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中谷信夫

日本の野球選手 (1920-1992) ウィキペディアから

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中谷 信夫(なかたに のぶお、1920年5月4日 - 1992年5月21日)は、京都府京都市出身のプロ野球選手。左投右打で、ポジションは投手

概要 基本情報, 国籍 ...
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来歴・人物

京都市立第一工業学校(現・京都市立洛陽工業高等学校)、立命館大学から門司鉄道局(現・JR九州硬式野球部)を経て、シーズン途中ながらも1947年南海ホークスへ入団し[1]、1年目に15勝を挙げ、翌年も開幕から12連勝で、前年御園生崇男が記録したプロ野球記録の13連勝に挑んだ6月25日の対金星スターズ戦では6対2で敗戦投手となり連勝を止めるものの[2]、この年は21勝を挙げる。1951年には14勝して[3]最高勝率のタイトルを獲得し、5年連続二桁勝利も記録した。1955年に現役引退後は、1960年までコーチとなる。オーバースローから、スライダー、シュート、カーブを武器とした。

詳細情報

年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

記録

  • シーズン10完封(1948年):球団記録[4]

背番号

  • 20 (1947年 - 1957年)
  • 51 (1958年 - 1960年)
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脚注

関連項目

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