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伊藤さやか

日本の歌手、女優、タレント ウィキペディアから

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伊藤 さやか(いとう さやか、1963年10月16日[2] - )は、日本女優歌手タレント愛知県名古屋市出身。ヒラタオフィス所属。特技はチェロピアノ

概要 いとう さやか 伊藤 さやか, 本名 ...
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来歴・人物

小学生の時からピアノ、中学生の時からギターを習い始める[2]。小学生時代は陸上部で活動[2]

元々将来の夢はロックンローラーになることで、矢沢永吉を目標とし、高校1年生だった年の5月に同級生たちとのガールズバンド「39」(サーティ・ナイン)を結成して活動していた[1]

ある日友達3人と沖縄旅行中に台風で帰りの飛行機が欠航したためにやむなくホテルに戻ってインベーダーゲームに興じていたところ、資生堂「シャワーコロン」のCMモデルを捜していたヒラタオフィスの社長に声をかけられる。この時は応じることは無かったが、社長は説得を続け、結局これに応える形で1か月半後にCMオーディションを受けるために上京する[1]。元々モデルに興味は無かったが、このオーディションに合格してモデルとしてデビュー[1]1980年末、資生堂「シャワーコロン」のイメージガールとしてCMに出演[1]1981年4月から日本テレビ系『スター誕生!』の番組アシスタント4人組グループ「くれよん」 のメンバーとしてレギュラー出演、この時に名古屋から東京の高校に転校[1]。同年10月スタートのテレビ時代劇『お命頂戴!』(テレビ東京)で女優デビュー [1]1982年、日本テレビのドラマ『陽あたり良好!』のヒロイン・岸本かすみ役に抜擢され注目を集める。1982年5月「天使と悪魔〜ナンパされたい編」でビクターより歌手としてデビュー。テレビアニメ『さすがの猿飛』の主題歌・挿入歌も担当した。TBSテレビの夕方の若者向け情報番組『アップルシティ500』のMCもしていた。

“花の82年組”の歌手デビューを果たしているが、本人はぶりっ子アイドル路線を拒否。ロック色の強い曲での活動を希望し、自称「ロックンローラー」として一時注目を集めた。しかし、当時の時代背景も伴い、現在で言うJ-POPの曲調に近く、一般に言うロックとは程遠いものであった。

1985年より芸名を「伊藤さやか」から「伊藤サヤカ」に改名し、再スタートを切る。

1986年、声帯などに変調が見つかり、シングル「ハッピネス!!」のリリースを最後に歌手活動を無期休止と発表。

2002年6月、女優・タレントとして芸能活動を再開、現在に至る。

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ディスコグラフィ

シングル

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アルバム

オリジナル・アルバム

伊藤さやか 名義
伊藤サヤカ 名義

カバー・アルバム

  • ノスタルジック SAYAKA(1983年9月5日、コンパクトカセット、ビクター、CD: 2003年9月15日、Vivid Sound、VSCD-3731/2)[5][6]

ベスト・アルバム

  • 気分はグレイテスト・ヒッツ! Sayaka Early Best(1984年6月21日/ビクター、LP:SJX-30234 / CD:VDR-26)[7][8]
  • コレクション(2004年2月21日、ビクター、CD: VICL-61322)[9]

タイアップ曲

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楽曲提供

著書

  • 伊藤サヤカ『日出処(ヒイズルトコロ)―激白宣言書』立風書房(原著19850401年)。ISBN 978-4651150376

出演

テレビドラマ

バラエティ番組

  • スター誕生!(1981年-1982年、日本テレビ。番組アシスタントとして。当初は4人組「くれよん」の一員であった)
  • オレたちひょうきん族(1982年、フジテレビ)
  • シャワーギャング(1983年、日本テレビ)司会
  • SMAP×SMAP 大好評!アニメソング名曲歌謡祭SP!(2012年2月27日、フジテレビ、30年ぶりに「恋の呪文はスキトキメキトキス」を歌唱。※レコーディング以外で歌うのは初めて。)

映画

ラジオ

OV

舞台

  • 2006年3月1日 - 3月5日 Spaceland公演「ソウルメイト」
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脚注

関連項目

外部リンク

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