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青鷺火
日本の妖怪 ウィキペディアから
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青鷺火(あおさぎび、あおさぎのひ)は、サギの体が夜間などに青白く発光するという日本の怪現象[1]。別名五位の火(ごいのひ)または五位の光(ごいのひかり)。


概要
要約
視点
ゴイサギの光・怪火と青鷺の怪火は、類するものとして考察される(以下参照)。
江戸時代
中山三柳『醍醐随筆』(寛文10/1670年)では、ある人が光り物を撃ったと思ったら鵊鶄(あをさぎ)だったことがあり、これは光る鳥であると説明される。『広文庫』では「青鷺」ではなく「五位鷺」に一例としている[3]。
山岡元隣『百物語評判』(貞享3/1686年刊)にある怪し火・発光物体の話(油坊参照)では、東近江の油商人が、叡山(延暦寺)中堂に収めていた料として1万石の知行を得ていたがそれがなくなり家が没落し憤死したという背景で、その者の在所からに光り物が出て中堂に向かっていき油火に近づくのだと噂になり、「油盗人」と人々は呼んだという。ある者は坊主の生首が火を吹くのを見たとも吹聴した。元隣はこれをアオサギ論を断じており、年経たアオサギは夜飛ぶとき必ず羽が光り、眼光が相応し、くちばしするどく[注 1]、光り物に間違えられるものだとしている[5][6]。
これと類話に扱われるのが[6][7]、菊岡沾涼『諸国里人談』(寛保年間、1741–1744年)にある話(姥ヶ火参照)で[2]、舞台は河内国平岡(のちの大阪府枚岡市)だが、油を盗んだ老婆が「姥ヶ火」になったと噂された。しかしある者は目の前に落ちたところ、鶏のごとき鳥であって、嘴を叩く音がしたが、すぐ飛び去って行ったのを遠目で追うと「円(まどか)なる火」に見えたという。よって、その正体は「
百科事典『和漢三才図会』(1712年刊)禽類「
江戸時代の妖怪画集鳥山石燕『今昔画図続百鬼』(1779年刊)や竹原春泉画『絵本百物語』(1841年刊)にも取り上げられる。
石燕の「青鷺火」(右図参照)の添え書きでは、年経た青鷺は、夜に飛行すると羽が光り、目もらんらんと光り、「くちばしが尖ってすさまじい」と記すが上述の元隣とほぼ同じ文言である[注 3][14][15]。
『絵本百物語』は、春泉の「五位の光」と題する画(右下図参照)の添え文では、この鷺は五位の位を授けられ、光ってあたりを照らすようになったとする[16]。さらに、桃山人による同書本文に追加説明があり、"五位鷺(ゴイサギ)が息をつくのを闇夜に見れば、火が青く光るよう"であり、また自然界に夜光る現象はありあふれている等々と考察されている[17][10]。

また江戸後期の黄表紙作家、恋川春町『妖怪仕内評判記』(安永8/1779年刊)(右図参照)では、妖怪(ばけもの)たちに仕内(しうち)の試合をさせられ、青鷺は次席の高得点を得ているが、青鷺(あをさぎ)は夜、不気味な光り物となって往来の人を驚かすが、丈五尺ばかりの燃える柱のようなものに化けるとする。青鷺は首をすくめて四角の柱が発火した姿に化けおおせるというが、どうやら、光る両翼をひらひら羽交(はが)いにして炎を演出しているのではないか、としている[18][19]。
やや後に戯作者の桜川慈悲成が出した『
『耳嚢』には、文化2年(1805年)秋頃の記録として、江戸四谷の者が夜の道中で、白衣を着た者と出くわしたが、腰から下がなく、幽霊の類かと思い、振り返ると、大きな一つ目が光っていたので、抜き打ちで切りつけ、倒れたところを刺し殺すと大きな五位鷺であったという話が記述されている。なお、そのサギはそのまま持ち帰られ、調味されて食された。そのため、「幽霊を煮て食った」ともっぱら巷の噂となったという[22][10][7]。
