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フアン・クルーズ

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フアン・クルーズ
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フアン・カルロス・クルーズ(Juan Carlos Cruz, 1978年10月15日 - )は、ドミニカ共和国モンセニョール・ノウエル州ボナオ出身の元プロ野球選手。右投右打。

概要 基本情報, 国籍 ...
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経歴

要約
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プロ入りからカブス時代

クルーズはハナコ・ボナオ高校に進学後、シカゴ・カブスと契約。ルーキーリーグのメサ・カブス英語版でプロとしてのキャリアを始め、41.1回を投げ2勝4敗、防御率6.10、36三振。

1999年には1Aのユージーン・エメラルズ英語版に昇格、5勝6敗で防御率は5.94だった。

2000年にはランシング・ラグナッツデイトナ・カブスで過ごし、合計で25試合140.1回を投げ8勝5敗、防御率3.27で160奪三振。また3試合で完投を果たした。

クルーズは2001年8月21日のミルウォーキー・ブルワーズ戦でメジャーリーグデビュー。この年8試合で先発し3勝1敗、防御率3.22。10月2日にはメジャー初安打も記録した。またシーズン中盤にはオールスター・フューチャーズチームの一員としても選出された。

2002年は45試合を投げ3勝11敗、防御率3.98となりキャリア初のセーブも記録した。

2003年の開幕戦ではカブスのリリーフ投手としては2人目となる6者連続三振を記録。しかしブルペン投手として開幕を迎えたものの不振で6月3日にはマイナーのアイオワ・カブスへ降格、結局この年は6先発を含め25試合に登板し2勝7敗、防御率6.05だった。

ブレーブス時代

2004年5月25日にリチャード・ルイスとアンディー・プレット英語版とトレードされスティーブ・スマイス英語版と共にアトランタ・ブレーブスへ移籍した[1][リンク切れ]。50試合に登板し6勝2敗、防御率2.75とキャリア最高の結果を残した。ブレーブスのリリーフ投手では2番目となる奪三振率8.75を記録。また得点圏での被打率はわずか.159であった。

アスレチックス時代

2004年12月14日にはティム・ハドソンとトレードされダン・マイヤー英語版チャールズ・トーマス英語版と共にオークランド・アスレチックスへ移籍した[2]

しかし初のアメリカンリーグとなった2005年シーズンは0勝3敗、防御率7.44と不振に終わった。

2006年はオープン戦で2勝0敗で10.1回を無失点に抑える好調ぶりを見せていたが、ブラッド・ハルジーとの交換トレードでアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍[3][リンク切れ]

ダイヤモンドバックス時代

トレード後もオープン戦で4イニングを無失点に抑えた。クルーズは開幕時は先発ローテーション入りを果たし、肩を痛めて故障者リスト入りするまでは14試合に先発して3勝3敗、防御率4.05。復帰後はリリーフ投手として投げた。

2007年はリリーフ投手として活躍し、4月下旬から5月初めまで故障で離脱したものの53試合に投げ6勝1敗、防御率3.10という内容でダイヤモンドバックスの地区優勝に大きく貢献した。

ロイヤルズ時代

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カンザスシティ・ロイヤルズ時代
(2009年7月29日)

2009年2月28日、カンザスシティ・ロイヤルズと総額550万ドルの2年契約を結んだ[4]

2010年4月23日に放出された[5]

レイズ時代

2011年2月3日にタンパベイ・レイズとマイナー契約を結んだ[6][リンク切れ]

パイレーツ時代

2012年2月1日にピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結んだ[7][リンク切れ]。またスプリングトレーニングにも招待選手として参加した。シーズンに先だってメジャー昇格を果たす。8月20日にDFAとなる[8]。8月23日にAAA級に降格することに拒否しフリーエージェントとなった。

フィリーズ傘下時代

2013年1月16日にフィラデルフィア・フィリーズと契約を結んだ。しかし2月13日にスプリングトレーニングが始まった初日に契約を解消した。

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詳細情報

年度別投手成績

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年度別守備成績

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脚注

外部リンク

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