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ミヤビペルセウス

日本の競走馬 ウィキペディアから

ミヤビペルセウス
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ミヤビペルセウスは、日本競走馬2007年新潟ジャンプステークスに優勝した。

概要 ミヤビペルセウス, 品種 ...

戦歴

2002年9月に新潟競馬場でデビューし14着。2003年8月に8戦目にして初勝利を挙げる。その後はダート1600mから1800mのレースを中心に出走し、1000万クラスまで出世したが、大敗も増え成績が頭打ちになった。

2006年7月に障害競走に転向し、2戦目で障害初勝利を挙げるもその後は惨敗が続いた。ちなみに障害転向後も平地のレースに何度か出走しているがこちらも惨敗だった。

変わり身を見せたのは2007年4月に中山競馬場で行われた障害オープンで、12番人気で2着と好走。その後障害オープンを2連勝。特に2戦目はコウエイトライに2.6秒の大差をつけてのものだった。迎えた新潟ジャンプステークスは1番人気に推され、早め先頭から押し切る競馬で優勝、3連勝で重賞初勝利を挙げる。しかし続くイルミネーションジャンプステークスでは休み明けの影響かチグハグしたレース運びで飛越も悪く、11着と大敗した。さらに中山大障害でも11着に敗れた。

2008年の初戦は春麗ジャンプステークスに出走。1番人気に支持されるが、またも11着だった。その後、5月の障害オープンに出走し、2着となった。続く東京ハイジャンプ新潟ジャンプステークスはともに4着、阪神ジャンプステークスは3着と好走した。続く京都ハイジャンプは13着と大敗した。

2009年の初戦は久々に平地のレースに出走、9着だった。続く阪神スプリングジャンプでは13番人気と評価を落としていたが、3着と好走した。その後、5月30日に平地のレースに出走したが、13着と大敗した。続く東京ジャンプステークスと新潟ジャンプステークスでは共に3着に入った。しかし、9月の阪神ジャンプステークスでは10着に終わった。その後は一度もレースに出走することなく2011年5月18日付で競走馬登録を抹消され[1]千葉県香取市の北総牧場にて乗馬となる。

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競走成績

さらに見る 競走日, 競馬場 ...
  1. 障害戦は平均1F
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血統表

ミヤビペルセウス血統サンデーサイレンス系 / Nearco 5×5=6.25%)(血統表の出典)

バブルガムフェロー
1993 鹿毛
父の父
* サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛
Halo Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well Understanding
Mountain Flower
父の母
* バブルカンパニー
Bubble Company
1977 栗毛
Lyphard Northern Dancer
Goofed
Prodice Prominer
Euridice

スリードーター
1982 鹿毛
* サンプリンス
Sun Prince
1969 栃栗毛
Princely Gift Nasrullah
Blue Gem
Costa Sola Worden
Sunny Cove
母の母
チヨダマサコ
1977 鹿毛
* ラバージョン Damascus
Evening Primrose
ミスオーハヤブサ * パーソロン
ワールドハヤブサ F-No.12

叔父に天皇賞(秋)などG13勝のニッポーテイオー、叔母にエリザベス女王杯優勝馬タレンティドガールがいる。

出典

外部リンク

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