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ティラノサウルス科
ティラノサウルス上科に属する獣脚類の恐竜の科 ウィキペディアから
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ティラノサウルス科(ティラノサウルスか、学名: Tyrannosauridae)は、ティラノサウルス上科に属する獣脚類の恐竜の科。同上科の恐竜の中では大型から超大型であり、後期白亜紀の北アメリカ大陸とアジアに生息した。解剖学的特徴は共通性が高いが、幼体やより小型の属種の体は華奢で、大型の属種の成体は頑強な体格を有する[2]。
より小型の祖先の子孫であるにも拘わらず、ティラノサウルス科の恐竜はほぼ常時各々の生態系において最大の捕食動物であり、食物連鎖の頂点に位置していた。最大の種 Tyrannosaurus rex で、これは既知の陸上捕食動物では最大かつ最も頑強であり、最大全長は13メートルに達し[3]、最大体重は8.4 - 14トンと推定されている[3][4][5][注 1]。二足歩行性であり、顎にはD字型の断面を持つ歯がU字型に配列し、吻部の先端は丸みを帯びる。長い後肢からは他の大型獣脚類と比較して移動速度の向上が示唆されるが、その一方で前肢は手としての機能を保持しつつも退化しており、指も退縮して2本になっている[2]。
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発見の歴史
要約
視点
ティラノサウルス科の最初の化石が発見されたのはカナダ地質調査所による遠征の際であり、その際には無数の離散した歯が発見された。これらの明らかな恐竜の歯は1856年にジョセフ・ライディが Deinodon(「怖ろしい歯」)として命名した。ティラノサウルス科の最初の良好な標本はアルバータ州のホースシューキャニオン累層で発見されたものであり、部分的な骨格を伴うほぼ完全な頭蓋骨から構成されていた。これらの化石は1876年にエドワード・ドリンカー・コープが最初に研究し、東方のティラノサウルス上科の属ドリプトサウルスの種のものであると考えた。1905年、ヘンリー・フェアフィールド・オズボーンはアルバータ州の化石をドリプトサウルスと顕著に異なるものであると認識し、Albertosaurus sarcophagus(「肉を食べるアルバータのトカゲ」)と命名した[6]。1892年にコープは他のティラノサウルス類の骨を記載しており、記載された単離した椎骨はManospondylus gigas と命名された。この発見は100年以上に亘って見落とされており、やがて本標本が実際にはTyrannosaurus rex のものであり、さらに当該の学名に対して先取権を持つことが判明すると、2000年代初頭に議論を呼んだ[7]。

1905年にアルバートサウルスを命名する論文を発表したオズボーンは、同年にさらなるティラノサウルス類の2標本 を記載した。これらの標本はアメリカ自然史博物館が1902年に行ったバーナム・ブラウン率いる遠征においてモンタナ州とワイオミング州で発見されたものであり、オズボーンは当初これらの標本を別種のものであると考えた。彼は1つの標本に Dynamosaurus imperiosus(「力のトカゲの皇帝」)、もう1つの標本に Tyrannosaurus rex(「暴君トカゲの王」)と命名した。1年後、オズボーンはこれらの2標本が同じ種に由来するものであると認識した。最初に発見されたのはディナモサウルスの方であったが、ティラノサウルスという名前が原記載において1ページ先に記載されていたため、ティラノサウルスの名前が用いられるようになった[8]。
バーナム・ブラウンはアルバータ州からさらなるティラノサウルス科標本を蒐集しており、当該グループに特徴的な2本指で短い前肢を保存したもの(1914年にローレンス・ラムが Gorgosaurus libratus 「均衡のとれた熾烈なトカゲ」として命名)もその中には含まれていた。ゴルゴサウルスに関わる2つ目の重大な発見は1942年のもので、保存状態が良好であるが異様に小型の完全な頭蓋骨が発見された。当該標本は第二次世界大戦後にチャールズ・W・ギルモアが研究し、Gorgosaurus lancesnis と命名した[6]。1988年にはロバート・T・バッカーとフィリップ・J・カリーおよびマイケル・ウィリアムズがこの頭蓋骨を再研究し、新属 Nanotyrannus に分類した[9]。また、1946年にソビエト連邦の古生物学者たちはモンゴル国への遠征を開始し、アジア初のティラノサウルス類の化石を発見した。1955年に Evgeny Maleev はモンゴルの化石をティラノサウルスおよびゴルゴサウルス、そして1つの新属 Tarbosaurus(「怖ろしいトカゲ」)と命名した。後の研究で、Maleev のティラノサウルス類の種は実際には成長段階の異なるタルボサウルスの種であることが判明した。後にモンゴルで発見された第二の種は1976年にセルゲイ・クルザノフが記載・命名した Alioramus remotus(「隔たった異なる枝」)であった。ただし、アリオラムスが真のティラノサウルス科であるか、あるいはより基盤的なティラノサウルス類であるかについては、いまだ議論がある[10][6]。
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説明
要約
視点

ティラノサウルス科はいずれも大型の動物であり、全ての種が体重1トンを超える[11]。アリオラムスの1個の標本は全長5 - 6メートルの個体と推定されるものも発見されているが[10]、これを未成熟個体と考える専門家もいる[11][12]。アルバートサウルス、ゴルゴサウルス、ダスプレトサウルスはいずれも全長8 - 10メートルであり[13]、タルボサウルスは10メートル以上に達する[14]。ティラノサウルスの最大級の標本の一つであるスーは全長12.3メートルに達する[3]。
頭蓋骨と歯列
部分的な頭蓋骨だけが発見されているアリオラムスを除いて全ての属で完全な頭蓋骨が得られているため、ティラノサウルス科の頭蓋骨の解剖学はよく理解されている[15]。ティラノサウルス、タルボサウルス、ダスプレトサウルスの頭蓋骨は長さ1メートルを超える[13]。成体のティラノサウルス科は高く頑強な頭蓋骨を持ち、数多くの骨が癒合して強度を増している。同時に、数多くの頭蓋骨の間に存在する空洞のチャンバーや、それらの骨の間に位置する大型の開口部(窓)は、頭蓋骨の軽量化に寄与した。高い前上顎骨や癒合した鼻骨など、ティラノサウルス科の頭蓋骨に見られる数多くの特徴は直近の祖先にも見ることが出来る[11]。
1996年に日本の福井県大倉正敏が手取層群伊月層(約1億2700万年前:前期白亜紀)から基盤的なティラノサウルス類の歯化石が発掘された[16]。真鍋真が研究したところ、派生的なティラノサウルス科などに見られる前上顎骨歯の肥厚化が既に確認された。このためティラノサウルス科では歯の進化が体格の大型化に先んじていた可能性が高いと考えられている[17]。
ティラノサウルス科の頭蓋骨には数多くの固有の形質がある。具体的には、卓越した矢状稜を伴う癒合した頭頂骨が挙げられる。この稜は矢状縫合に沿って縦方向に走り、頭蓋天井の2つの上側頭窓を隔てる。これらの窓の後側では、ティラノサウルス科は特徴的に高い項部のクレストを持ち、このクレストは縦方向よりもむしろ横断面に沿って頭頂骨上を走る。このクレストはティラノサウルス、タルボサウルス、アリオラムスにおいて発達する。アルバートサウルス、ダスプレトサウルス、ゴルゴサウルスは涙骨上に目の前に高いクレストを持つが、タルボサウルスとティラノサウルスは極端に厚みを帯びた後眼窩骨が三日月形のクレストを目の後ろで形成する。アリオラムスはその吻部の最上部に1列に配列した6個の骨質のクレストを持つ。ダスプレトサウルスとタルボサウルスではより低いクレストが報告された標本があり、さらに基盤的なティラノサウルス上科であるアパラチオサウルスとも共通する[12][18]。吻部と頭蓋骨の他の部位にも無数の孔が存在する。D. horneri を記載した2017年の研究によると、ワニやティラノサウルス科に見られる多列の神経血管孔は触覚や鱗状の外皮にも相関がある[19]。
ティラノサウルスの歯
ティラノサウルス科はティラノサウルス上科の祖先と同様に異歯性を持ち、前上顎骨歯は断面がD字型で、他の歯よりも小型である。最初期のティラノサウルス上科や他の獣脚類と異なり、成熟したティラノサウルス科の上顎骨歯と歯骨歯はブレード状ではなく極端に厚く、また断面は丸みを帯びており、いくつかの種では鋸歯が減少している[11]。歯の本数は種のうちで一定しており、大型の種では小型の種よりも少ない傾向がある。例えば、アリオラムスは76 - 78本、ティラノサウルスは54 - 60本の歯を持つ[20]。
ウィリアム・エイブラーは2001年に、アルバートサウルスの歯の鋸歯が歯の割れ目に類似し、膨大部と呼称される丸い空洞に帰着することを観察した[21]。ティラノサウルス科の歯は体から肉を引っ張るための留め具として用いられ、そのためティラノサウルス類が肉片を引き剥がす際の張力によって割れ目のような鋸歯が歯の一面に広がった可能性がある[21]。しかし、膨大部があれば、これらの力をより大きな表面積に分散させ、負担のかかった歯が損傷するリスクを軽減できた[21]。空洞に帰着する切れ込みの存在は、人間の工学とも相等しい。エイブラーの説明によると、ギターメーカーは空洞に帰着する切れ込みを入れることで柔軟性と剛性を交互に木材に与えるとのことである[21]。また航空機の表面の保護においては、ドリルで膨大部様構造を作り、素材の亀裂の伝播を防ぐ方法が用いられている[21]。エイブラーは切れ込みとドリルによる穿孔を伴うアクリル樹脂のバーが規則的に切り込みを入れただけのものに比べて25%以上強い強度を持つことを実証した[21]。ティラノサウルス類や他の獣脚類と異なり、植竜類やディメトロドンなどの太古の捕食動物は摂食の力を受けても歯の切れ目状の鋸歯が広がらないようにする適応を遂げなかった[21]。
体骨格

頭蓋骨は厚いS字型の頸部の先端に位置しており、長く重厚な尾は頭部と胴部に対するカウンターウエイトとして機能し、重心は臀部に位置する。ティラノサウルス科はプロポーション的に非常に小型の2本指の前肢で知られているが、痕跡器官となった第III指が残る場合もある[11][22]。

ティラノサウルス科は後肢で歩行するため、その骨は頑強である。前肢とは対照的に、大半の他のどの獣脚類と比較しても後肢は体サイズに対して長い。幼体やいくつかの小型の成体では、基盤的ティラノサウルス上科と同様に、脛骨が大腿骨よりも長く、オルニトミモサウルス類と同様に脚の速い恐竜の形質を示す。より大型の成体は動作の緩慢な動物の後肢のプロポーション形質を有しているが、アベリサウルス科やカルノサウルス類のような他の大型獣脚類に見られるほどではない。ティラノサウルス科の第III中足骨は第IIおよび第IV中足骨に挟まれて細くなっており、アークトメタターサルとして知られる構造をなす[11]。
アークトメタターサルが最初に進化した時代は不明である。ディロングのような最初期のティラノサウルス上科にアークトメタターサルは存在しないが[23]、より新しい時代のアパラチオサウルスには見られる[18]。この構造はトロオドン科やオルニトミモサウルス類およびカエグナトゥス科を特徴づけるが[24]、最初期のティラノサウルス上科に存在しないことから当該の形質が収斂進化によるものであることが示唆される[23]。
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分類
要約
視点
Deinodontidae という名前は1866年にエドワード・ドリンカー・コープがこの科について作り[25]、1960年代まで新たな名前 Tyrannosauridae の立ち位置で用いられた[26]。Deinodontidae のタイプ属は Deinodon で、モンタナ州産の単離した歯から命名された[27]。しかし、1970年の北アメリカのティラノサウルス類のレビューにおいて、デイル・ラッセルは Deinodon が有効な分類群でないと結論し、Deinodontidae の代わりに Tyrannosauridae の名前を用い、国際動物命名規約と一致すると主張した[13]。このため、ティラノサウルス科という名前が現在の専門家から好まれている[6]。
Tyrannosaurus は1905年にヘンリー・フェアフィールド・オズボーンが命名し、これに伴ってティラノサウルス科も命名された[28]。この名前は古代ギリシア語の τυραννος (tyrannos)(「暴君」)および σαυρος (sauros)(「トカゲ」)に由来する。接尾詞 -idae は動物の科の名前に一般に付されるものであり、複数名詞を示すギリシア語の接尾詞 -ιδαι -idai に由来する[29]。
分類法

