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ダラス・カイケル

アメリカ合衆国のプロ野球選手 ウィキペディアから

ダラス・カイケル
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ダラス・カイケルDallas Keuchel[注釈 1]1988年1月1日 - )は、アメリカ合衆国オクラホマ州タルサ出身のプロ野球選手投手)。左投左打。MLBカンザスシティ・ロイヤルズ傘下所属。愛称はキッド・カイキーKid Keuchy[1]ビッグD[2]

概要 カンザスシティ・ロイヤルズ(マイナー), 基本情報 ...
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経歴

要約
視点

プロ入りとアストロズ時代

2009年MLBドラフト7巡目(全体221位)でヒューストン・アストロズから指名され、プロ入り。

2012年6月17日のテキサス・レンジャーズ戦でメジャーデビューを果たした[3]。2度目の登板となった6月23日のクリーブランド・インディアンスでは1失点完投でメジャー初勝利を挙げた[4]。しかし、7月以降は打ち込まれる試合が増え、与四球(39)が奪三振(38)を上回った[5]

2014年は29試合全てに先発登板して12勝9敗、防御率2.93の成績を残した[5]。また、自身初となるゴールドグラブ賞を受賞した。

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ヒューストン・アストロズ時代
(2015年8月25日)

2015年は33試合に登板し、アメリカンリーグ最多の232.0イニングに投げ、リーグトップタイの2完封勝利を含む20勝を挙げて最多勝のタイトルを獲得[5]。WHIP1.02もリーグトップであり、ほか216奪三振はリーグ5位だった[5]。チームにとって10年ぶりとなったポストシーズンでは、10月6日のニューヨーク・ヤンキースとのワイルドカードゲームで自身初出場・初先発し、6回無失点、3安打、1四球の好投で勝利投手となり、ディビジョンシリーズ進出に貢献した。シーズンオフ、30票中22票の1位票を獲得し、2位のデビッド・プライスに40ポイント以上の差をつけてアリーグのサイ・ヤング賞投手に選出された[6][7]

2016年は先発ローテーションで26試合に登板したが、9勝12敗と負け越した[5]。それでも防御率4.55を記録し、3年連続でゴールドグラブ賞を受賞した[5]

2017年は開幕9連勝を記録する一方、首の故障で2度の故障者リスト入りを経験した[8]。23試合の登板に終わり規定投球回には達しなかったが、2年ぶりの2桁勝利となる14勝を挙げ、防御率も2.90だった[5]。ポストシーズン全体で2勝2敗、防御率3.58の成績を残し、球団史上初のワールドシリーズ制覇に貢献した。

2018年は34試合に先発登板して12勝11敗、防御率3.74、153奪三振を記録した[5]。オフに2年ぶりに自身4度目となるゴールドグラブ賞を受賞した[5]。単年1790万ドルのクオリファイング・オファー(QO)を拒否し、10月29日にFAとなった[9]

ブレーブス時代

2019年シーズン開幕前での契約合意には至らず[注釈 2]MLBドラフト終了後の6月7日にアトランタ・ブレーブスと単年1300万ドルで合意したことが発表された[11]。背番号はアストロズ時代と同じ「60」で、6月21日にメジャー昇格した[5]。最終成績は19先発で8勝8敗、防御率3.75だった[5]。ポストシーズンのNLDSで2先発したが勝敗はつかなかった。同年オフの10月31日にFAとなった[12]

ホワイトソックス時代

2019年12月30日にシカゴ・ホワイトソックスと3年総額5500万ドルで契約を結んだことが発表された[13]。背番号はメジャー昇格以降身につけている「60」で、オプションとして2023年シーズンは球団側が選択権を所持し、バイアウトの際は150万ドル支払われる。

2022年は開幕から不振で、5月28日にDFAとなり[14]、30日に自由契約となった[15]

ダイヤモンドバックス時代

2022年6月7日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結び、傘下のAAA級リノ・エーシズへ送られた[16]。26日にメジャー契約を結びアクティブ・ロースター入りした[17]。7月22日にDFAとなり、そのまま自由契約となった[18]

レンジャーズ時代

2022年7月25日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結んだ[19]。8月27日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[20]。9月4日にDFAとなり[21]、5日に自由契約となった[22]

ツインズ時代

2023年6月22日にミネソタ・ツインズとマイナー契約を結んだ[23]。8月3日にメジャー契約を結んだ[24]。同月6日に前年に所属したダイヤモンドバックス戦で移籍後初登板を果たした。オフの11月3日にFAとなった[25]

マリナーズ傘下時代

2024年4月2日シアトル・マリナーズとマイナー契約を結んだ。5月20日にリリースとなったが、3日後に再契約した[26]

ブルワーズ時代

2024年6月25日に金銭トレードでミルウォーキー・ブルワーズに移籍した[27]。ブルワーズでは4試合に登板し、0勝0敗、防御率5.40を記録[28][29]。7月15日にDFAとなった[28]

ロッテ時代

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2024年9月11日 京セラドーム大阪

2024年7月30日に千葉ロッテマリーンズへの入団が発表され[30][29]、翌31日に新規支配下選手登録公示がなされた。背番号は41[31]。サイ・ヤング賞を受賞した選手がNPBに出場した例としては、1962年のドン・ニューカム(中日、登録名はニューク、野手として出場)、2023年のトレバー・バウアー(横浜DeNA)以来3人目となった。8月17日の福岡ソフトバンクホークス戦(みずほPayPayドーム福岡)でNPB初登板・初先発するも、5回3安打2失点で勝敗は付かなかった[32]。9月5日にNPB初勝利を挙げたが[33]、10月3日の日本ハム戦で左太もも裏の軽い肉離れで離脱。そのままシーズンを終えた[34]。8試合に登板し、2勝4敗、防御率3.60を記録[34]。オフには保留選手名簿から外れて自由契約となり、ロッテを退団した[35]

ロイヤルズ傘下時代

2025年は6月までそのまま無所属で過ごしていたが、7月9日にカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結んだ[36]

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投球スタイル

Brooksbaseball.net版投球データ[注釈 3][注釈 4]

さらに見る 球種, 投球割合 ...

元々技巧派で、球威はあまりなく、速球ツーシームフォーシーム)は最速93.9mph[注釈 5](約151.1km/h)程度。その他には、平均142km/hのカットボール、平均127km/hのスライダー、平均127km/hのチェンジアップを投げる[38]

2013年のスプリングトレーニングで、ツーシームを習得すると、技巧派としての幅を広げた。しかし、2014年には習得して1年のツーシームと、それまで多投していたカーブを封印。ツーシーム、フォーシーム、スライダーを主体に、カットボール、チェンジアップも投げる速球派にモデルチェンジした。また、技巧派時代は、平均球速115km/hと極端に遅かったチェンジアップの球速・精度を上げ、ゴロを打たせて取る現在の投球スタイルを確立した。投手ゴロによる補殺は、2014年に47個、2015年に53個と2年連続で両リーグ1位を記録した。

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人物

父親は園芸家で、母親は心臓病の専門医をしており、姉が一人いる[39]。2022年1月、MLBネットワークなどで司会を務めるケリー・ナッシュと結婚した[40]

2020年初めにシカゴレイクビューに、214万ドル(当時のレートで約2億3000万円)の家を購入した[41]

若い頃喘息で入院することがあったため、今でも吸入器を持参している。カトリック教徒である。趣味はピアノを弾くこと[39]

詳細情報

年度別投手成績

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  • 2024年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

MLBポストシーズン投手成績

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  • 2024年度シーズン終了時

年度別守備成績

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  • 2024年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 各年度の太字年ゴールドグラブ賞受賞

タイトル

表彰

記録

NPB

初記録
投手記録

背番号

  • 60(2012年 - 2024年途中)
  • 41(2024年7月31日 - 同年終了)
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脚注

関連項目

外部リンク

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