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1970年フランスグランプリ
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1970年フランスグランプリ (1970 French Grand Prix) は、1970年のF1世界選手権第6戦として、1970年7月5日にシャレード・サーキットで開催された。
レースは38周で行われ、ロータスのヨッヘン・リントが6番手スタートから優勝した。マーチのクリス・エイモンが2位、ブラバムのジャック・ブラバムが3位となった。
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背景
トゥールーズ近郊のアルビにあるアルビ・サーキットに開催地を移す計画だったが、資金を調達できなかったため実現せず、前年に引き続きシャレード・サーキットで行われることになった。シャレード・サーキットでのF1世界選手権レース開催は3回目である[3][4]。
エントリー
要約
視点
前戦オランダGPとほぼ同じであったが、ピアス・カレッジを失ったウィリアムズは参加せず[4]、ジョン・サーティースもエンジン不足のため参加を見合わせ、次戦イギリスGPまでに自製マシンの完成を目指すことにした。マクラーレンはエースのデニス・ハルムがインディ500の練習走行中に負った両腕の火傷から復帰し、前戦オランダGPでアンドレア・デ・アダミッチが走らせたM14Dのエンジンをアルファロメオからフォード・コスワース・DFVに載せ替え、デ・アダミッチには古いM7Dを与えた[5]。フェラーリは、イグナツィオ・ギュンティが2台目の312Bを走らせる[4]。ロータスは当初、3台目のドライバーとして地元フランス出身のジャン=リュック・サロモンを起用する予定だったが、開催直前の6月28日にルーアンのF3レースで亡くなったため[6]、アレックス・ソラー=ロイグが起用された[7]。
エントリーリスト
- 追記
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予選
要約
視点
ジャッキー・イクスが今季初のポールポジションを獲得した[8]。2番手でイクスとともにフロントローを獲得したのは母国グランプリとなるジャン=ピエール・ベルトワーズであった。2列目はマーチ・701を駆るクリス・エイモンとジャッキー・スチュワートが並んだ。ヨッヘン・リントはコースの起伏に苦しみ、石が顔面にヒットするアクシデントもあったが6番手に付け、ジャック・ブラバムとともに3列目を得た。ベルトワーズのチームメイトで同じく母国グランプリとなるアンリ・ペスカロロは、デニス・ハルムとともに4列目に並ぶ[4]。
予選結果
- 追記
- 上位20台が決勝進出
決勝
要約
視点
ポールポジションからスタートするジャッキー・イクスだったが、レース開始前のウォームアップセッションでバルブシートが破損していることが判明した。エンジンを交換する時間的余裕はなく、バルブのみ交換してスタートに臨まなければならなかった[11]。それでもイクスはスタートから14周の間首位を走行するが[4]、メジャーバルブが壊れてリタイアした[11]。3位を走行していたジャッキー・スチュワートも点火装置のトラブルでピットインを強いられた。イクスのリタイアによって首位に立ったベルトワーズも、26周目にスローパンクチャーに見舞われた。リントがベルトワーズを抜いて首位に浮上し、ベルトワーズはピットへ向かっていった[4]。リントはラッキーな形で連勝して今季3勝目を挙げ[12]、ドライバーズランキングもスチュワートを抜いて首位に立った。クリス・エイモンは今季2度目の2位、ジャック・ブラバムはデニス・ハルムのすぐ前でフィニッシュし、3位表彰台を獲得した。ブラバムに僅差で敗れたハルムが4位、アンリ・ペスカロロは母国グランプリで5位に入賞した。ダン・ガーニーは6位に入賞し、才能を失っていないことを証明した[8]。なお、ガーニーはこれが最後の入賞及び完走であった[13]。
レース結果
- ジャック・ブラバム - 3:00.75(29周目)
- ジャッキー・イクス - 14周 (Lap 1-14)
- ジャン=ピエール・ベルトワーズ - 11周 (Lap 15-25)
- ヨッヘン・リント - 13周 (Lap 26-38)
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第6戦終了時点のランキング
- 注: トップ5のみ表示。前半7戦のうちベスト6戦及び後半6戦のうちベスト5戦がカウントされる。
脚注
参照文献
外部リンク
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