加藤雀庵『さへづり草』(天保~文久3/1833頃–1863年。1910年刊)では、陰火を火を持たない青い光としており、キツネ、イタチ、ゴイサギ、クラゲ、タコ、ホタルなど生物発光の例を挙げている[23]。
現代例
新潟県佐渡島新穂村(現・佐渡市)の伝説では、根本寺の梅の木に毎晩のように龍燈(龍神が灯すといわれる怪火)が飛来しており、ある者が弓矢で射たところ、正体はサギであったという[24] [25][26]。
郷土研究家・更科公護が茨城県筑西市で昭和3/1928年頃の5,6月の夕べに、ぼんやりした青白い光が飛ぶのを見たといい、ゴイサギが光るのだとよくいわれていたとしている[27]。茨城町ではヨシガモとカルガモらしきが光って飛ぶのを見たという[28]。郷土史家の座間美都治によれば[注 4]、茨城県(霞ヶ浦周辺)でサギは火の玉になるともいう[29]。
青鷺火のように青白く光るアオサギ、ゴイサギについては、多くの目撃談が述べられている[1]。
火のついた木の枝をCITEREF咥くわえて飛ぶ、口から火を吐くという説もあり、多摩川の水面に火を吐きかけるゴイサギを見たという目撃談もある[30]。
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考察
上述『和漢三才図会』(1712年刊)にすでにゴイサギが夜に飛ぶと光って見えるのが妖怪と認識されたのだろう、という考察がみえている[9][10]。また、甲斐国『裏見寒話』(1754年)の「鷺火」現象をアオサギの羽が光る説明を或る人がしたことについて、著者按ずるに、闇の中で猫を逆なですると摩擦で光ることもあるから、羽でも起こりうるだろうと掘り下げた考察を述べている[13]。
ゴイサギが(狐狸や化け猫のように)歳を経ると化けるという伝承もあるが、これはゴイサギが夜行性であり、大声で鳴き散らしながら夜空を飛ぶ様子が、人に不気味な印象をもたらしたためという説がある。老いたゴイサギは胸に鱗ができ、黄色い粉を吹くようになり、秋頃になると青白い光を放ちつつ、曇り空を飛ぶともいう[31]。
科学的には水辺に生息する発光性のバクテリアが鳥の体に付着し、夜間月光に光って見えるものという説が有力と見られる。また、ゴイサギの胸元に生えている白い毛が、夜目には光って見えたとの説もある[31]。
姥ヶ火(『諸国里人談』[2])や、『耳嚢』の噂話のなかで「ゴイサギ」だと称していても、それっは分類学上のゴイサギ種とっは限らないだろう、と中村禎里は考察する[7]。また『諸国里人談』の姥ヶ火に見えたのは、(鶏のごとき鳥という証言だったが)、嘴を叩く音という習性はゴイサギでなくツル類のものではないか、と南方熊楠(書簡)は意見している[32]。
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『吾妻鏡』における類似怪異
『吾妻鏡』建長8年6月14日(西暦1256年7月7日)条に、「光物(ひかりもの)が見える。長(たけ)五尺余(165センチほど)。その飛行物体は、初めは白鷺に似ていたが、後は赤火のごとくだった。「白布を引くがごとし」軌跡を残したという記述がある。鎌倉のみならず、近辺国でも見えたという[33][34]。『古事類苑』では、「天部 星」に分類し、『吾妻鏡』正嘉2/1258年の大流星(大きさが4丈4尺)の案件と連ねているので[35][注 5]、天体の類とみなされる。
「本朝においてはその例なし」[33][34]と記されていることから、光るサギのような怪異という意味では、現存記述として最古のものと見られる[独自研究?]。
青鷺火にちなんだ作品
脚注
関連項目
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