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ノーザンコンダクト
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ノーザンコンダクト(欧字名:Northern Conduct、1989年2月22日 - 不明)は、日本の競走馬[1]。主な勝ち鞍に1992年のラジオたんぱ杯3歳ステークス。
![]() | この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
この年の二冠馬となるミホノブルボンが、生涯唯一1番人気を譲った馬としても知られる。
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経歴
1991年11月2日、京都競馬場の3歳新馬戦でデビュー。岡潤一郎を鞍上に新馬戦を勝ったあと、続く京都3歳ステークスで3着に敗れるものの、エリカ賞(500万下)、藤田伸二に乗り替わって挑んだラジオたんぱ杯3歳ステークスと連勝した。
1992年は共同通信杯4歳ステークスより始動し、岡潤一郎に鞍上が戻るもエアジョーダンの2着となった。続くスプリングステークスでは武豊が騎乗することとなり、1番人気に支持された。このレースでは生涯唯一の2番人気となるミホノブルボンをはじめ、この年の菊花賞馬となるライスシャワー、後にスプリンターズステークスを2連覇するサクラバクシンオー、重賞4勝の名脇役となるマチカネタンホイザといった馬たちが参戦していた。結果として、レースではミホノブルボンが重馬場の中を単騎先頭に立ち、2着に7馬身差をつけて優勝し、ノーザンコンダクトは人気を大きく裏切る11着に沈んだ。また、ノーザンコンダクトと入れ替わるように、2着には13番人気のマーメイドタバンが入り、馬連の払い戻しは54,780円となった。
その後長期休養を経て、1993年4月18日の陽春ステークスで河内洋を鞍上に復帰するも、ヤマニンシアトルの9着に敗れ、それ以降は出走することなく引退した。引退後の動向は分かっていない。
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競走成績
以下の内容は、netkeiba.com[2]に基づく。
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血統表
ノーザンコンダクトの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ノーザンテースト系 |
[§ 2] | ||
父 *ノーザンテースト Northern Taste 1971 栗毛 |
父の父 Northern Dancer1961 鹿毛 |
Nearctic | Nearco | |
Lady Angela | ||||
Natalma | Native Dancer | |||
Almahmoud | ||||
父の母 Lady Victoria1962 黒鹿毛 |
Victoria Park | Chop Chop | ||
Victoriana | ||||
Lady Angela | Hyperion | |||
Sister Sarah | ||||
母 *アトラクト Attract 1983 栗毛 |
Blushing Groom 1974 栗毛 |
Red God | Nasrullah | |
Spring Run | ||||
Runaway Bride | Wild Risk | |||
Aimee | ||||
母の母 Azeez1963 鹿毛 |
Nashua | Nasrullah | ||
Segula | ||||
La Dauphine | Princequillo | |||
Baby League | ||||
母系(F-No.) | アトラクト(USA)系(FN:1-s) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Lady Angela 4 × 3 = 18.75%、Nearco 4 × 5 × 5 = 12.50%、Nasrullah 4 × 4 = 12.50% | [§ 4] | ||
出典 |
全妹のイブキピンクレディは交流重賞浦和記念、ほか地方重賞5勝のモエレトレジャー、九州王冠勝ちのモエレフェニックスを輩出した。また、半妹(父トウカイテイオー)のポポチャンからはオープン戦の米子ステークス勝ちのケントオーが出ている。
脚注
外部リンク
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