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会田豊彦
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会田 豊彦(あいだ とよひこ、1937年4月1日 - 2012年3月23日[1])は、山形県[2]出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。
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来歴・人物
山形南高校では、1954年秋季東北大会県予選決勝に進むが米沢商に敗れる。翌1955年夏の甲子園予選東北大会に進出、しかし1回戦で福島商に敗退。卒業後は日本大学へ進学した。東都大学野球リーグでは在学中、3度優勝を果たす。1年生時の1956年秋季リーグでは、打率.351で首位打者を獲得し優勝に貢献[2]。リーグ通算91試合出場、321打数86安打、打率.268、0本塁打、46打点。ベストナイン(三塁手)2回。大学同期に高木時夫捕手、黒木基康、笹木士朗(日本鋼管)両外野手らがいた。
1960年に中日ドラゴンズに入団[2]。1年目から一軍に定着、岡嶋博治の控え三塁手として起用され9試合に先発出場。1962年に外野手に転向。1963年には開幕戦から左翼手、二番打者に抜擢され、19試合に先発出場。しかし打撃面で伸び悩み1964年限りで引退した[2]。
引退後は、東京新聞の記者となった。
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詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 22 (1960年 - 1962年)
- 49 (1963年 - 1964年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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