トップQs
タイムライン
チャット
視点

伊東甚吉

ウィキペディアから

Remove ads

伊東 甚吉(いとう じんきち、1920年3月30日[4] - 没年不明)は、プロ野球選手二塁手)。

概要 基本情報, 出身地 ...

来歴・人物

兵庫県出身。滝川中(現滝川中学校・高等学校)在学中には、1936年,1937年,1938年1937年夏の甲子園に出場。1936年春ベスト8,1937年夏ベスト4に二塁手として貢献した[5]。中学時代のチームメイトに三田政夫,田中成豪,湯浅芳彰がいる。また南海巨人で大活躍した別所昭は、伊東の2年後輩に当たる[6]

1939年阪急軍に入団。入団早々から二塁手のレギュラーを獲得し、堅守でチームを支えた[6]。反面、打撃はやや非力だったものの犠打盗塁を駆使して、チャンスメイクする事には長けていた。選球眼も良く、四球の数が三振を上回っていた。しかしプロ生活僅か3年で、1941年シーズン終了後応召。その後、戦死した(没年月日、死没場所は不明)。20代前半の短い生涯だった。

東京ドーム敷地内にある鎮魂の碑に、彼の名前が刻まれている。

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...

背番号

  • 10 (1939年)[7]
  • 26 (1940年 - 1941年)[8]

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads