍穂耳命
 
 
 
邇邇芸命
 
 
 
木花之佐久夜毘売
 
 
 
 
 
豊玉彦命
海神
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
火遠理命
 
 
 
豊玉毘売命
 
 
 
宇都志日金拆命
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鵜草葺不合命
 
 
玉依毘売命(子孫は阿曇氏
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
五瀬命稲飯命御毛沼命若御毛沼命
(神武天皇)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(子孫は皇室
 
 
 
 
 
  • 赤背景は女性。

出典:[4]

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記録

古事記

古事記』によれば、豊玉毘売命は出産後、大きなサメの本体をあらわにしてしまったのを恥じ、子(鵜葺草葺不合命)を置いて去ったが、のちに妹の玉依毘売命を遣わして歌を献り、子を養わせた。のちに鵜葺草葺不合命は玉依毘売命をめとり、四子を生んだという。

日本書紀

日本書紀』によれば、豊玉姫は火折尊との間の子の鸕鶿草葺不合尊を産むために海から海辺に来たが、この時豊玉姫は妹の玉依姫を従えていた。のちに玉依姫は鸕鶿草葺不合尊(玉依姫から見ればにあたる)の妃となり四子を生んだという。

また、第10段の第1の一書によれば、豊玉姫は出産後、子(鸕鶿草葺不合尊)を置いて海にかえったが、その際に玉依姫を留めて鸕鶿草葺不合尊を養わせたという。

また、第3の一書によれば、豊玉姫は出産後、子を置いて海に去ったが、その後、玉依姫を遣わして火折尊に歌を贈り、鸕鶿草葺不合尊を養わせたという。

また、第4の一書では、「一云」として、豊玉姫は出産後、子を自ら抱いて海に去ったが、のちに玉依姫に子を抱かせて陸に送り出したとする。

先代旧事本紀

先代旧事本紀』によれば、豊玉姫命は火折尊の子の鸕鶿草葺不合尊を産んだ後、子を置いて自ら抱いて海に去った(または玉依姫命を留めて子を養わせて去り、のちに玉依姫命に子を持たせて陸に送り出した)。のちに豊玉姫命は玉依姫命を遣わして火折尊に歌を贈り、鸕鶿草葺不合尊を養わせた。この時、玉依姫命と火折尊との間に武位起命がうまれた。のちに玉依姫命は自らが養った鸕鶿草葺不合尊の妃となり、四子を生んだという。

八幡宮の比咩神

二十一社記』『八幡宇佐宮御託宣集』『石清水八幡宮末社記』『八幡愚童訓』といった中世の社記には、八幡宮の祭神の一柱である比咩神(女神、配偶神)が、海神の娘で神武天皇の母であるタマヨリビメであると書かれており、これを論拠に比咩神を神武天皇の母であるタマヨリビメと比定する主張も多いが、諸説あり、宗像三女神説、応神天皇の伯母説、それらが融合した存在であるという説や、神武天皇の母であるタマヨリビメではなく同名の別神で火の神であるとする説などがある[2]

祀る神社

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脚注

参考文献

関連項目

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