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マイク・マクドゥーガル

アメリカの野球選手 (1977-) ウィキペディアから

マイク・マクドゥーガル
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ロバート・メイクルジョン・マクドゥーガル(Robert Meiklejohn MacDougal、1977年3月5日 - )は、アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガス出身のプロ野球選手投手)。右投両打。

概要 基本情報, 国籍 ...
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経歴

要約
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ボルチモア・オリオールズからドラフト1996年(22巡目)と1998年(17巡目)の2回指名されたが、契約には至っていない。

ロイヤルズ時代

1999年カンザスシティ・ロイヤルズからドラフト1巡目(全体25位)で指名され入団。

2001年9月22日にメジャーデビュー。同年、3試合にメジャーで先発登板している。

2003年、開幕からクローザーとして起用され、68試合に登板で27セーブを記録。オールスターに初選出を果たしている。オールスターまでの前半戦の防御率は2.59だったが、後半戦は6.85まで悪化している。

2004年は、故障者リスト入りのまま開幕を迎え、シーズン初登板は4月28日だった。その後、5試合の登板で防御率10.80と不振を理由に5月11日、AAAのオマハ・ロイヤルズへ降格[2]。9月にメジャー昇格してからは8試合の登板で防御率3.38。

2005年はマイナーに降格することなくクローザーとして21セーブを記録し、ロイヤルズの最優秀投手に選出された[3]

ホワイトソックス時代

2006年7月24日、マイナー選手2人とのトレードでシカゴ・ホワイトソックスへ移籍。移籍後シーズン終了までにリリーフとして25試合に登板し、11ホールドを記録。シーズン終了後の12月6日、ホワイトソックスは年俸調停を避け、マクドゥーガルと3年645万ドル(4年目の2010年は球団オプション)の契約に合意[3]

2007年54試合に登板し、防御率6.80は自己ワースト。

2008年、球団はマクドゥーガルを4月26日にAAA級シャーロット・ナイツへ降格させ、翌27日にエレン・ワッシャーマンをメジャー昇格させた[4]。メジャーに復帰したのは9月に入ってからで同年、防御率2.12だったものの、16試合にしか登板出来なかった。

2009年、ホワイトソックスは5試合の登板で防御率12.45のマクドゥーガルを4月21日に40人ロースターから外し、29日に解雇された[5]

ナショナルズ時代

2009年5月3日、ワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ[6]。5月28日にメジャー昇格した。12月12日にFAとなった。

2010年2月18日にフロリダ・マーリンズとマイナー契約を結んだが、3月23日に放出された。3月24日に古巣・ナショナルズとマイナー契約を結んだ。7月1日にFAとなった。

カージナルス時代

2010年7月7日にセントルイス・カージナルスと契約。7月28日にメジャー昇格。11月1日にFAとなった。

ドジャース時代

2011年1月28日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ。3月31日にメジャー昇格し、開幕ロースター入りした[7]。10月30日にFAとなった。

2012年1月5日にドジャースと1年契約を結んだ[8]。5月3日にDFAとなり、5月11日にFAとなった。

カブス傘下時代

2012年5月15日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結んだ。7月12日に放出され、7月28日に古巣・ナショナルズとマイナー契約を結んだ。11月3日にFAとなった。

レッズ傘下時代

2013年4月3日にシンシナティ・レッズとマイナー契約を結んだ。AAA級ルイビル・バッツで17試合に登板し、0勝1敗、防御率5.49だった。6月8日に放出された。7月25日にフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結んだ。AAA級リーハイバレー・アイアンピッグスで20試合に登板し、2勝1敗、防御率5.33だった。11月5日にFAとなった。

マリナーズ傘下時代

2014年5月10日にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結んだ[9]。その後、退団。

カムデン・リバーシャークス時代

その後、アトランティックリーグカムデン・リバーシャークスでプレーした。その後、退団。

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年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
  • 2013年度シーズン終了時
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脚注

外部リンク

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