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クラフトワーク (競走馬)
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クラフトワーク(Craft Work、2000年4月2日 - 2013年6月)[1]は、日本の競走馬。主な勝ち鞍に2004年の函館記念、2005年の中山金杯、アメリカジョッキークラブカップ。
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戦績
- 特記事項なき場合、本節の出典はJBISサーチ[4]
2002年9月8日、札幌競馬場での2歳新馬戦でデビューし、3着。3戦目で勝ち上がり、西下して出走のラジオたんぱ杯2歳ステークスでも5着に入った。3歳を迎え、初戦のすみれステークスで2着のあと出走のフリージア賞で2勝目を挙げ、続く青葉賞でもゼンノロブロイの3着に入って東京優駿(日本ダービー)への優先出走権を手中にするが、本番の東京優駿はネオユニヴァースの9着に終わった。夏から秋にかけては条件戦を走り、1000万下条件で2走ののち格上挑戦で1600万下のテレビ静岡賞に出走し、タイガーカフェを下して3勝目を挙げた。
4歳となった2004年、初戦の東京新聞杯でウインラディウスの2着。次走の中京記念は5着に終わるが、一息入れて出走の函館記念では内目の競馬を立ち回り、外を通ったファインモーションをクビ差おさえて重賞初制覇、兄のクラフトマンシップに続く函館記念の兄弟制覇を成し遂げた[5]。その後5か月半もの休養を経て5歳初戦となった中山金杯は後方からの競馬を制して重賞2勝目を手にした[6]。次走のアメリカジョッキークラブカップも先に抜け出したエアシェイディを差し切って重賞3勝目を挙げた[7]。因みにこの時記録した2分11秒4は、同レースが1985年に芝2200mに定めて以降の最速タイムである。その後は長期休養を余儀なくされ、2006年の中山記念で復帰し3走するもすべて二桁着順に終わり、10月12日付で競走馬登録を抹消した[3]。
引退後は乗馬となり、ノーザンホースパーク[3]を経て2008年に熊本県益城町の宮村牧場に移り、引退名馬繋養展示事業の功労馬として繋養された[8]。その後、2013年6月に死亡した[2]。
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競走成績
要約
視点
以下の内容は、JBISサーチ[4]およびnetkeiba.com[9]に基づく。
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血統表
クラフトワークの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ノーザンダンサー系 |
[§ 2] | ||
父 *ペンタイア Pentire 1992 鹿毛 |
父の父 Be My Guest1974 栗毛 |
Northern Dancer | Nearctic | |
Natalma | ||||
What a Treat | Tudor Minstrel | |||
Rare Treat | ||||
父の母 Gull Nook1983 鹿毛 |
Mill Reef | Never Bend | ||
Milan Mill | ||||
Bempton | Blankey | |||
Hardiemma | ||||
母 ワーキングガール 1988 鹿毛 |
*パドスール Pas de Seul 1979 鹿毛 |
Mill Reef | Never Bend | |
Milan Mill | ||||
Thereby | Star Moss | |||
Besides | ||||
母の母 シヤダイワーデン1977 栗毛 |
*ノーザンテースト | Northern Dancer | ||
Lady Victoria | ||||
シヤダイプリマ | *マリーノ | |||
ナイトアンドデイ | ||||
母系(F-No.) | ナイトライト(GB)系(FN:22-d) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Mill Reef 3 × 3 = 25.00%、 Northern Dancer 3 × 4 = 18.75%、Lady Angela 5 × 5 = 6.25% | [§ 4] | ||
出典 |
- 半兄にクラフトマンシップ(2000年函館記念)、その他近親にダイナコスモス(皐月賞、ラジオたんぱ賞)、メイショウトウコン(東海ステークス、ブリーダーズゴールドカップ)など[7][11]
- そのほかの近親はナイトライト#主要なファミリーラインを参照。
脚注
外部リンク
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