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ダグ・マシス
アメリカの元プロ野球選手 ウィキペディアから
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ダグラス・アラン・マシス(Douglas Alan "Doug" Mathis, 1983年6月7日 - )は、アリゾナ州フェニックス出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。右投右打。
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経歴
要約
視点
プロ入り前
ショウロー高等学校1年時まで、アメリカンフットボールの選手でクォーターバックをしていたが、怪我などもあり野球に専念する[1]。
2002年のMLBドラフト34巡目(全体1021位)でロサンゼルス・ドジャースから、2003年のMLBドラフト31巡目(全体926位)でシアトル・マリナーズから指名を受けるも、入団には至らなかった。
プロ入りとレンジャーズ時代
2005年のMLBドラフト13巡目(全体399位)でテキサス・レンジャーズから指名され、プロ入り[2]。
2008年5月12日にメジャーデビューを果たす。
ジャイアンツ傘下時代
2011年1月5日にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結ぶも、3月28日に自由契約となり、4月6日にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結んだが、またも自由契約となった。
アスレチックス傘下時代
2011年6月18日にオークランド・アスレチックスとマイナー契約を結んだ[3]。傘下のAAA級サクラメント・リバーキャッツで4試合に先発登板して0勝1敗、防御率6.33、10奪三振を記録した。7月11日に自由契約となった。
サムスン時代
2011年7月16日に、故障により退団したライアン・ガーコの代役として韓国プロ野球のサムスン・ライオンズに入団。同年限りで退団した。
レッドソックス傘下時代
2011年12月11日にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結んだ。
2012年は傘下のAAA級ポータケット・レッドソックスでプレーし、19試合(先発18試合)に登板して7勝6敗、防御率4.07、59奪三振を記録した。7月25日に自由契約となった。
ロッテ時代
2012年7月27日に千葉ロッテマリーンズが獲得を発表した[4]。8月11日のオリックス・バファローズ戦で初先発するも5回2/3を4失点で敗戦投手となった。オフの11月30日に球団から来季の契約を結ばないことが発表された[5][6]。
マーリンズ傘下時代
2013年1月3日にマイアミ・マーリンズとマイナー契約を結んだ。AAA級ニューオーリンズ・ゼファーズでプレーし、24試合(先発21試合)に登板して5勝8敗、防御率3.85、85奪三振を記録した。
パイレーツ傘下時代
2013年8月18日に金銭トレードで、ピッツバーグ・パイレーツへ移籍した。傘下のAAA級インディアナポリス・インディアンスでプレーし、2試合に登板して0勝1敗、防御率7.50だった。オフの11月5日にFAとなった。
レンジャーズ傘下時代
2013年12月12日にレンジャーズとマイナー契約を結んだ[7]。
2014年はAAA級ラウンドロック・エクスプレスで2試合に登板したが、4月11日に自由契約となった。
レイズ傘下時代
2014年4月15日にタンパベイ・レイズとマイナー契約を結んだ。
統一時代
2015年4月29日、統一セブンイレブン・ライオンズと契約して5勝を記録したが、シーズン途中の7月29日に自由契約となった。
現役引退後
2017年から2年間はマリナーズ傘下のA級クリントン・ランバーキングス、2019年にはトロント・ブルージェイズ傘下のAAA級バッファロー・バイソンズで投手コーチを務めた。
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人物
詳細情報
年度別投手成績
記録
- 初登板・初先発:2012年8月11日、対オリックス・バファローズ16回戦(QVCマリンフィールド)、5回2/3を4失点で敗戦投手
- 初奪三振:同上、2回表に伊藤光から
- 初勝利・初先発勝利:2012年8月26日、対福岡ソフトバンクホークス20回戦(QVCマリンフィールド)、7回無失点
背番号
- 49(2008年 - 2009年途中)
- 52(2009年途中 - 2010年、2015年)
- 44(2011年)
- 36(2012年)
- 64(2020年)
- 71(2021年 - 2022年)
脚注
関連項目
外部リンク
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