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マイク・ラガ
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マイケル・ラッセル・ラガ(Michael Russell Laga , 1960年6月14日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州出身の元プロ野球選手。日本では1991年~1992年に福岡ダイエーホークスに所属した。ポジションは内野手(一塁手)。左投げ左打ち。
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来歴・人物
1980年、デトロイト・タイガースからドラフト1巡目で指名されて契約し、1982年にメジャーデビュー。1984年はわずか9試合の出場ながら、チームがワールドシリーズを制したためチャンピオンリングを手にしている。1986年にセントルイス・カージナルスへ移籍、1989年にサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍し、翌年解雇される。一塁手または指名打者で出場したが目立った成績は残せなかった。
メジャーでは9シーズンで通算188試合の出場に留まり、打率.199、16本塁打、55打点という成績に終わる。
1991年に来日して福岡ダイエーホークスに入団。1年目は打率こそ低かったものの、チーム最多の32本塁打、81打点を記録し活躍した。しかし翌年はパ・リーグ三冠王獲得経験もあるベテランのブーマー・ウェルズが入団し、2年目の投手のリー・タネルもいたため、当時は一軍で登録できる外国人選手が2人までであったこともあり、わずか12試合で3本塁打、6打点に終わり解雇された。
三振した後、かぶったままのヘルメットをバットで何度も殴りつけて怒りを発散していた。その後、脱ぎ捨ててバットを叩きつけ、破壊することで有名だった。また、頭髪が薄いことでも知られており、日本ハム戦では、マット・ウインタースがホークス・ラガのユニフォームを着てハゲづらをかぶり、チアリーダーと一緒に踊っていた事があった。その際に、ラガはバットを振りかざしながら乱入し、ウインタースを追っ払っている(本気で怒ったのかパフォーマンスかは不明)。本塁打を放った際に最後に出迎えた小川史に熱いキスをするなど、本人も陽気な性格だったと思われる。
帰国後の1993年はアトランタ・ブレーブスとマイナー契約したが、メキシカンリーグへの移籍を通告されてラガは拒否し、プレーできない期間が数か月続いたのちに引退した[1]。引退後はマサチューセッツ大学に通った後、ローン会社の役員となった[1]。
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詳細情報
年度別打撃成績
記録
- NPB
- 初出場・初先発出場:1991年4月7日、対オリックス・ブルーウェーブ1回戦(グリーンスタジアム神戸)、5番・一塁手として先発出場
- 初安打・初本塁打・初打点:1991年4月9日、対近鉄バファローズ1回戦(藤井寺球場)、6回表に山崎慎太郎から右越決勝3ラン
背番号
- 4 (1982年 - 1986年)
- 35 (1986年 - 1988年)
- 8 (1989年)
- 21 (1990年)
- 39 (1990年)
- 44 (1991年 - 1992年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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