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久後崎町
岡崎市の町 ウィキペディアから
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久後崎町(くごさきちょう)は、愛知県岡崎市本庁地区の町名。丁番を持たない単独町名であるが、小字が設置されている。
地理
岡崎市西部、本庁地区では南西に位置する。
小字
- 字恵藤(えとう)
- 字キロ(きろ)
- 字国崎(くにさき)
- 字郷西(ごうにし)
- 字郷東(ごうひがし)
- 字堤下(つつみした)
- 字中道(なかみち)
- 字鳩部屋(はとべや)
- 字本郷(ほんごう)
- 字本郷南(ほんごうみなみ)
- 字三島下(みしました)
- 字宮下(みやした)
- 字宮前(みやまえ)
- 字薮下(やぶした)
- 字両神(りょうがみ)
世帯数と人口
2019年(令和元年)5月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
1995年(平成7年) | 1,255人 | [5] | |
2000年(平成12年) | 1,258人 | [6] | |
2005年(平成17年) | 1,288人 | [7] | |
2010年(平成22年) | 1,254人 | [8] | |
2015年(平成27年) | 1,292人 | [9] |
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10]。
歴史


額田郡久後崎村の一部を前身とする。
町名の由来
久後村と国崎村の「崎」の合成による。
沿革
萬有製薬岡崎工場
1943年(昭和18年)、万有製薬は三龍社の蚕種工場を買収して、久後崎町字恵藤に久後崎工場を、上六名町字茶の木原(現・上六名3丁目)に上六名工場を設立した。戦時中、久後崎工場ではボーフラワー、ネスボサン、バンカインなどを主に製造した。万有製薬は東京市目黒区の3工場を戦災で焼失したため、第2次世界大戦後は岡崎が同社の生産拠点となった。1946年(昭和21年)の全国のペニシリン生産量は2億8,000万単位で、うち1億500万単位が万有製薬の岡崎工場で生産されるほどであった[13][14]。その後、2006年(平成18年)末に岡崎工場は閉鎖された[15]。
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交通
道路
- 愛知県道293号桜井岡崎線(六名通り)
- 城見通り
鉄道
施設
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その他
日本郵便
脚注
参考資料
関連項目
外部リンク
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