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中沢春雄
日本のプロ野球選手 (1946-) ウィキペディアから
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中沢 春雄(なかざわ はるお、1946年4月13日 - )は、茨城県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
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来歴・人物
下妻第一高校から立教大学へ進学。東京六大学野球リーグでは1966年春季リーグで優勝を経験、しかしその後は優勝に届かなかった。4年時には主将をつとめ、三塁手、三番打者として活躍。同期のエース土井池憲治、捕手の田中鞆雅(日本石油)のバッテリーを擁し、1年下の望月充とクリーンアップを組み、低迷期の立大を支えた。
卒業後は1970年に本田技研工業へ入社し、同年の都市対抗に四番打者として出場。河本昭人らの好投もあり準々決勝に進むが、住友金属の山中正竹らに抑えられ、渡辺弘基(日産自動車から補強)のサヨナラ押し出し四球で延長11回サヨナラ負け[1]。同大会の優秀選手に選出された。この大会の南関東予選では首位打者となっている。この時のチームメートに黒田正宏、藤村哲也がいた。
1970年ドラフト会議で近鉄バファローズから3位指名を受け入団。1年目の1971年から一軍で起用され、同年10月には三塁手として初の先発出場を果たす。その後の2年間も、シーズン終盤の消化試合でそれぞれ1試合に先発するが、あまり活躍の場はなく1974年限りで引退した。
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詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 28 (1971年 - 1974年)
脚注
関連項目
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