ティラノサウルス科はリンネ式階層分類体系における科であり、ティラノサウルス上科と獣脚亜目の内部に置かれる。
ティラノサウルス科は2つの亜科に細分される。アルバートサウルス亜科は北アメリカの属であるアルバートサウルスとゴルゴサウルスを含み、ティラノサウルス亜科はダスプレトサウルス、テラトフォネウス、ビスタヒエヴェルソル、タルボサウルス、ナヌークサウルス、ズケンティラヌス、ティラノサウルスを含む[30]。Gorgosaurus libratus をアルバートサウルス属に、Tarbosaurus bataar をティラノサウルス属に含む研究者もいるが[18][6][31]、分かれた属としてゴルゴサウルスとタルボサウルスを維持することを好む研究者もいる[11][12]。アルバートサウルス亜科はティラノサウルス亜科と比較してより細身の体格、低い頭蓋骨、プロポーション的に長い脛骨を特徴に持つ[11]。ティラノサウルス亜科では、頭頂骨の矢状クレストが前頭骨上に続く[12]。2014年には、Lü Junchang et al. がティラノサウルス科内の族としてアリオラムスとキアンゾウサウルスを含むアリオラムス族を記載した。彼らの系統解析では本族はティラノサウルス亜科の基底に置かれることが示唆された[32][33]。他にも George Olshevsky や Tracy Ford といった研究者が様々なティラノサウルス科恐竜の組み合わせでティラノサウルス亜科の他の下位分類や族を作成したが[34][35]、これらは系統学的に定義されておらず、またこれらを構成する属は他の属や種のシノニムと考えられている[20]。
さらなる亜科はより断片的な属にちなんで命名されており、アウブリソドン亜科とデイノドン亜科が挙げられる。しかし、アウブリソドンとデイノドンは通例疑問名と考えられており、そのため彼らや彼らのエポニムの亜科はティラノサウルス科の分類から通常除外される。さらなるティラノサウルス科として、当初はより基盤的なティラノサウルス上科と考えられていたが、タルボサウルスに類似するティラノサウルス亜科の幼体を代表する可能性が高いラプトレックスがいる。しかし、本属は幼体の標本しか知られていないため、これも疑問名と考えられている[36]。
系統
古脊椎動物学において系統分類学が出現し、ティラノサウルス科は複数の明白な定義を与えられている。最初の定義はポール・セレノによる1998年のもので、アレクトロサウルスやアウブリソドンあるいはナノティラヌスよりもティラノサウルスに近縁な全てのティラノサウルス上科が本科に含まれた[37]。しかし、ナノティラヌスはよくティラノサウルスの幼体と考えられており、アウブリソドンも疑問名であるため、系統群の定義には不適である[11]。
2001年、トーマス・R・ホルツ・ジュニアはティラノサウルス科の分岐分析を発表した[38]。彼は、鋸歯の無い前上顎骨歯で特徴づけられる原始的なアウブリソドン亜科と、ティラノサウルス亜科の2亜科が存在すると結論した[38]。アウブリソドン亜科にはアウブリソドンの他に "Kirtland Aublysodon" とアレクトロサウルスが含まれる[38]。また、ホルツはシャモティラヌスがティラノサウルス科の共有派生形質を複数示すことを発見したが、ティラノサウルス科には置かなかった[38]。
同誌で後述された記述にて、彼はティラノサウルス科を「ティラノサウルスとアウブリソドンの最も近い共通祖先の全ての子孫」として定義することを提唱した[38]。また、彼はポール・セレノのものをはじめ他の研究者が過去に提唱した定義を批判した[38]。ホルツはナノティラヌスがティラノサウルス・レックスの幼体の誤同定であると考えていたため、セレノが提唱した定義ではティラノサウルス科はティラノサウルス属の下位分類になるとしたのである[38]。さらに、セレノの提案した定義ではティラノサウルス亜科もティラノサウルスのみに限定されるとした[38]。
2003年にクリストファー・ブロチュはアルバートサウルス、アレクトロサウルス、アリオラムス、ダスプレトサウルス、ゴルゴサウルス、タルボサウルスおよびティラノサウルスを定義に加えた[39]。ホルツは2004年に系統群を再定義し、彼の分析で確固たる位置に置かれなかったアリオラムスとアレクトロサウルスを除いて上記の全てを指示子として用いた。しかし、彼は同じ論文において、エオティラヌスよりもティラノサウルスに近縁な全ての獣脚類を含むものとして別の定義も提供した[11]。セレノによる2005年の定義では、ティラノサウルス科はアルバートサウルス、ゴルゴサウルス、ティラノサウルスを含む最も包括的でない系統群として定義された[40]。
ティラノサウルス科系統の分岐分析では、よくタルボサウルスはティラノサウルスの姉妹群に置かれ、ダスプレトサウルスはそれらよりも基盤的な位置に置かれる。タルボサウルスとティラノサウルスの近縁性は多数の頭蓋骨の特徴に支持されており、特定の骨の縫合線のパターン、それぞれの目の後ろの後眼窩骨の三日月型をしたクレストの存在、下端が下側に顕著に湾曲する非常に深い上顎骨などがある[11][18]。2003年にフィリップ・J・カリーらが提唱した別の仮説では、鼻骨と涙骨を接続する骨質の先端部が存在しないことに基づき、ダスプレトサウルスはアジア産のタルボサウルスやアリオラムスを含む系統群の基盤的メンバーであるという弱い支持が示された[20]。
関連する研究でも、2属の間で共有される下顎の固定機序が指摘されている[41]。別の論文でカリーはアリオラムスがタルボサウルスの幼体である可能性を指摘したが、より卓越したアリオラムスの鼻骨クレストと本数の多い歯から別属であることが示唆されているとも主張した。同様に、カリーはナノティラヌスの歯の本数を用いて同属がティラノサウルスと別属である可能性を示唆した[12]。しかし、キアンゾウサウルスの発見・記載により、アリオラムスはタルボサウルスと近縁ではなく、新たに記載されたアリオラムス族に属するとされた。さらに、キアンゾウサウルスの存在からは、吻部の長いティラノサウルス科の恐竜がアジアに幅広く分布しており、また異なる獲物を狩ることでより大型かつ頑強なティラノサウルス亜科との競合を回避しつつ環境を共有していたことが明らかになった[42]。
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古生物学
要約
視点
成長
古生物学者グレゴリー・エリクソンらはティラノサウルス科の成長と生活史を研究した。ボーンヒストロジーの分析からは標本が死亡した際の年齢を決定でき、様々な個体の年齢を彼らの大きさに対してグラフ上にプロットすれば成長率を調査できる。エリクソンは、ティラノサウルスが長い幼体期間を過ごした後、一生涯の途中の約4年間に驚異的な成長期を迎えたことを明らかにした。性成熟とともに急成長期が終わると、成体では成長がかなり鈍化する。ティラノサウルス類の成長曲線はS字型であり、14歳前後での個体の成長速度が最大となる[46]。

既知のティラノサウルス・レックスの個体で最小のものは LACM 28471であるが、これは体重僅か29.9キログラムの2歳の個体である。この一方、最大級の個体の1つとされているものが FMNH PR2081(スー)であり、体重は約5654キログラム、年齢は28歳と推定されており、本種の上限に近かった可能性がある[46]。ティラノサウルス・レックスの幼体は約14歳になるまで体重1800キログラム未満であり、約14歳で劇的に体サイズを増大する。この急速な成長期の間に、若いティラノサウルス・レックスは4年間で年間平均600キログラムの体重増加を経験する。この成長速度は16歳から低下し、18歳で再びプラトーに達して劇的に成長が減速する[47]。例えば、28歳のスーと22歳のカナダの標本(RTMP 81.12.1)の間では僅か600キログラムの差異しかない[46]。この急激な成長速度変化は肉体的な成熟を示唆する可能性がある。この仮説はモンタナ州産の18歳のティラノサウルス・レックスの標本(MOR 1125、Bレックス)の大腿骨から骨髄組織が発見されたことで支持されている[48]。骨髄組織は排卵期の雌の鳥類でのみ確認されており、このことからBレックスは繁殖期にあったことが示唆される[49]。
他のティラノサウルスも酷似した成長曲線を示すが、成体のサイズがティラノサウルスと比較して小さいため、成長速度もそれに対応する[50]。アルバートサウルス亜科と比較してダスプレトサウルスは急速成長期における成長速度が高いが、これは成体の体重がより重いためである。成体体重1800キログラムという推定に基づくと、ダスプレトサウルスの最大成長速度は年間180キログラムである。他の研究者はダスプレトサウルスの体重をより重く見積もっているため成長速度の規模は左右されうるが、全体のパターンに変化はないと考えられる[46]。最も若い既知のアルバートサウルスはドライアイランドのボーンベッドで発見された2歳の個体で、体重は約50キログラム、と推定され、全長は2メートルを僅かに上回る。同じ産地からは既知で最大かつ最高齢の個体が発見されており、全長は10メートル、年齢は28歳である。最速成長速度は12 - 16歳で迎えたと推定され、体重1300キログラムの成体に基づき、その速度は年間122キログラムに達したと見積られる。これはティラノサウルス・レックスの成長速度の五分の一である。ゴルゴサウルスでは、計算された最大成長速度は急成長段階において約110キログラムであり、アルバートサウルスのものに匹敵する[46]。
いまだ未確認の属のティラノサウルス類の胚が発見されており、ティラノサウルス科は卵の中での発生段階で特徴的な骨格構造を発達させることが示唆される。さらに、1983年にモンタナ州のツーメディスン層で発見された下顎の1.1インチ(2.8cm)の歯と、2018年にホースシューキャニオン層で発見され2020年に記載された足の鉤爪の標本の大きさから、ティラノサウルス科の新生児はマウスやそれに近い大きさの齧歯類の全身と同等規模の頭蓋骨を伴って生まれ、全身はほぼ小型犬程度の大きさだった可能性があると考えられる。下顎の標本は全長約0.76メートルの個体、鉤爪は全長約0.91メートルの個体のものであると考えられている。いずれの標本も関連する卵殻は未発見であるが、これらのティラノサウルス科の新生児が発見された場所はこの動物が共存・捕食した他の種と同じ巣を利用していたことが示唆される[51]。また、卵殻がこれらの標本に無いことから、ティラノサウルス科はムササウルス属やプロトケラトプス属がそう考えられているように、軟殻の卵を産んだ可能性が指摘されている[52]。
ワピチ層の足跡化石からは、ティラノサウルス科は爪先が厚くなって足が幅広になり、体重を支持するように成長したことが示唆される。幅広の足は、成体のティラノサウルス科が子孫よりも緩慢に動いていたことを示唆する[53][54]。
生活史

急成長段階の終わりからは、アルバートサウルスは性成熟期に入ったことが示唆される。ただし、その後も一生涯を通じて緩慢に成長を続けたことも示唆される[46][50]。まだ活発に成長している時期に性的に成熟することは小型[55]あるいは大型[56]恐竜だけでなく、ヒトやゾウといった大型哺乳類にも共通する形質のようである[56]。相対的に性成熟の早いパターンは、成長が完了した後まで性成熟を遅延させる鳥類のパターンとは顕著に異なる[56][57]。
各年齢層の標本数を集計することにより、エリクソンらはティラノサウルス科の個体群における生活史について結論を導いた。その結果、化石の記録では幼体は稀である一方、急成長期にある亜成体や成体は遥かに多いことが判明した。半数を上回るティラノサウルス・レックスの標本は性成熟後6年以内に死亡しているようであり、これは他のティラノサウルス類や、現代の大型かつ長寿の鳥類や哺乳類にも見られるパターンである。これらの種は新生児の時期の死亡率が高く、次いで幼体の時期の死亡率が比較的低いことが特徴である。性成熟後には死亡率が再び上昇するが、これは生殖のストレスが一因である。これは保存状態や採集のバイアスに起因する可能性もあるが、エリクソンは、ゾウなど現代の大型哺乳類にも見られる一定以上の大きさの幼体の死亡率が低いことが原因ではないかと推論した。ティラノサウルスは2歳までに同時代の全ての捕食者を上回る大きさになるため、捕食者の不在に起因して死亡率が低下した可能性がある。古生物学者が十分な数のダスプレトサウルスの化石を発見していないため同様の分析は不可能であるが、エリクソンは同様の一般的な傾向があるようだと指摘した[50]。
ティラノサウルス科はその生涯の半分を幼体として過ごした後、わずか数年でほぼ最大サイズまで急成長を遂げる[46]。このことと、巨大な成体のティラノサウルス科と他の小型獣脚類の中間的な大きさの捕食者が完全に欠落していることから、これらの生態的地位は幼体のティラノサウルス科が埋めていたことが示唆される。これは孵化した後に樹上生活を送り、緩慢に成熟して大型脊椎動物を引き倒すことの出来る頑丈な頂点捕食者に至る、現生のコモドオオトカゲにも見られる[11]。例えば、アルバートサウルスは群集で発見されているが、その群れには異なる年齢の個体が入り混じっている[58][59]。
運動能力
移動能力が最もよく研究されているのはティラノサウルスについてであり、これに関して2つの話題がある。1つはどれほど旋回が得意であったか、もう1つは直線運動の最高速度はどれほどであったか、である。2001年の研究ではティラノサウルスの旋回は緩慢であった可能性が指摘され、45度回転するのに1~2秒を要したと考えられていた。45度とは、直立していてかつ尾のない人間が1秒で回転可能な量である[60]。旋回を苦手とする原因は回転慣性にある。これは、ティラノサウルスの質量の多くは、人間が重い材木を運ぶように、重心からある程度離れたところに存在したためだった[61]。ただし2019年の研究はこれと違う見解を示した。こちらではティラノサウルス科が他の大型獣脚類(ケラトサウルスやカルノサウルス類など)より2倍は敏捷 (より小型の幼体同士では、敏捷性の差が2~3倍) だったと指摘している。これらは各種獣脚類の腰から脚部の筋肉量や慣性モーメントの計算式などから推測されている[62]。
研究者による最大速度の推定は非常に値の幅が広く、主に約11メートル毎秒と推定されているが、5 - 11メートル毎秒や20メートル毎秒とする推定値もある。この原因は、歩行した痕跡は数多く発見されている一方で走行した痕跡は発見されておらず、彼らが走行しなかったことを示す可能性があるからである[63]。

1993年、ジャック・ホーナーとドン・セッレムはティラノサウルスが緩慢でありおそらく走行できなかった(脚が空中に浮かぶフェーズが存在しない)と主張した[64]。しかし、Holtz (1998) はティラノサウルス科およびその近縁な動物は最速の大型獣脚類だったと結論した[65]。Christiansen (1998) はティラノサウルスの脚の骨がトップスピードが限定されていてかつ実際に走行できないゾウのものよりも遥かに強靭であるわけではないと推定し、ティラノサウルスの最高速度を約11メートル毎秒と提唱した。これはヒトのスプリンターの速度と同程度である[66]。Farlow ほか (1995) は6 - 8トンに達するティラノサウルスが高速運動中に転倒すれば、地面に叩き付けられた際に小さな前肢では衝撃を減衰させられず重症あるいは致命傷を負ったと主張した[67][68]。しかし、動物園のような安全な環境に置かれていたとしても、キリンは骨折の危険がありながらも50キロメートル毎時でギャロップを行うことが知られている[69][70]。このため、ティラノサウルスも必要に応じて高速で動き、そのような危険を受け入れていた可能性もある。このシナリオはアロサウルスにおいても研究されている[71][72]。さらに後の研究では、ティラノサウルスの走行速度は17キロメートル毎時から40キロメートル毎時、すなわち歩行や緩慢な走行から中速の走行までで、それ以上に絞り込まれてはいない[63][73][74]。化石から直接得られたデータを用い2007年にコンピュータモデル研究によって推定された走行速度は8メートル毎秒であった[75][76]。しばしばティラノサウルス科は巨大かつ体重が重かったため運動能力が低かったと推測されるが、しかし2010年の研究ではそうした不利を補う特徴が報告された。それは一部の獣脚類に見られる顕著に卓越した尾大腿筋だった。どうやらティラノサウルス科は旧来の復元よりも筋肉質の太ましい尾部を備えていた。尾大腿筋は大腿骨の第四転子に繋がっており、運動時に脚部を強力に動かすことが可能だった。特にティラノサウルスは他のティラノサウルス科より尾大腿筋が発達していた[77]。
Eric Snively らが2019年に発表した研究では、タルボサウルスやティラノサウルスといったティラノサウルス科は同サイズのアロサウルス上科よりも機動性が高いことが示唆された。これは、大型の後肢の筋肉に結び付く体重と比較して回転慣性が小さいためである。結果として、ティラノサウルス科は相対的に素早い旋回が可能で、獲物に近づく際あるいは他に旋回する際にはそういった動作を見せた可能性が高く、または旋回中に片脚を固定しながらもう片方を持ち上げる動作をした可能性があるとの仮説が立てられた。この研究結果は、ティラノサウルス類の進化に敏捷性が寄与した過程を明らかにする可能性がある[78]。さらにティラノサウルス科は他の大型肉食恐竜には見られない、特徴的かつ特異的な靱帯が第三中足骨を持っていた。これによりティラノサウルス科は他の獣脚類よりも体重が重く頑強な肉体をしていながら、一定の敏捷性を確保できたと考えられている[79]。
加えて、2020年の研究ではティラノサウルス科は例外的に効率的な歩行者であったことが示唆された。Dececchi et al. によると、ティラノサウルス科を含む70種を超える獣脚類恐竜の後肢・体重・足取りが比較された。調査チームは様々な方法を適用してそれぞれの恐竜の最高速度、および歩行時のように緩やかな速度での運動時に消費したエネルギー量を推定した。ドロマエオサウルス科などより小型から中型の種の間では、より長い後肢はより速い走行への適応のように見え、他の研究者による以前の結果と整合する。しかし、体重1000キログラムを超える獣脚類では、最高走行速度は体サイズによる制限を受けており、そのためより長い後肢は速度ではなく低エネルギーの歩行に相関することが判明した。さらに研究結果からは、より小型の獣脚類は進化した長い脚を狩りと捕食者からの逃走の両方に役立てていた一方、大型の捕食性獣脚類は頂点捕食者としての役割ゆえに捕食圧から解放されており、進化した長い脚をエネルギーコストの減少と採餌の効率に役立てていたことが示唆された。研究でより基盤的な獣脚類のグループと比較されたティラノサウルス科は、狩りと死肉漁りの間のエネルギー支出が減少したため、採餌効率の顕著な上昇を示した。これは結果としてティラノサウルス類が彼ら自身を維持するために必要な狩りの襲撃と食餌の量を低減することに帰結した可能性が高い。加えて彼らの研究では、ティラノサウルス類が他の大型獣脚類よりもより俊敏であったことを示す研究との繋がりの中で、長距離に亘って獲物へ忍び寄って接近した後に突発的な急スピードで以て殺害することにティラノサウルス類が長けていることが示唆されている。結果としてティラノサウルス科と現生のオオカミの間に類似性が指摘されており、これはアルバートサウルスなどの少なくとも一部のティラノサウルス科が集団で狩りを行っていたことによって裏付けられている[80][81]。
外皮

