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共同通信杯
日本の中央競馬の重賞競走 ウィキペディアから
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共同通信杯(きょうどうつうしんはい)は、日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場で施行する中央競馬の重賞競走(GIII)である。1969年より「(トキノミノル記念)」の副称がつけられており[3]、競馬番組表での名称は「共同通信杯(トキノミノル記念)」と表記される[2]。
寄贈賞を提供する共同通信社は、東京都港区に本社を置く通信社[4]。
副称の「トキノミノル」は、1951年の皐月賞・東京優駿(日本ダービー)優勝馬。生涯戦績10戦10勝(うちレコード7回)を記録し無敗のままクラシック二冠を制したものの、日本ダービー優勝からわずか17日後に破傷風で死亡し「幻の馬」と呼ばれた。本競走が施行される東京競馬場のパドック脇にはトキノミノルのブロンズ像が設置されており、ファンの間では待ち合わせ場所の一つとして定着している。
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概要

1967年に創設された4歳(現3歳)馬限定の重賞「東京4歳ステークス(とうきょうよんさいステークス)」が、本競走の前身[3]。競走名は1983年より「共同通信杯4歳ステークス(きょうどうつうしんはいよんさいステークス)」に改称された[3]後、2001年より現名称となった[3]。
皐月賞のトライアル競走ではないが、2012年のゴールドシップ以降、イスラボニータ、ディーマジェスティ、エフフォーリア、ジャスティンミラノの計5頭が本競走の勝利を経て皐月賞も制している。また、ドゥラメンテとジオグリフは本競走2着から皐月賞を制しており、皐月賞への最大の出世レース[5]として春のクラシックレースへ向けた重要な前哨戦に位置づけられている[3]。
創設時の施行距離は芝1400mだったが、1968年より芝1600mに、1971年には芝1800mに延長された[3]。以降も施行場や施行時期は幾度か変更されたが、東京競馬場の芝1800mで定着している[3]。
外国産馬は1993年から、地方競馬所属馬は1996年からそれぞれ出走可能になり[6]、2009年からは外国馬も出走可能な国際競走となった。
競走条件
出走資格:サラ系3歳
- JRA所属馬
- 地方競馬所属馬(認定馬のみ、2頭まで)
- 外国調教馬(優先出走)
- 負担重量:馬齢重量(牡馬・せん馬57kg、牝馬55kg)
賞金
2025年度の1着賞金は4100万円で、以下2着1600万円、3着1000万円、4着620万円、5着410万円[1][2]。
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歴史
要約
視点
- 1967年 - 4歳馬限定の重賞競走として「東京4歳ステークス」の名称で創設、東京競馬場の芝1400mで施行[3]。
- 1969年 - この年以降、「(トキノミノル記念)」の副称をつけて施行[3]。
- 1972年 - ストライキ及び流行性の馬インフルエンザの影響で5月に福島競馬場の芝1800mで順延開催。
- 1983年 - 名称を「共同通信杯4歳ステークス」に変更[3]。
- 1984年 - グレード制施行によりGIII[注 1]に格付け。
- 1993年 - 混合競走に指定され、外国産馬が出走可能となる[6]。
- 1996年 - 特別指定交流競走に指定され、地方競馬所属馬が2頭まで出走可能となる[6]。
- 1998年 - 積雪の影響でダート1600mに変更したためグレード格付けが取り消され、格付けなしの重賞として施行[6]。
- 2001年
- 2007年 - 日本のパートI国昇格に伴い、格付表記をJpnIIIに変更[8]。
- 2008年 - 日曜の積雪による開催中止の影響で月曜(2月11日)に実施[9]。
- 2009年
- 2014年 - 日曜の積雪による開催中止の影響で翌週の月曜(2月24日)に実施[11]。
- 2021年 - 新型コロナウイルス感染拡大防止のため「無観客競馬」として実施[12]。
- 2024年 - 負担重量を馬齢重量に変更[13]。
歴代優勝馬
コース種別を表記していない距離は、芝コースを表す。
優勝馬の馬齢は、2000年以前も現行表記に揃えている。
競走名は第16回まで「東京4歳ステークス」、第17回から第34回までは「共同通信杯4歳ステークス」[3]。
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参考文献
- 「共同通信杯(GIII)(トキノミノル記念)」『中央競馬全重賞競走成績集【2歳・3歳編】』日本中央競馬会、2006年、307-355頁。
脚注・出典
外部リンク
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