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五井孝蔵
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五井 孝蔵(ごい こうぞう、1925年4月15日 - 2007年1月12日)は、秋田県[1]出身のプロ野球選手(投手、内野手)。
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来歴・人物
旧制秋田県立角舘中學校から立教大学へ進学し、主将を務めた[1]。リーグ通算13勝32敗[1]。
1950年に創立された近鉄パールスへ入団[1]。3月31日に対毎日オリオンズ戦でプロ入り初登板、5安打5与四球2奪三振の内容で完封勝利を挙げた。初登板完封勝利は日本プロ野球史上10人目、球団およびパ・リーグでは初めての記録となった[2]。この年は37試合を投げて8勝15敗の成績だった。1951年9月16日の対阪急ブレーブス戦で、野口二郎からパ・リーグ史上初、日本プロ野球史上3人目の代打サヨナラ本塁打を放っている[3]。上手投げからのドロップ、シュートを武器とした。
1953年に三塁手へ転向[1]。翌年は投手に再転向するも同年限りで引退した[1]。通算は投手として17勝31敗、野手として161安打、7本塁打という成績だった。引退後は日本コロムビアに入社。
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詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別打撃成績
背番号
- 15 (1950年 - 1954年)
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記録
脚注
関連項目
外部リンク
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