古生物学コミュニティで続いている議論として、ティラノサウルス科の外皮の被覆の範囲と特性に関するものがある。前期白亜紀にあたる義県累層や中国の遼寧省に分布するその他の層からは、無数のコエルロサウルス類の骨格と共に長いタンパク質繊維が保存され、産出している[82]。他の仮説も提唱されているものの[83]、通常これらの繊維は鳥類および非鳥類型獣脚類に見られる枝分かれした羽毛とのホモログであるプロトフェザーとして解釈されている[84][85]。2004年に記載されたディロングの骨格はプロトフェザーを含んでおり、これはティラノサウルス上科において確認された最初の例である。現生鳥類のダウンフェザーと同様にディロングに見られたプロトフェザーは枝分かれしていたものの、大羽 (en) にはなっておらず、体温の保温に用いられていた可能性がある[23]。2012年には全長9メートルに達するユウティラヌスが記載され、本属の発見からは大型獣脚類の成体も羽毛が生えていた可能性が示唆された[86]。
系統ブラケッティングの原則に基づき、ティラノサウルス科はそのような羽毛を持った可能性があると予想された。しかし2017年の研究では、アルバータ州・モンタナ州およびモンゴル国で収集された5属(ティラノサウルス、アルバートサウルス、ゴルゴサウルス、ダスプレトサウルス、タルボサウルス)のティラノサウルス科の皮膚の印象化石が記載された。皮膚の印象化石は小型であるものの、これらは頭部よりも後側に幅広く分布しており、腹部・胸部・腸骨・骨盤・尾部・頸部に位置していた。これらは重複していない細かく小石様の密な鱗を示しており、羽毛の痕跡は無かった。基本的なテクスチャーは直径約1 - 2mmの小さな "basement scales" で構成され、その間に約7mmの "feature scales" の印象が散見される[87]。ティラノサウルス類の足跡にもさらなる鱗が見られる[88]。ティラノサウルス類の顔面の外皮は歯骨と上顎骨に鱗があり、表皮は角質化し、下位領域には鎧のような皮膚があることが研究で判明している[89][90]。
Bell et al. はティラノサウルス上科の外皮の分布について既知の内容に基づいて祖先形質復元を行った。ティラノサウルス上科の起源に羽毛があることの信頼性は89%であったにも拘わらず、ティラノサウルス科が鱗を持つ信頼性は97%で真と判断された。研究チームはこのデータが「ティラノサウルスが完全に扁平上皮で覆われていたことの説得力ある証拠をもたらす」とした。ただし、皮膚の印象が未発見である背中側にはまだ羽毛が存在していた可能性があると彼らは認めている。Bell et al. は、裏付ける根拠を必要としつつも、ティラノサウルス類の鱗の印象が羽毛から二次的に派生したものである可能性があるという仮説を立てている[87]。しかし、ティラノサウルス科におけるタフォノミーバイアスに起因するという主張もなされている[91]。
そのような外皮が何故発生したかはまだ決定されていない。羽毛が喪失した前例は鳥盤類などの他の恐竜のグループにも見られている。その過程においては、繊維状構造が失われ、鱗が再出現したのである[92]。この機序としては大型化が提唱されているが、フィル・R・ベルは羽毛のあるユウティラヌスとゴルゴサウルスおよびアルバートサウルスの体サイズが近いことを指摘した。ベルは体サイズと気候が類似することを挙げ、差異の理由が分からないとコメントした[93]。
視界
ティラノサウルスは眼窩が前側に着くことから、その眼球は前側を向き、現生のタカよりも僅かに良い両眼視機能を持った。一般的な捕食性獣脚類は頭蓋骨の真正面に両眼視機能を持つが、ティラノサウルスは広範囲で視野が重複した。ジャック・ホーナーは、ティラノサウルス類の系統が着実に両眼視機能を向上させてきたことを指摘した。ティラノサウルス類が純粋な腐肉食動物(スカベンジャー)であった場合、立体視をもたらす発達した奥行感覚は不要であり、この長期的な傾向が自然選択に好まれることは考えにくい[94][95]。現生の動物では、立体視は主に捕食動物に見られる。ティラノサルスと異なり、タルボサウルスは他のティラノサウルス科に典型的なより狭い頭蓋骨を持ち、眼球は主に横に面していた[96]。ゴルゴサウルスの標本では、眼窩は楕円形あるいは鍵穴型というよりもむしろ円形であり、他のティラノサウルス科の属と異なる[12]。ダスプレトサウルスでは、これは上下に高い楕円形であり、ゴルゴサウルスに見られる円形とティラノサウルスに見られる鍵穴型の中間である[11][12][97]。
顔面の感覚
ダスプレトサウルスと現生のワニのボーンテクスチャの比較に基づき、トーマス・D・カールらの2017年の詳細な研究でティラノサウルス科は吻部に大型で平坦な鱗を持つことが判明した[98][99]。鱗の中心にはケラチン質の小型のパッチが存在した。ワニにおいては、そのようなパッチは化学的刺激・熱的刺激・機械的刺激を検知可能な感覚ニューロンの束を被覆する[100][101]。彼らは、ティラノサウルス科がおそらく顔面の鱗の下に感覚ニューロンの束を有しており、ティラノサウルス科はそれを用いて対象を特定し、巣の温度を計測し、静かに卵や幼体を持ち上げた可能性があると提唱した[98]。
骨質のクレスト

数多くのティラノサウルス科恐竜を含め、多数の獣脚類の頭蓋骨には骨質のクレストが見られる。モンゴルから産出したアリオラムスは、鼻骨上に卓越した5個の骨質の隆起からなる1本の列を持つ。より隆起が低いものの、同様の列はアパタチオサウルスの頭蓋骨にも存在し、ダスプレトサウルスやアルバートサウルスおよびタルボサウルスの一部の標本にも見られる[18]。アルバートサウルスとゴルゴサウルスおよびダスプレトサウルスにおいては、涙骨上の眼の正面に卓越した角が存在する。涙骨の角はタルボサウルスとティラノサウルスには存在せず、その代わりに後眼窩骨上の眼の後方に三日月形のクレストが存在する。これらの頭部のクレストはディプレイに用いられた可能性があり、種の認識や求愛行動に用いられた可能性もある[11]。
体温調節
大部分の恐竜と同様にティラノサウルスは長らく外温性と考えられていたが、1960年代後半から始まった恐竜ルネサンスの初期にロバート・T・バッカーおよびジョン・オストロムなどの研究者はこの見解に対し異議を唱えた[102][103]。ティラノサウルス・レックスは内温性であるとされ、非常に活発な生態が示唆される[104]。それ以降、複数の古生物学者がティラノサウルスの体温調節能力を明らかにしようと努めてきた。若いティラノサウルス・レックスが哺乳類や鳥類と比較して高い成長率を持っていたヒストロジー的証拠は、高い代謝を有した仮説を示唆する可能性がある。哺乳類や鳥類におけるものと同様に、ティラノサウルス・レックスの成長曲線からは、本種の成長が主として未成熟個体に制限されていたことが示唆される。これは永続的に成長を遂げる他の脊椎動物の大半とは異なる[47]。胴椎と脛骨の体温差は4 - 5℃を以下であったことが示唆される。体の中枢と末梢での温度範囲が小さいことから、古生物学者リース・バリックと地球化学者ウィリアム・シャワーズは、ティラノサウルス・レックスの体内温度は恒常的であり、外温性の爬虫類と内温性の哺乳類の中間程度の代謝を有していたとした[105]。後に、数百万年過去の時代で別の大陸に生息していたギガノトサウルスの標本においても彼らは同様の結果を発見した[106]。もしティラノサウルス・レックスに体温を恒常的に維持した証拠が無いとしても、それは外温性であったことを必ずしも意味しない。このような体温調節は現生のウミガメのように、大型動物ゆえの保温により説明される[107][108][109]。
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古生態
要約
視点
ダスプレトサウルスとゴルゴサウルスの共存

ダイナソーパーク累層において、ゴルゴサウルスはより希少なティラノサウルス亜科の種であるダスプレトサウルスと共存した。これは2属のティラノサウルス類が共存した数少ない例である。現生の捕食動物のギルドにおいて、同様の体サイズの捕食動物は競争を制限する解剖学的・行動学的・地理学的な差異により異なる生態的地位(ニッチ)に分裂する。ダイナソーパーク累層のティラノサウルス科におけるニッチ分割は多くが不明である[110]。1970年、デイル・ラッセルは、より個体数が少なく狩りが困難である角竜類と曲竜類がダスプレトサウルスに残されていたと仮説を立てた[13]。しかし、トゥーメディスン累層から産出したダスプレトサウルスの標本 OTM 200 には、その腹部に消化されたハドロサウルス類の幼体の遺骸が保存されている[111]。他のいくつかの獣脚類のグループと異なり、どちらの属も標高差による化石産出量の多寡は認められない[110]。しかし、ゴルゴサウルスはダイナソーパーク累層のような北方の層でより一般的であり、ダスプレトサウルスの種は南でより豊富である。同様のパターンは他の恐竜のグループにも見られる(カンパニアン期の北アメリカ南西のカスモサウルス亜科およびハドロサウルス亜科、北アメリカ北部のセントロサウルス亜科およびランベオサウルス亜科)。ホルツは、このパターンはティラノサウルス亜科・カスモサウルス亜科・ハドロサウルス亜科の間で生態的嗜好性が共有されていることを示唆しているとした。マーストリヒチアン期の末には、ティラノサウルス・レックスのようなティラノサウルス亜科、エドモントサウルスのようなハドロサウルス亜科、トリケラトプスのようなカスモサウルス亜科が北アメリカ西部に広く分布した。その一方、アルバートサウルス亜科とセントロサウルス亜科は絶滅し、ランベオサウルス亜科は衰退した[11]。
社会的行動
ティラノサウルス科の間で社会的行動があった証拠も僅かに存在する。スーの標本と同じ産地では亜成体および幼体の骨格が発見・報告されており、ティラノサウルス類がある種の社会集団の中で生活していたという仮説の支持に用いられている[112]。ゴルゴサウルスには群居性の行動の証拠は存在しないが[58][59]、アルバートサウルスやダスプレトサウルスは群れで行動した証拠が存在する[113]。
ダイナソーパーク累層のダスプレトサウルスの種の若い標本 TMP 94.143.1 では、他のティラノサウルス類に起因する噛み後が顔に存在する。噛み跡は治癒しており、噛まれた後も個体が生き延びたことが示唆される。完全に成長したダイナソーパーク累層のダスプレトサウルス TMP 85.62.1 もティラノサウルス類の噛み跡を示しており、顔面への攻撃が若い個体のみに限ったものではないことが示唆される。噛み後は他の種のものである可能性もあるものの、顔面への噛み付きなど種内攻撃は捕食動物の間で非常によく見られることである。顔面への噛み付きはゴルゴサウルスやティラノサウルスといった他のティラノサウルス類だけでなく、シンラプトルやサウロルニトレステスといった他の獣脚類の属にも見られる。ダレン・ダンケとフィリップ・カリーは、噛み跡は縄張りや資源、あるいは社会集団内の支配を巡る種内競争に起因すると仮説を立てた[58]。

ダスプレトサウルスが社会集団として生息していた証拠は、モンタナ州のトゥーメディスン累層のボーンベッドから得られている。ボーンベッドには3頭のダスプレトサウルスの遺骸を含んでおり、これらは大型の成体・小型の幼体・中間サイズの個体からなる。同産地には少なくとも5頭のハドロサウルス類が保存されている。地質学的証拠からは、遺骸は川の流れによって集積されたのではなく、全ての動物が同じ場所に同時に埋没したことが判明している。ハドロサウルス類の遺骸は分散しており、またティラノサウルス類の歯による多数の噛み跡が残されている。これは死亡時にダスプレトサウルスがハドロサウルス類を採餌していたことを示唆している。カリーは、確証を持つことはできないもののダスプレトサウルスが群れを形成していたことを推測した[59]。他の研究者は、ダスプレトサウルスや他の大型獣脚類が社会集団を形成した証拠について懐疑的である[114]。ブライアン・ローチとダニエル・ブリンクマンは、ダスプレトサウルスの社会相互作用は現生のコモドオオトカゲのものに類似するものであるとした。コモドオオトカゲの群れは非協力的であり、死骸にありつき、その過程で互いに共食いすることも頻繁にある[115]。
バーナム・ブラウンらが発見したドライアイランドのボーンベッドには、22頭のアルバートサウルスの遺骸が保存されている。これは白亜紀の獣脚類の中で最も多くの個体が1つの場所で発見された例であり、大型獣脚類の中ではユタ州のクリーブランド=ロイド恐竜採石場のアロサウルス群集に次いで2番目に多い。この集団には非常に高齢な1頭の成体、17歳から23歳の8頭の成体、12歳から16歳で急成長段階にある7頭の亜成体、2歳から11歳の成長段階に達していない6頭の幼体が含まれる[50]。植物食性動物の遺骸がほぼ存在しないこと、およびアルバートサウルスのボーンベッドでの数多くの個体の保存状態との類似から、フィリップ・カリーはこの産地がカリフォルニア州のラ・ブレア・タールピットのような捕食動物の罠だったのではなく、保存された全ての動物が同時に死亡したと結論した。カリーはこれを群れとしての行動の根拠とした[116]。他の研究者は懐疑的であり、旱魃や洪水あるいは他の要因により動物たちが運搬されたと解釈した[50][114][117]。
一般に議論が続いているものの、少なくともいくつかのティラノサウルス科の種が社会的であったという仮説を支持する証拠は存在する。ブリティッシュコロンビア州のワピチ累層では、地元住民のアーロン・フレッドランドにより3頭のティラノサウルス科の個体に由来する足跡が発見され、リチャード・マッケラらにより記載された。足跡の調査からは、1つの足跡が作られた後に長期間放置された痕跡が認められず、3頭のティラノサウルス類の個体が集団で移動していたという仮説が支持された。さらなる調査では、これらの動物が時速6.3 - 8.4キロメートルで移動し、腰の高さは2.1 - 2.7メートルであった可能性が高いことが判明した。この層からはティラノサウルス科の異なる3属(ゴルゴサウルスとダスプレトサウルスおよびアルバートサウルス)が知られており、どの属が足痕を残したかは不明である[118][119][120]。さらなる証拠は、ユタ州南部のカイパロウィッツ累層のRainbows and Unicorns Quarryのボーンベッドにある。この化石証拠はテラトフォネウスのものとされており、2021年に記載され、他のティラノサウルス科も社会的動物であったことが示唆された。4 - 22歳に亘る異なる4 - 5頭の動物からなるこの化石からは、おそらく洪水、あるいはより低い可能性で藍藻の毒や火災や旱魃によって引き起こされた大量死事変が示唆されている。テラトフォネウスやアルバートサウルス、ティラノサウルスやダスプレトサウルスといった属のボーンベッドはティラノサウルス科に広く社会的行動が見られたことを意味しており、保存された全ての動物が短期間に死滅したという事実はティラノサウルス科の群居性行動の論拠を補強している[121][122][123]。
食餌
ティラノサウルス類の歯型は肉食恐竜の食痕として最も広く保存されており[124]、角竜類やハドロサウルス類および他のティラノサウルス類から報告されている[124]。既知のティラノサウルス科の骨のち約2%には歯型が保存されている[124]。ティラノサウルス科の歯はナイフのように切断する機能よりもむしろ肉を体から引き剥がす金具のように用いられた[125]。歯の摩耗パターンからは、ティラノサウルス類の食餌には頭を振る複雑な行動が含まれていたことが示唆される[125]。

少数の研究者は、アルバートサウルスの群れでの狩猟行動について、群れの若いメンバーが獲物をより大型かつ強力であるが緩慢な成体まで誘導したと推測した[116]。幼体は成体と異なる生態を持っていた可能性があり、巨大な成体とより小型の同時代の獣脚類との間のニッチを生めていた可能性がある。同時代の小型獣脚類は、その最大の種でも成体のアルバートサウルスよりも体重が2桁小さいのである[11]。しかし、化石記録に行動が保存されることは非常に稀であり、これらのアイディアは容易に検証が可能なものではない。フィリップ・カリーは、ダスプレトサウルスが群れを形成して狩りを行ったと思弁したが、確証を持っての主張は出来ないとした[59]。ゴルゴサウルスでそのような行動の証拠は発見されていない[58][59]。
ティラノサウルスが捕食動物であったか腐肉食動物であったかという議論は、そのロコモーションに関する議論と同程度に昔からのものである。Lambe (1917) はティラノサウルスに近縁なゴルゴサウルスの骨格を記載し、ゴルゴサウルスの歯がほぼ摩耗していないことに基づいてゴルゴサウルスおよびティラノサウルスが純粋な腐肉食動物であったと結論した[126]。獣脚類の歯は極めて急速に置換されるため、この主張は真剣には受け止められていない。ティラノサウルスの最初の発見以降大半の研究者はティラノサウルスが捕食動物であったことに同意しているが、現生の捕食動物のように機会があれば喜んで他の捕食者の獲物を盗んだり死肉を漁ったりしたと思われる[127][128]。
ジャック・ホーナーは、ティラノサウルスが専ら腐肉食動物であり、一切の狩りを行わなかったと考えた[64][129][130]。ホーナーは純粋腐肉食動物仮説を支持する複数の主張を紹介している。大型の嗅球と嗅神経の存在からは、遠距離の死骸を嗅ぎ付けるための高度に発達した嗅覚が示唆される。歯は骨を砕くことができ、それゆえ通常は最も栄養分の少ない部位である死体の残りから可能な限りの食料(骨髄)を抜き取ることが可能だった。またティラノサウルスは高速走行が苦手であり、早歩きないし歩行を主な移動手段としていたとの仮説もある一方、少なくともその獲物となりうる動物は俊敏に動くことが出来た[129][131]。

他の証拠からは、ティラノサウルスの積極的な狩猟行動が示唆されている。ティラノサウルス類の眼窩は目が前を向くように位置しており、良好な立体視が可能であった。ティラノサウルス類が負わせた負傷がトリケラトプスやハドロサウルス類の骨格に認められており、それらは最初の攻撃を生き延びたように見える[132][133][134]。ティラノサウルスが腐肉食動物ならば、北アメリカからユーラシアにかけての上部白亜系に別の恐竜が頂点捕食者の地位に立っていなければならないと主張する研究者もいる。頂点捕食者の獲物は大型の周飾頭類と鳥脚類であった。他のティラノサウルス科はティラノサウルスと数多くの特徴を共有するため、ティラノサウルスを除外した場合、頂点捕食者の候補として残るのは小型であるドロマエオサウルス類のみである。このことから、腐肉食動物仮説を信じる者は、ティラノサウルス類がその巨体と力で以て小型動物から獲物を盗むことが可能だったと提唱した[131]。
共食い
ティラノサウルス科が少なくとも時折共食いしていたことを強く示唆する証拠もある。ティラノサウルス自体には1つの標本において足・上腕骨・中足骨に歯型が見られるものがあり、これに基づいて少なくとも死骸を漁るために共食いが行われていたことが示唆される[135]。フルートランド層およびキルトランド層(共にカンパニアン期)産の化石、およびオジョ・アラモ層(マーストリヒチアン期)産の化石からは、San Juan 盆地の様々なティラノサウルス科で共食いが起きていたことが示唆される。標本から集められた証拠に基づくと、ティラノサウルス科が同種の動物の共食いを伴う日和見的な摂食行動をとっていた[136]。
分布

初期のティラノサウルス上科が北半球の全ての大陸で発見されている一方、ティラノサウルス科の化石は北アメリカとアジアでしか発見されていない。南半球で産出した断片的な化石がティラノサウルス科のものとして報告されることは複数回あったが、これらはアベリサウルス科の化石の誤同定である[137]。白亜紀の中頃の化石記録がアジア・北アメリカの両地域で乏しいためティラノサウルス科の起源となった時代と場所は不明なままであるが、ティラノサウルス科のものとして確認された最初期のものはカンパニアン期の北アメリカ西部に生息していた[11]。
北アメリカ東部でティラノサウルス科の化石は発見されていないが、ドリプトサウルスやアパラチオサウルスといったより基盤的なティラノサウルス上科の化石は回収されている。これらは白亜紀の終わりまで持続しており、このことから白亜紀の中頃に西部内陸海路によって北アメリカが分裂した後、西部でティラノサウルス科が進化したことが示唆される[18]。ティラノサウルス科の化石はアラスカ州からも発見されており、これが北アメリカとアジアに分散したルートであった可能性がある[138]。ある系統解析ではアリオラムスとタルボサウルスは近縁な位置に置かれており、本科において固有のアジアの系統を形成した[20]。後にキアンゾウサウルスの発見およびアリオラムス族の記載によりこれは反証された[32]。2015年、日本の福井県立恐竜博物館は長崎県長崎市の長崎半島から産出したティラノサウルス科の歯化石を報告した。これは8100万年前(カンパニアン期)のもので、日本国内初の大型ティラノサウルス類の歯は化石として発表された[139]。

ティラノサウルス亜科はより広範囲に分布した。アルバートサウルス亜科はアジアで発見されておらず、アジアにはタルボサウルスやズケンティラヌスおよびアリオラムス族(アリオラムスやキアンゾウサウルス)といったティラノサウルス亜科が生息していた。ティラノサウルス亜科とアルバートサウルス亜科は共にカンパニアン期 - マーストリヒチアン期に北アメリカに生息しており、ダスプレトサウルスのようなティラノサウルス亜科は西部内陸中に分布した一方、アルバートサウルス亜科のアルバートサウルスやゴルゴサウルスは大陸の北西部のみでしか知られていない[140]。
後期マーストリヒチアン期までにアルバートサウルス亜科は絶滅し、ティラノサウルス亜科がサスカチュワン州からテキサス州まで分布した。このパターンは他の北アメリカの恐竜にも当てはまっている。カンパニアン期から前期マーストリヒチアン期にかけて、北西部ではランベオサウルス亜科の鳥脚類とセントロサウルス亜科の角竜が繁栄し、南部ではハドロサウルス亜科とカスモサウルス亜科が繁栄した。白亜紀末ではセントロサウルス亜科は発見されておらず、ランベオサウルス亜科も数を減らしていた一方、ハドロサウルス亜科とカスモサウルス亜科は西部内陸中で繁栄した[11]。2016年にスティーヴ・ブルサッテらは、北アメリカ西部の大部分の他のティラノサウルス科の絶滅にティラノサウルス自体が部分的に関与していたことを示唆した。この研究では、ティラノサウルスが北アメリカで進化したのではなく(おそらくタルボサウルスの子孫として)アジアから渡り、他のティラノサウルス科と競合して生存競争に勝利したことが示唆されている。この仮説は、ティラノサウルスが知られている範囲で他種のティラノサウルス科がほとんど発見されていない事実からも支持されている[141]。
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属の時系列

脚注
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