トップQs
タイムライン
チャット
視点
上久雄
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
Remove ads
上 久雄(かみ ひさお、1941年6月28日 - )は、広島県広島市出身[1]の元サッカー選手(DF、MF)・監督。
Remove ads
経歴
広島市立国泰寺中学校を経て、広島山陽高校では渡部英麿監督の指導を受けた。卒業後は寺西忠成監督に誘われ、1960年に八幡製鉄サッカー部へ入部。身体能力に優れ、ハードタックルと空中戦に強さを発揮。渡辺正・宮本輝紀らと共に主力選手として活躍し、ストッパーとして相手チームのエースのマークを任され、1966年と1967年には2年連続で「年間優秀11人賞」に選出される。日本代表では主にハーフバックとして活躍し、東京五輪では代表初のベスト8進出に貢献[1]。メキシコシティ五輪は予選こそレギュラーとして出場したが、本戦では登録メンバーから外れた。1964年から1969年の間に国際Aマッチ15試合に出場し、1972年に現役を引退。
引退後は新日鐵でコーチ(1973年 - 1975年)・監督(1980年 - 1983年, 1987年 - 1989年)を務め、コーチ時代は選手兼任の宮本と共に監督の渡辺を支えた。監督在任中は寺西が特別指導者としてチームに参加し、大井成元を見出だした。
Remove ads
個人成績
代表歴
出場大会など
- 東京オリンピック(ベスト8)
- アジア競技大会(1966年)
- メキシコシティオリンピック予選
試合数
- 国際Aマッチ 15試合 0得点(1964-1968)
出場
監督成績
参考文献
- 「この人あの時 上久雄」『サッカーマガジン』ベースボールマガジン社、1982年11月01日号 No.277 、35ページ。
- 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993
脚注
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads