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ロドリゴデトリアーノ

アメリカ産の競走馬 ウィキペディアから

ロドリゴデトリアーノ
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ロドリゴデトリアーノRodrigo de Triano1989年5月27日 - 2014年8月5日)は、アメリカで生まれイギリスで調教された競走馬で、引退後は種牡馬として供用された。

概要 ロドリゴデトリアーノ, 欧字表記 ...

馬名は、クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸を発見するに至った航海にて、最初に陸地(西インド諸島サンサルバドル島)を視認した船員の名前に由来する。本馬がクラシックシーズンを迎えた1992年はアメリカ大陸発見からちょうど500年ということから、彼にちなんで名付けられた。

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経歴

競走馬時代

1991年、2歳時の7月にデビュー。デビュー戦で初勝利を挙げ、その後2連勝し、初の重賞挑戦となったシャンペンステークス (G2) を制す。4連勝で挑んだミドルパークステークス (G1) も制し、無敗でG1初勝利を挙げた。

1992年、この年初戦のグリーナムステークス (G3) では4着となり連勝がストップするが、続く2000ギニー (G1) とアイリッシュ2000ギニー (G1) を制し、史上3頭目のイギリス&アイルランド2000ギニー2か国制覇を成し遂げた。しかしエプソムダービーでは1番人気に支持されるが、ドクターデヴィアスらに敗れ9着という結果に終わった。続くセントジェームズパレスステークスは4着だったが、インターナショナルステークスでは、ドクターデヴィアスらを相手にレースを制しG1通算4勝目を挙げた。さらにチャンピオンステークスも制しG1通算5勝目を挙げ、初のダート戦となったブリーダーズカップ・クラシックに出走するが、最下位となる14着に終わり、このレースを最後に競走馬を引退することになった。なおこの年のカルティエ賞最優秀3歳牡馬に選出された。

種牡馬時代

競走馬引退後は種牡馬として日本へ輸出され、日本軽種馬協会 (JBBA) で1993年から種牡馬生活を開始した。

1997年1998年にはJBBA初のシャトル種牡馬としてニュージーランドで供用された。

2007年の種付けシーズン後にJBBA下総種馬場からJBBA那須種馬場へ移動した。2008年の種付けシーズン後にJBBA那須種馬場からJBBA九州種馬場へ移動した。

2013年を最後に種牡馬を引退。その後はJBBA静内種馬場で功労馬として余生を送っていた[1]

2014年8月5日肺炎による呼吸不全のために繋養先のJBBA静内種馬場で死亡した[2]

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主な産駒

太字は勝利したGⅠ級競走。

ブルードメアサイアーとしての主な産駒

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血統表

ロドリゴデトリアーノ血統ノーザンダンサー系 / アウトクロス(血統表の出典)

El Gran Senor
1981 鹿毛
父の父
Northern Dancer
1961 鹿毛
Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
父の母
Sex Appeal
1970 栗毛
Buckpasser Tom Fool
Busanda
Best in Show Traffic Judge
Stolen Hour

Hot Princess
1980 栗毛
*ホットスパーク
Hot Spark
1972 栗毛
Habitat Sir Gaylord
Little Hut
Garvey Girl Princely Gift
Tekka
母の母
Aspara
1972 栗毛
Crimson Satan Spy Song
Papila
Courtside Court Martial
Omelet Souffle F-No.20-a

脚注

外部リンク

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