トップQs
タイムライン
チャット
視点

三浦敏一

ウィキペディアから

Remove ads

三浦 敏一(みうら としかず、1916年5月18日 - 1997年[1])は、長野県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手一塁手

概要 基本情報, 国籍 ...

来歴・人物

諏訪蚕糸学校では1930年に春のセンバツ夏の選手権に出場。

1937年名古屋軍へ入団。前年大活躍した正捕手のバッキー・ハリスイーグルスへ移籍し、捕手不足の中で頭角を現した。強肩でキャッチングが上手く、また俊足でもあったためレギュラーを張っていた。ただ打撃に難があり、1939年服部受弘が入団すると一塁手に回る機会も多かった。中日球団でエースの象徴とされる背番号20を、初めて付けた人物として知られる。

1941年に軍に応召され、退団。戦後はプロ野球に復帰せず、社会人野球の小口製作所でプレイングマネージャーとして活躍した。当時の教え子に宮崎仁郎手塚明治近藤正雄熊耳武彦らがいる。

1997年に死去。数え83歳没。

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...

背番号

  • 20 (1937年)
  • 9 (1938年 - 1941年)
Remove ads

脚注

関連項目

Loading content...
Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads