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ラドミル・アンティッチ
セルビアのサッカー選手 ウィキペディアから
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ラドミル・アンティッチ(Radomir Antić、セルビア語: Радомир Антић、1948年11月22日 - 2020年4月6日 )は、ユーゴスラビア出身のサッカー選手、サッカー指導者。選手時代よりポジションはディフェンダー。
アトレティコ・マドリードの監督としては、1995-96シーズンに、ラ・リーガとコパ・デル・レイの両方を制し、二冠を達成した。
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経歴
現役時代はディフェンダー。パルチザン・ベオグラード、フェネルバフチェSK、レアル・サラゴサに所属した。ルートン・タウンFCでは、Raddy(ラディ)のニックネームで知られ、1983年5月のマンチェスター・シティFC戦で、クラブを降格から救うゴールを決めた。ルートン時代の監督デイビッド・プリートからは、指導方法について影響を受けた。
引退後、サッカー指導者の道へ進み、レアル・サラゴサ、レアル・マドリードなどで指揮を執った。1995-96シーズンはアトレティコ・マドリードでリーガ・エスパニョーラ、スペイン国王杯優勝による二冠という偉業を成し遂げている。FCバルセロナにおいても短期間監督を務め、GKビクトル・バルデス、MFアンドレアス・イニエスタら若手選手に出場機会を与えている。
2008年8月19日、セルビア代表監督に就任。2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ではフランス、ルーマニアと同居する組み分けとなったが、従来の守備的なチームに攻撃意識を植え付け、規律を設けてチームを結束させ、首位での予選突破果たした[1] 。しかし2010年の本大会では1勝2敗でグループリーグ敗退。また、第3戦のオーストラリア戦において主審の判定に抗議したことにより、国際サッカー連盟から4試合のベンチ入り停止と罰金処分を科された[2][3]。同年9月から始まったUEFA欧州選手権2012予選ではスタンドからの指揮となったが、同年9月7日のスロベニア戦を1-1で引き分けると、処分期間中の9月15日に監督を解任された[4]。
2012年12月、中国超級リーグの山東魯能の監督に就任した[5]。
監督退任後は、主にスペインで解説者を務めていた。
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所属クラブ
- 1967-1968
FKスロボダ・ウジツェ
- 1968-1976
パルチザン・ベオグラード
- 1976-1978
フェネルバフチェSK
- 1978-1980
レアル・サラゴサ
- 1980-1984
ルートン・タウンFC
代表歴
出場大会
試合数
- 国際Aマッチ 1試合 0得点(1973年)[8]
指導歴
タイトル
選手時代
- パルチザン・ベオグラード
- ユーゴスラビア・プルヴァ・リーガ:1回(1975-76)
- フェネルバフチェSK
- スュペル・リグ:1回(1977-78)
- ルートン・タウンFC
- フットボールリーグ・セカンドディビシオン:1回(1981-82)
監督時代
- アトレティコ・マドリード
- プリメーラ・ディビシオン:1回(1995-96)
- コパ・デル・レイ:1回(1995-96)
- 個人
- ドン・バロン・アワード最優秀監督:1回(1995-96)
- セルビアサッカー協会年間最優秀監督:1回(2009)
脚注
外部リンク
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