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1948年の野球
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競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
1948年のペナントレースは8球団による20試合ずつの総当たり制の140試合で行われた。
個人タイトル
ベストナイン
社会人野球
東京六大学野球
旧制高校野球
- 最後の一高・三高野球戦を開催(通算成績は三高19勝、一高18勝、2分け)
新制高校野球
- 第20回選抜高等学校野球大会決勝(阪神甲子園球場・4月6日)
- 京都第一商業(京都府) 1-0 京都第二商業(京都府)
- 第30回全国高等学校野球選手権大会決勝(阪神甲子園球場・8月20日)
- 小倉(福岡県) 1-0 桐蔭(和歌山県)
メジャーリーグ
→詳細は「1948年のメジャーリーグベースボール」を参照
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できごと
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- 日本プロ野球においてフランチャイズ制が暫定導入される。
1月
2月
4月
- 4月6日 - 選抜高等学校野球大会の決勝戦が阪神甲子園球場行われ、京都府同士の学校の対戦となり、京都市立第一商業学校が京都市立第二商業学校を延長11回、1対0のサヨナラ勝ちで、優勝達成。
- 4月14日 - 読売ジャイアンツの中尾碩志が対南海戦で日本プロ野球通算1500投球回、史上6人目[3]。
5月
- 5月1日 - 巨人の中尾碩志が対阪急戦で日本プロ野球通算100勝、史上5人目[3]。
- 5月16日 -巨人の川上哲治が対金星スターズ戦(仙台)の1回に2ラン本塁打と3ラン本塁打を放ち、日本プロ野球新記録の1イニング5打点[4]。1イニング2本塁打は日本プロ野球初[5]。
- 5月28日 - 巨人の川崎徳次が対中日ドラゴンズ戦で、日本プロ野球通算1000投球回、史上26人目[3]。
- 5月28日 - 阪急の天保義夫が対南海戦で日本プロ野球通算1000投球回、史上27人目[3]。
- 5月29日 - 巨人の川崎徳次が対中日戦で、9回裏無死一塁の場面で登板、中日の杉山悟への初球を逆転サヨナラ2ラン本塁打されサヨナラ負け。日本プロ野球史上初の1球による敗戦を記録、スコアは13対12。
6月
7月
8月
- 8月2日 - 阪神の若林忠志が対太陽戦で日本プロ野球史上初の通算3000投球回[3]。
- 8月13日 - 株式会社「中部日本スタヂアム」が設立登記[2]。
- 8月17日 - ルー・ゲーリック・スタジアムにおいて、日本プロ野球史上初のナイター試合、巨人対中日ドラゴンズ戦が行われ、3対2で中日が勝利している(プロ野球ナイター記念日) 。
- 8月11日 - 太陽対大阪戦は太陽木下勇と大阪の若林忠志の投げ合いで、両チーム合わせて165球の公式記録としては[6]最少投球数で試合を終わらせている[7]。
- 8月20日 - 全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が行われ、福岡県の福岡県立小倉高等学校が和歌山県の和歌山県立桐蔭高等学校を1対0で勝利し優勝達成。
- 8月24日 - 大阪タイガースの梶岡忠義投手が対南海ホークス戦を明治神宮野球場でノーヒットノーランを達成[8]。
- 8月28日 - 中日は対阪神戦(西宮)で、球団新記録の4試合連続延長戦[3]。
9月
- 9月3日 - 阪急の野口二郎が対太陽戦で日本プロ野球通算200勝、史上3人目[3]。
- 9月6日 - 大陽ロビンスの真田重男が対大阪戦(甲子園球場)においてノーヒットノーラン達成。
- 9月5日 - 巨人は対南海戦(後楽園)で9月2日の対中日戦から球団タイ記録の4試合連続完封勝利と、8月29日対阪急戦の6回からこの日の9回まで球団新記録の40イニング無失点[3]。
- 9月12日 - 金星スターズの坪内道則が対南海戦で日本プロ野球史上初の通算1000試合出場、1リーグ時代では唯一[3]。
- 9月25日 - 阪神の御園生崇男が対金星戦で日本プロ野球通算1500投球回、史上8人目[3]。
- 9月28日 - 金星の坪内道則が対阪急戦で日本プロ野球史上初の通算1000安打[3]。
10月
11月
12月
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誕生
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
死去
脚注
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