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ハル・ニューハウザー
アメリカ合衆国の野球選手 (1921-1998) ウィキペディアから
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ハロルド・ニューハウザー(Harold Newhouser, 1921年5月20日 - 1998年11月10日)は、1940 - 1950年代に活躍したアメリカ・メジャーリーグの野球選手。ポジションは投手。ミシガン州デトロイト生まれ。左投げ左打ち。ニックネームは"Prince Hal"(プリンス・ハル)。最優秀選手賞を2度獲得した1940年代タイガースの主力投手。
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経歴
現役時代
地元・デトロイトの高校時代よりスター選手として名が知れていたニューハウザーは、1939年に18歳でタイガースと契約しメジャーにデビューする。21歳だった1942年に8勝14敗ながら防御率2.45の成績を上げ、この年のオールスターゲームに初めて選ばれる。
その後第二次世界大戦激化によりチームの主力選手であるハンク・グリーンバーグらが出征していた時期と歩調をあわせるように、ニューハウザーはタイガースのエース投手として活躍する。1943年までは二桁勝利を挙げていなかったが、翌1944年シーズンに29勝9敗と大きく勝ち越し、この年のアメリカンリーグMVPに選ばれる。翌1945年もこの勢いは衰えず25勝9敗としてリーグ最多勝、かつシーズン最優秀防護率1.81・リーグ最多奪三振212を達成して投手三冠を獲得し、これに加えて2年連続でのMVPとなる。この年のワールドシリーズでも2勝を挙げ、タイガースのシリーズ制覇に貢献した。
ニューハウザーは戦後1946年と1948年にもそれぞれ26勝、21勝をマークし、20代の間に計4度の20勝を挙げている。しかし30歳になった1951年のシーズンにこれまでの酷使がたたって腕の怪我に見舞われ、それ以降登板機会も少なくなってしまった。1953年には7試合しか登板せず0勝1敗の成績に終わり、同年オフにタイガースから放出されてしまう。
翌1954年クリーブランド・インディアンスに移籍して主に中継ぎ・ロングリリーフで登板して7勝2敗、防御率2.51と奮闘し、同年のアメリカンリーグ制覇に貢献した。翌1955年5月に現役を引退。
引退後
引退後はヒューストン・アストロズ、ボルチモア・オリオールズや古巣のインディアンス、タイガースのスカウトを歴任した。アストロズのスカウト時代に、ニューハウザーは後のヤンキースのキャプテンとなるデレク・ジーターを見出したが、当時アストロズが契約したのはジーターではなく、一塁手のフィル・ネビンだった[1]。またオリオールズのスカウト時代には、後に自分の勝ち星を越える209勝を挙げるミルト・パパスをスカウトした実績がある。

デトロイト・タイガースの永久欠番に1997年指定。
1992年にベテランズ委員会選考によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。その後1997年に古巣タイガースはニューハウザーの在籍時の背番号『16』を永久欠番に指定し、チームでは初の投手の永久欠番指定選手となった。
翌1998年11月10日に肺気腫と心臓病の併発によりミシガン州サウスフィールドの病院にて死去。77歳没。
家族ではニューハウザーの甥にケン・モッカがいる。
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詳細情報
年度別投手成績
獲得タイトル・記録
- アメリカンリーグ最優秀選手:2回(1944年、1945年)
- 投手三冠:1回(1945年)
- 最多勝利:4回(1944年 - 1946年、1948年)
- 最優秀防御率:2回(1945年、1946年)
- 最多奪三振:2回(1944年、1945年)
- ワールドシリーズ出場:2回(1945年、1954年)
- オールスターゲーム選出:7回(1942年 - 1948年)
- ※1942年、1945年、1948年は出場せず
打撃成績
- 通算成績:492試合、999打数201安打、本塁打2、打点81、打率.201
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脚注
外部リンク
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